東京大空襲の犠牲者の慰霊のために、江戸川区と江東区の有志が主催する「第25回旧中川灯籠流し」に15日、初めて参加しました。4年ぶりの開催でしたが、台風7号の影響により荒天が懸念されたため、灯籠流しは事前に中止とし、「ふれあい橋」(江戸川区平井3丁目地先)での式典と献花だけになりました。私は、式典で「国連平和の鐘」を江東区の小学生が6回ついたのに合わせて黙祷。その後、慰霊碑に献花して、手を合わせました。

 

 

[主催者あいさつをする江頭正恭・小松川平井地区連合町会長。]

 

 昭和20年3月10日の東京大空襲では、江戸川区と江東区の境にある旧中川に、猛火に追われた人々が次々に飛び込み、約3,000人が犠牲となりました。

 江戸川区の平井小松川地区では、死者約800人、負傷者約5,800人、焼失家屋1万1000戸の大被害が出ており、当時の区役所(現小松川さくらホール・小松川さくら公園)も全焼しています。

 ちなみに江戸川区は昭和7年、南葛飾郡の3町4村が合併して誕生、旧小松川町が人口が多かったため、区の西端ながら区役所が置かれたのです。戦後、区役所は移転しました。

 

 東京大空襲では約10万人が亡くなり、特に被害が大きかった墨田区横網の東京都慰霊堂で、3月10日、皇族も参列されて行われる「東京都春季慰霊大法要」に、私は毎年参列するほか、菊川や京島など墨田区各地で行われている追悼行事にも参加してきました。旧本所区(墨田区南部)や旧浅草区(台東区)については、これまで東京大空襲の悲惨さについて、経験者の方々からお話を伺う機会が多かったのですが、今回の灯籠流しに参加したのを機に、新しく選挙区に加わった江戸川区での戦災についても学んでいきたいと思います。

 

 

[献花する私の横に立っているのは大西英男衆議院議員]