14日夕方、靖國神社に1人で参拝しました。

 雨が上がり、よく晴れ、セミの声だけが響く静かな空間でした。

 私は、靖國神社にお参りするときは、いつも1人の日本人として行きます。

 「国会議員として」とか「何かの団体の一員」としてというスタイルは取りません。だから、昇殿参拝をしたこともありません。

 

 今日も、お賽銭を入れた後、いつものように「海ゆかば」を歌い、日本のために戦い、命を失った方たちに感謝と慰霊の思いを口の中で述べました。さらに、「78年間、戦争と無縁できた日本の『戦後』をこれからも1日1日、1年、1年延ばしていく」と固く誓いました。

 「海ゆかば」はアジア・太平洋戦争(私は日本にとっての先の戦いをこう呼ぶことにしています。教科書で習った「太平洋戦争」はおかしい)時のラジオ放送などで、しばしば流された、哀調を帯びた曲で、歌詞の後半は異論もあるでしょうが、私は昔から、靖國神社ではこれを歌ってきました。

「海行かば 水漬(みづ)く屍(かばね)

山行かば 草生(む)す屍……」

 音程の難しい曲を音痴の私が歌うのですから、今回は周囲1m以内に誰もいないことにほっとしました。

 

 私が初めて靖國神社にお参りをしたのは18歳の秋、初上京の日です。高校3年、体育大会の代休となった月曜、「大学受験の下見」を親に認められ、単身、新大阪駅から初めて新幹線に乗りました。

 東京駅に着いた私は、まず皇居へ、そして次にまっすぐ靖國神社に向かいました。そういう思想傾向の少女でした。その後、目的地の本郷に着くまで、親に電話をかけなかったので(携帯電話のなかった時代です)相当、心配をかけましたが。

 

 明治元年(1868年)から終戦までが78年。終戦から現在までが同じ78年。

 

 アジア・太平洋戦争については、国の経済力を考えずに戦争を始めた愚かさ、真珠湾攻撃から半年後には、負け戦が増えていき始めたのに、昭和18年にも19年にも20年に入ってからも、戦争を止めようとしなかった愚かさ。最後には、ヒットラーが自殺してヨーロッパでは大戦が終わった後も、日本だけが「一億総玉砕」「本土決戦」などと叫び、戦争を続けました。一方で、ソ連に米英との和平の仲介を頼もうとするなど、トンチンカンなことまで。冷静に考えると「ありえない」ことばかりです。

 

 軍部が戦争を遂行できたのは、教育の問題や情報統制、言論統制もあったけれど、最大の要因は徴兵制度、つまり国民皆兵制だったためだと私は考えています。

 「白骨街道」を生んだインパール作戦も、「餓島」と呼ばれたガダルカナル島も、そして空と海の特攻隊も、すべての無謀な戦いは、「兵隊はただ」という軍のエリート層の思い上がり、(表現を変えれば)コスト意識のなさが元凶だと、戦史を数多く読んだ結果、そう思います。(もちろん、立派な人格を持った軍幹部もいましたが)

 

 安倍政権で平和安全法制が成立した時、反対論も、多くありました。近所の30代らしき男性から、真摯な態度で「5歳のこの子が将来、自衛隊に取られたりしないでしょうね」と迫られました。私は「自衛隊は希望者が行くところです。昔のような徴兵制などということは、私が国会議員である限り、絶対にさせません」ときっぱり言いました。彼は「安心しました。妻が韓国人で、韓国は徴兵制なので、日本もそうなったら大変だと思ったので」と。切羽詰まった口調の理由がわかり、こちらもほっとしました。

 

 今の時期には、NHKなどで戦争関連の番組をよく観ます。

 少し前に放送された、澤地久枝さんがミッドウェー海戦の日米の戦死者の遺族を訪ねるドキュメンタリー番組も優れていたし、軍港都市横須賀で戦争孤児となった子がクリーニングの技術で仲間たちと生き抜くドラマもよかったです。

 今晩は「アナウンサーの戦争」と「軍人スポークスマン 大本営発表の真相とは」に期待しています。