文化審議会は17日、荒川の旧岩淵水門(北区志茂地先・通称赤水門)を、国の重要文化財に指定するよう、文部科学大臣に答申しました。

 1924年(大正13年)に人工河川「荒川放水路」として完成した荒川は、今年10月に通水100周年を迎えますが、旧岩淵水門も同年に完成しました。

 このような水門が重要文化財に指定されることはとても珍しいことです。100年前の建築物が残っている点、技術的価値が高い点などが評価されました。

 

 旧岩淵水門は、墨田区北部の鐘ヶ淵から約10km上流の、荒川と隅田川の分岐点に設置され、約60年間、首都東京を洪水から守ってきました。防災計画が見直され、水門の高さ不足、安全度の低下が問題となったため、約300m下流に現在の岩淵水門(青水門)が1982年完成し、旧岩淵水門は役目を終えました。

 現在は社会科見学のコースとなるなど、歴史的な施設として親しまれています。

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 東京の下町は古くから隅田川の氾濫による水害に悩まされてきました。旧本所区などが浸水した1910年(明治43年)の大水害をきっかけに、政府は1911年(明治44年) 、抜本的な解決策として、荒川放水路事業に着手しました。

 

 この大事業を指揮したのは、土木技師の青山士(あきら)氏です。

 青山氏は東京帝国大学土木工学科を卒業後渡米し、唯一の日本人技師としてパナマ運河建設工事に携わり、その経験を荒川放水路建設に生かしました。

 青山が特に尽力したのが岩淵水門です。幅約9mの5門の水門で構成され、うち1門は通船門として舟運に支障がないような構造になっています。非常に頑丈に設計されており、建設中の1923年(大正12年)に起こった関東大震災にも耐えました。

 

 私は2007年1月下旬に外務大臣政務官としてパナマを訪れ、パナマ運河を視察しました。その際、パナマ運河博物館に設けられた「荒川放水路と青山士コーナー」に、心から感動しました。

 

 現在、国土交通省は、荒川下流では堤防のかさ上げ、上流では調整池の新設など、首都東京を守るための治水事業を進めていますが、私も先人の志を継ぎ、下町の安全・安心のために全力で働いてまいります。

 

  

 

写真提供:荒川下流河川事務所