聡志朗 四十九日 | Go with the flow ~ 心のままに ~

 

2024年4月3日 

聡志朗が旅立ちました

 

 

最期の日も

朝ごはんやおやつを食べ

お水も飲み

自力で排泄もできていました

実は、前回の記事に載せたわんこごはんが

最期の日のごはんです

 

clover*

 

夕方の散歩に行く30分前にも

自分でお水を飲んでいました

 

その日から自転車通勤をスタートした夫が

夕方の散歩に間に合ったので

みんなでお散歩に行き

(聡は抱っこで)

公園に到着し地面に降ろしました

 

夫が「聡ちゃん」と名前を呼んで

頭を撫でたら、喘ぐような呼吸になり

こてんと横に倒れてしまいました

 

急いでパワーミストO₄を吸わせ

聡ちゃんを抱き上げ

近くのベンチに座りました

 

膝の上に乗せてミストを吸わせましたが

舌が完全に紫色で冷たくなり

体に力が入っておらずぐったり

これまでの失神の時とは違う呼吸、

小太郎が旅立った時と同じでした

 

夫が「もういいよ、可哀相だから

やめよう」と言ったので

ミストはやめて

「聡ちゃん、ありがとうね」と

夫と交互に撫でました

 

数回大きく息をし

呼吸が止まったので

胸に手を当てたら

心臓も止まっていました

午後6時ちょうど

 

公園に到着したのが

午後5時57分だったので

たった3分の出来事でした

 

clover*

 

三尖弁閉鎖不全症からの

右心不全の症状の方が強く出ていたので

肺水腫にはならないと思うと

主治医から言われていました

 

肺水腫にはならなくても

苦しむのではないかと

覚悟をしていましたが

痙攣も起こさず、多臓器不全も起こさず

嘘のようにあっけなく

 

小太郎の時に心残りだった

わたしの中での理想の旅立ち


「最期のその日まで

ごはんを食べてお水も飲んで

自分の足で立って排泄し、

そんなに苦しむことなく、

みんなと一緒にその瞬間を迎える」

 

を成し遂げて

逝ってしまいました

 

clover*


それまで、小太郎の写真や動画を

あまり見ることができなかったのですが

聡志朗の写真と一緒に小太郎の分も

見られるようになりました

 

その当時を思い出して

笑ったり泣いたり忙しいのですが

愛おしく温かい気持ちが

溢れてきます

 

寂しさはあるものの
聡志朗が、小太郎の時の心残りも

昇華してくれたと感じています

 

clover*

 

3月31日の聡ちゃん

これが、生前最後の写真に

なってしまいました

 

 

 

【4月6日(土)】

 

小太郎の時と同じ

ペットの火葬をしてくれるところで

荼毘に伏しました

 

早めに家を出発し

以前住んでいたところの公園に

立ち寄り、見せてあげました

 

桜はまだ蕾

今年も一緒に桜を見たかったけれど

叶わなかったね

 

 

火葬を待っている間

龍之介と散歩をしながら

空を眺めていました

 

 

 

聡ちゃんの骨は

小動物用の骨箱に入るくらい小さく

それでも、顎や歯はしっかりあり

「歯がたくさんあるね

喉仏の骨も立派だね」と

言われました

(小太郎もそうでした)

 

 

並んだ骨箱の大きさが

ちょうどこんな感じで

 

(生後半年)

 

この頃のこたそうを思い出し

胸がキュッとなりました

 

 

 

 

このブログを通じて

聡志朗を見守ってくださった皆様

本当にありがとうございました

 

 

尚、四十九日も過ぎますので

供花や供物は固く辞退させていただきます

小太郎の時と同様に

すぐにブログで報告しなかったのも

それが理由にありますので

どうぞよろしくお願いします

 

聡志朗のことについては

また日を改めて書きたいと思っています

 

龍之介は、ごはんもしっかり食べ

元気にしておりますので

心配しないでくださいね