地元のスポーツ用品メーカー「ナガセケンコー」(墨田区墨田)のソフトテニス部(女子)が日本リーグで23年ぶり6回目の優勝を果たし(昨年12月)、1月下旬に行われた祝賀会に出席し、とても楽しい時間を過ごしました。

 ソフトテニス(軟式庭球)は女性の生涯スポーツとして有力な存在ですが、残念ながら私はラケットを握ったこともありません。

そこで来賓挨拶では、コロナ初期に88歳の長寿を全うされた二代目社長、長瀬二郎氏(現在の星久美社長の父)の思い出を語りました。

 昭和52年から2013年(平成25年)まで36年間にわたり、社長として同社を軟式野球やソフトテニス、ソフトボール、ボッチャなど、いろいろな「軟式」の球のトップメーカーに育てた人であり、その後、会長、名誉会長のかたわら、墨田区体育協会会長の重任も果たされました。

 

 なお、星社長は一昨年12月に就任し、ちょうど1年後に「23年ぶり優勝」というすばらしいプレゼントを「娘のような(年齢の)子たちからもらった」と、大喜びでした。新社長の運の強さは、今後の会社経営にきっといい影響を及ぼすと思います。

 

 長瀬二郎元社長は墨田区の出身の王貞治さんとも親しく、一緒に米国や台湾などの少年野球の交流大会を続けました。

 私は墨田区の少年野球連盟の顧問ですが、連盟はナガセケンコーから試合球の提供を受けたり、いろいろお世話になっています。

 2008年の北京五輪で男子野球とともに女子ソフトボールが正式種目となった際は、長瀬社長が、区内の中学ソフトボール部の指導をしている女性の先生と私を会食に招いてくださり、3人で喜び合いました。

 

 ナガセケンコーの選手たちは全国からテニスがやりたくて入社し、寮生活を送っています。

7人の選手のうち昨年末の試合で2人が部を「卒業」(イコール引退)。そのうち1人は、地元岡山県に戻って体育の先生になるそうです。「子どもたちに日本一のテニスの指導をします」と宣言。大学卒業後すぐに教員になってしまうと、そこで選手生命は終わってしまいます。企業チームで活動し、頂点に立ってから転身するのはすばらしい選択肢だと思いました。

 去る選手がいる一方で、「一昨日入社しました」という大阪の高校出身者も紹介され、今年も活躍が期待されます。

 

 当日は大雪で、西日本を含む全国各地の交通が遮断された日でしたが、鳥取県に住む保護者は迂回路を上手に回り、祝賀会にギリギリ間に合いました。保護者の方々は、全国どこで試合があっても駆けつけるのが習慣だそうです。

 

 また、この祝賀会では墨田区に住む、2人のすばらしい女性との出会いがありました。

1人は「子どもが両国小学校に通っていたときから松島さんを知っている」と声をかけてくれた方で、スタイルのいい人だと思ったら、ソフトテニス個人の最高位に当たる皇后杯受賞経験者でした。

 もう1人は、なんと開成中学・高校の国語教師で、同中のソフトテニス部の顧問を務める女性。男子の名門校に女性の先生がいるとは! ナガセケンコーソフトテニス部の自称「ひとり応援団」をやっているそうです。「向島に住んでいるので、何十年も前から松島さんをポスターで見ていますよ」と。うれしくなりました。 

 

写真①                                               

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写真①  

右から、山本墨田区長、星久美社長、松島、安道光二・日本ソフトテニス連盟会長

 

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田中弘監督と選手たち