国連が定めた「国際女性デー」の8日、シンボルの花、ミモザをあしらったブローチをつけて衆議院安全保障委員会に出席するなどしました。自民党女性局の活動の一環です。

 ミモザはアカシア属の植物で、2-3月に黄色い花を咲かせることから、ヨーロッパでは春を告げる「幸せの花」とされているそうです。

 そういえば、本好きだった小中学生のころ、翻訳小説で「町にミモザの花があふれるころ」などという表現にしばしば出会い、どんな花だろうと思ったものでした。

 

 世界で初めて女性が選挙権を得たのは、1893年、ニュージーランド。フィンランドでは1906年、女性が被選挙権を含む完全な参政権を獲得しました。

 

 私は、地元の小学生が国会見学に来ると、あいさつの中で必ず「18歳で選挙権を持つようになったら、必ず、選挙に行ってください。日本で女性も含め、すべての国民が選挙権を持ったのはアジア・太平洋戦争に負けた翌年、1946年(昭和21年)4月の選挙から。昭和の初めまでは、女性が『選挙権を欲しい』と主張したら、たとえ税金を納めている人でも、警察に連れて行かれたりしたのです」と話します。

 

 1946年4月10日投票の第22回衆議院議員総選挙では、466議席中39人の女性議員が当選しました。この時は大選挙区(定数4~14)連記制(定数10以下は2人の名前を、定数10超は3人の名前を書く)でした。

東京都は2つの選挙区に分かれ、墨田、江戸川両区が含まれる東京1区では、29歳の山口シヅエさんが当選しました。墨田区在住、江戸川区の旧府立第七高等女学校(現都立小松川高校)出身で、この後、当選13回を重ねました。

 この大選挙区連記制は女性が当選しやすい仕組みでしたが、1回で終わりました。

 男女平等など民主的な現在の日本国憲法が公布されたのは1946年11月3日ですから、それ以前にすでに女性が参政権を得ていたわけです。

 昭和20年の終戦直後、8月中に戦前から婦人参政権運動を進めてきた女性たちが首相に談判。戦時中、日本の女性たちは出征した男性に代わり、軍需工場での戦闘機づくりや電車の運転なども担っており、その実力と貢献を認めて、日本の政府が参政権付与を決めたのです。新憲法によってアメリカからもらったものではありません。