画家で絵本作家、いわさきちひろさんの「ちひろ美術館・東京」(練馬区下石神井) #chihiro に先日、行きました。ちひろさんの絵の特徴である「花と子ども」にかかわる展示がとてもすてきでした。

 

 実は約40年前の学生時代に行って以来の鑑賞。数年前に「東京ステーションギャラリー」で開かれた「生誕百年の特別展」で彼女の人生をよく知ってから、もう一度行きたい、と願っていました。

 

 1918(大正7)年、父は陸軍建築技師、母は女学校の教師という恵まれた家庭に長女として誕生。子どものころから絵が好きで、14歳から岡田三郎助に師事、油絵を学びました。

母が満蒙開拓団に「大陸の花嫁」を送り出す「国策」に従事したため、ちひろも夫の勤務地である大連に渡り、母の仕事を手伝いました。夫の自殺や自身の心身の疲労により帰国。母の実家である長野県松本市で終戦を迎えました。

両親ともに、戦争に加担したことを悔い、ちひろは翌年、1人、上京します。紙芝居やメーカーの宣伝画などの制作、さらに昭和30年頃から「ひかりのくに」などの絵本雑誌や「ひとりでできるよ」、「あめのひのおるすばん」など子どもを主人公にしたかわいいものや、絵が中心の「りゅうのめのなみだ」などを次々に出版しました。

 

 結婚相手は日本共産党の活動を通して知り合った松本善明氏(後に衆議院議員)。画家仲間と著作権確立を訴える活動にも力を入れました。「あめのひのおるすばん」など子ども主人公にした絵中心かわいい絵本を数多く出版しました。

 

 ベトナム戦争が激しかった昭和40年代には、第2次世界大戦時の日本の子どもたちの様子を描いたり、ベトナム戦争をテーマにした絵本「戦争のなかの子どもたち」などを創作するなど、彼女の本領を発揮しました。

 

 黒柳徹子さんのベストセラー「窓ぎわのトットちゃん」の挿し絵は、いわさきちひろさんの絵ですが、実は黒柳さんは生前のちひろさんに会っていません。

 

 館内のビデオ放送によると、1974(昭和49)年、ちひろさんが55歳でがんで亡くなった記事に、黒柳さんは涙が止まらなかったそうです。「私がもし伝記を書くとしたら、ちひろさんに絵をお願いしよう。きっといつかお会いできるはずだ、と思っていたのに」と。

 

 黒柳さんは、多くのちひろファンとともにいわさきちひろ美術館設立に動き出し、3年後に実現しました。

 美術館は、ちひろさんが22年間を過ごした自宅跡に建てられ、多くの絵に描かれた四季折々の花が植えられている庭もそのままです。アトリエも再現されています。初代館長は、劇作家の飯沢匡氏。現在の館長は、黒柳徹子さんです。

 

 そうした縁から、ちひろさんのご子息が原画コレクションから多数の絵を提供してくれ、「トットちゃん」が完成したそうです。

 子どもたちの様々な表情や動きを描き続けた画家だったからこそ、いろんな場面にぴったりの絵がちょうど見つかったのです。

 

 若い頃の私がこの美術館を訪ねたのは、設立からまだ間もない頃だったのだと、今回、気づきました。

ビデオで開館当初の映像にワンピース姿の若い女性が映ったときには「私じゃないかな?」と見入ってしまいました。

当時買って、何回もの引っ越しの際にも持ち続けたけれど、いつしかなくしてしまった「チューリップのある少女像」を見つけて買いなおすことができました。学生時代と違い、複数のTシャツや絵、本を「大人買い」して幸せな気分になりました。

 

 館内には、幼児を連れた若いお母さんお父さんのほか、かつて絵本を子どもに読み聞かせただろう世代の女性連れの姿もありました。