森山裕衆議院議員(党選挙対策委員長)が27日、参議院議員(6年)衆議院議員合わせて25年の「永年在職議員表彰」を受けました。その苦労あふれる人生を振り返った挨拶は、時折、涙で声が詰まり、挨拶終了後、与野党合わせた議場全体から、大きな拍手が続きました。「地方議員時代から数えて48年間、ほとんど家庭を顧みなかった私の議員活動を支えてくれた家族に、感謝を伝えたい」と述べ、言葉を詰まらせました。

 「昭和20年4月8日、鹿児島が大空襲を受けた日に、鹿児島県鹿屋市の防空壕の中で生まれました」——生まれた時から、激動の人生が始まります。
 「実家は農業と新聞販売店を営んでおり、小中学生の頃は朝6時から眠い目をこすり、錦江湾に浮かぶ桜島に一礼し、自転車で新聞配達をする毎日でした。
 中学卒業後、つらい農業はやりたくないと思い、鹿児島市の会社に就職しました。その会社の理解があったおかげで、働きながら夜間課程に通うことができました」——私など経験したことのない苦労の様子が目に浮かびます。
 「30歳で鹿児島市議会議員に初当選し、参議院議員として初めて国会議員のバッジをいただいたのは53歳」

 「平成27年、TPPが政府間交渉で大筋合意した2日後、農家の方々からは不安の声が上がる中で、農林水産大臣を拝命しました。大臣席に座り、目に浮かんだのは郷里の先輩、後輩たちの姿でした。今日も汗水を流して田畑を耕し、家畜を育て、国を支えている。農業から逃げた私は政治家としてその奮闘に応えなければならない。
 現場主義を自らに誓い、積極的に現場を回りながらTPPの説明を尽くし、安全安心な日本の農林水産業は強いこと、若者が誇りを持って働ける産業に育てることを訴えました」

 「教育、国の守り、そして農業を大事にすることが政治の根幹であるという郷里の偉人、西郷南洲翁の言葉を胸に刻んでいます」——これが、森山さんを支えてきたのでしょう。

 「1つだけ誇れること」として挙げたのは、「国会対策委員長を歴代最年長の1534日務め」たこと。

 「小中学生の頃、新聞配達中に『がんばっているね』『学校に遅れないようにね』と優しく声をかけてくれた地域の皆さん。
 (高校の)夜間課程に通わせてくださり、学ぶことができる幸せを教えてくれた勤務先の方々。農業を守り続ける郷里の方々」を思い出すたびに、「『これからも、まっすぐに前へ。』という気持ちに立ち返るのです」と述べました。