安倍さんは、私が選挙基盤を強くするための支援も細かくやってくれました。
 「全国各地を土・日に訪問し視察する」という方針を決めた時、真っ先に墨田区を選び、「技術力のある小規模メーカーの視察先は決めた。それ以外に墨田区で抱えている問題は?」と尋ねられ、私は木造密集住宅地の防災対策を挙げ、京島地区に来てもらいました。


 


 総理日程は警備の点から、事前に広く周知してはいけないので、直前に地元の町会長たちや向島消防団長を務める区議らに知らせました。安倍総理は彼らと丁寧に握手を繰り返して、「松島さん、中小企業政策や防災を頑張ってくれているから」と語りました。

 視察は公務ですから、墨田区役所や東京消防庁を通して行われましたが、地元の実情をよく知る議員として私も立ち会い、国の政策とのかかわりなどを説明しました。
総理が東京以外の地方視察に出かける際は地元の国会議員が同行することが常で、「首相日程」にも「新幹線○○駅から○○衆議院議員」などと載りますが、都内での視察は、他の総理は概ね、地元の国会議員には知らせることもなく終わるのが通例です。

 墨田区南部の本所地区を中心に、東京の下町一帯は、昭和20年3月10日の東京大空襲で、「2時間のうちに死者・行方不明者約10万人」という大きな被害を受けました。毎年この日、東京都慰霊協会主催の春期慰霊大法要が開かれ、皇族の方はお見えになり、都知事も時に出席しますが、総理大臣や政府要人が出席したことはありませんでした。
 東京都仏教連合会のもと、仏式で行われること(宗教性)に加え、全国すべての空襲慰霊式典に出るわけにもいかないというのが理由でした。(沖縄、広島、長崎を除いて)

 



 私は、被害の大きさなどを勘案し、ぜひ、全国各地の空襲被害の代表として慰霊式典に出てもらうよう、願ってきました。総理大臣になる前に、横網の慰霊堂を視察し、実際に空襲で逃げまわった人たちの話を聞いてもらったこともありました。
 2度目の総理就任以来、要望し続け、大空襲から70年(つまり戦後70年)の節目の2015年3月10日、内閣総理大臣として出席してもらうことができました。
 当初は官邸内で(つまり官僚たちが)「仏式はまずい」と抵抗があったようですが、安倍総理本人が私の長年の要望を入れ、結局、式典に加え、官邸が最後まで難色を示した焼香もしてくれました。
 数日後、国会内でお礼を述べると「お焼香しても、どこからも文句出なかったね。慰霊の焼香はごく自然なことと受けとめてもらえたんだね」と笑みを浮かべました。

 私が初当選した時、安倍さんは当選3回。身近な兄貴分でした。






 街宣車の上、安倍さんの隣で私がマイクを握っている写真は、2004年9月、有楽町マリオン前です。党幹事長として党改革を進めていました。若手議員が「自民党は変わりつつあります」とアピール。

 当時、衆議院の全国300小選挙区のうち21選挙区で新たな候補者を公募することを決めていました。
 私は「10年前、自民党で初めての公募で政治の道に入りました」と自分の体験を話しました。
私の後ろには世耕弘成 現・参議院幹事長と城内実衆議院議員がいます。みんな若かったなぁ。

 小泉総理が郵政民営化を問い、電撃的な解散をした、
ちょうど1年後に当たる2006年8月8日、「まだ当選5回だけど、安倍さんを次の総理に」という会合が開かれました。

 言い出したのは、当時、衆議院3回生、私と初当選同期の宮沢洋一さん(現在は参議院議員、党税調会長)。私も含め10人ほどが集まりました。安倍派の同期には松野博一官房長官、髙木毅国対委員長、吉野正芳衆議院議員もいます。
 宮沢さんは、安倍さんや私たちと派閥は違いますが、名門の出身らしく、2人は20歳頃からの友人だったそうです。
 
 当時、小泉総理は旗印に掲げた郵政民営化法が成立したことから「総裁任期の終了とともに総理大臣をやめる」と公言していました。

 「この数年間、小泉さんがブームを呼んだけど、次のリーダーとして輝く人材を考えなきゃいけない」と宮沢さん。もちろん安倍さんも出席し、「八・八会」と名付けました。約1カ月後の9月20日に総裁選が行われ、第一次安倍政権が発足しました。

 政策面でお手伝いすることもありました。
2度目の総理に就任直後、「金融・経済政策の勉強会を急ぎ主宰してほしい。松島さんが呼びかけ人になり、党内のできるだけ多くの人を集めて」と要請されました。
 「金融緩和による、さらなる景気浮揚」のため、日銀総裁に黒田東彦氏を任命するための土壌作りが目的で、それに沿った講師を立て続けに招きました。

 ある時、安倍総理が地方遊説したシーンがテレビで流れ、中小・小規模事業の重要政策について、1点、誤解を招きかねない表現があったので私が携帯に留守電を入れると、「ありがとう」の返信とともに、次から演説を修正してくれたこともありました。

 私のフェイスブックも細かく見ていただき、政調会長代理になった時には投稿直後に「いいね!」を押してくださり、派閥の先輩である故・尾身幸次財務相を偲んだ文章には「いい追悼文だったね」と感想を述べてくれました。参議院選挙前には生稲候補の動静について、派閥の幹事会で「松島さんのフェイスブックに載ってたけど、こんなことしているんだってね」と披露してくれたこともありました。