国葬儀委員長を務めた岸田総理は「初当選同期」「同世代」の思いを語りました。

 

 私自身、当選は両総理より二期下ですが、同世代であり、そしてこれからも政治家として生きていく者として共感することが多くあったので、その部分を抜粋します。

 

「29年前、第40回衆議院議員総選挙に、あなたと、わたくしは、初めて当選し、ともに、政治の世界へ飛び込みました。

北朝鮮が日本国民を連れ去った拉致事件について、あなたは、まだ議会に席を得るはるか前から、強い憤りをもち、並々ならぬ正義感をもって、関心を深めておられた姿を、わたくしは知っています。被害者の方々を、ついに連れ戻すことができなかったことは、さぞかし無念であったでしょう。

 わたくしはあなたの遺志を継ぎ、一日千秋の思いで待つご家族のもとに、拉致被害者が帰ってくることができるよう、全力を尽くす所存です。」

 

「平成18年、あなたは、52歳で、内閣総理大臣になりました。戦後に生を受けた人として初めての例でした。わたしたち世代の旗手として、当時あなたが、戦後置き去りにされた、国家の根幹的な課題に、次々とチャレンジされるのを、期待と、興奮をもって眺めたことを、今、思い起こしております。」

 

「戦後最も若い総理大臣が発した、国民へのメッセージは、シンプルで明快でした。戦後レジームからの脱却。防衛庁を、独自の予算編成ができる防衛省に昇格させ、国民投票法を制定して、憲法改正に向けた、大きな橋を架けられました。教育基本法を、約60年ぶりに改めて、新しい、日本のアイデンティティの種をまきました。インドの国会に立ったあなたは『二つの海の交わり』を説いて、『インド太平洋』という概念を、初めて打ち出しました。これらはすべて、今日に連なる、いしずえです。」

 

「わたくしは、外務大臣として、その同じ時代を生きてきた盟友としてあなたの内閣に加わり、日本外交の地平を広げる仕事に、一意専心取り組むことができたことを、一生の誇りとすることでしょう。」

 

「日本の、世界中の多くの人たちが、『安倍総理の頃』、『安倍総理の時代』などと、あなたを懐かしむに違いありません。」

 

 

 岸田総理の追悼の辞の最後のことばを、私自身の思いとして記し、締めくくります。

「お疲れさまでした。そして、本当にありがとうございました。どうか、安らかにおやすみください。」