江戸川区の小岩神社境内にある「みたま神社」で26日、戦死された方の鎮魂の「みたま祭」が行われ、私も参列しました。コロナの前まで毎年、靖国神社の春季例大祭の時期に合わせ、小岩の町から出征し、還ることのなかった人たちを偲んで催されているそうです。

 


 私は挨拶で「これまで墨田区、荒川区、台東区で活動してまいりましたが、地域の神社で地元の出征兵士を祀っているは初めてです。小岩地区の小学校の子どもたちにもこのことを知ってもらいたい」と述べました。





 関晴由樹宮司によると、みたま神社は日清戦争のころにでき、戦後は遺族会が中心となって慰霊祭を行ってきましたが、平成に入り、遺族会のメンバーがだんだんと減り、先代の関保規宮司と町の人たちが顕彰会を作ったとのことです。
 「父(先代の宮司)は赤紙(召集令状)を受け取った時、それはすなわち『死ぬ』ということだから、本当にショックだったと話していました。非国民と言われるかもしれないけれど、出発までの数日間をブルーな気持ちで過ごしたそうです」と話しました。

 その後、宮司から、父上は、内地で米国の爆撃機を狙う高射砲部隊に配属され、無事、終戦をむかえることができたと伺いました。だからこそ、現宮司が誕生できたわけです。

 この日、参列した人たちはほぼ戦後生まれ(79歳以下)のようでした。

 

(「和魂神社」と書かれた石碑の前で関宮司と。)


 宮司は私に、「皆さん、親戚中の誰か1人くらいは戦死しているから」と。私も、父の兄がニューギニア戦線で飛行場建設の最中に米軍の爆撃で命を落としたこと、祖母の家には若い学生服姿の遺影があり、長男の死を嘆いていたこと、父が生前ずっとニューギニアの政情が危険で慰霊訪問できないと残念がっていたことを思いおこしました。昭和2年生まれで戦争に行かなかった父も、私が初当選して数か月後、亡くなりました。もう24年近くになります。