日本画家、横山大観(明治元年生、昭和33年没)の旧宅と庭園(台東区池之端)が2017年、「国の史跡及び名勝」に指定され、整備が進められています。横山大観記念館を見学、大観の曽孫(ひまご)に当たる横山浩一氏と優子夫人(同館事務局長)に説明していただきました(5月)。
上野駅近く、不忍池の向かいで、不忍通り沿いに、31mに及ぶ板塀、中央にある瓦葺き(ぶき)屋根のある門——実は、この前を車で通りかかるたび、一体、誰のお屋敷が、ビル群の中に残っているのかと不思議に思っていた場所です。
台東区名誉区民第1号の横山大観が自分でデザインし、昭和22年から7年がかりで再建した邸宅(123坪)と戦前から充実させ続けた庭園(400坪)なのでした。
完成後4年住んだだけで90年の生涯を閉じたわけですが、よくぞ解体せず、都心で静ひつな思いに浸れる場所を残してくれたものだと思います。
高い門を入ると、前庭の大きなさざれ石が出迎えてくれます。国歌に「千代に八千代にさざれ石の——」とある、あの「さざれ石」です。
邸宅には大観のこだわりにより、玄関、客間、第2客間、画室、寝室ごとに、電灯カバーや欄干、柱などのデザインが異なり、工夫が凝らされています。とくに、床柱はすべて樹種と仕上げが異なり、戦後間もなく物資不足の時期に、よくこれだけ集めたものだと思います。
部屋には京間と江戸間が混在しているのが、大観邸の特色です。
日本庭園には、大島桜や、サツキ、アジサイ、カエデなど四季折々の木が植えられて、大観の絵のコレクターだった細川護貞氏(護熙元首相の父)から戦前に贈られた庭石のほか、灯ろうや枯山水も配置されています。樹種も1本ずつ大観が選び、全体の配置を考えたそうです。
この日本庭園の見え方が、1階の客間と2階の画室では異なるのがポイントです。客間に正座すると、庭園がみごとに見晴らせます。この部屋の窓は下半分がガラス戸です。
一方、二階の画室で正座すると、庭の低木は視界に入らず、不忍池と上野の杜が遠目に見えます。大局的な広々とした心持ちになり、筆が進むのでしょう。ここでは上半分が四季折々の陽光が何物にも妨げられずに採り入れられるよう工夫されると同時に、大観が絵筆をとっていた座には、直接、日光は入りません。
ちなみに大観は、「自然光のもとでしか描かない」主義で、夜間は一切、筆を取らなかったそうです。
絵画制作のエピソードについても話を伺いました。代表作として知られる「生々流転」(国立近代美術館蔵)は幅が41mですが、4mずつ絹本に描き、次の絵と端を合わせ、表装屋さんが2枚分ずつ持って行ったそうです。
約50年に及ぶ画業で描いた絵は大小合わせ7000点にのぼります。3日に1枚は制作したことになります。なお、そのうち1500点は富士山を描いたもの。
測量図制作担当の旧水戸藩士の子として生まれ、少年期は、設計の道に進むことも考えていたといいます。結局、東京美術学校の一期生となり、岡倉天心に学びました。
後に、母校の図案科助教授となります。設計やデザインに関心があったことが、すばらしい邸宅や庭園を自らの力で生み出したのでしょう。
なお、大観は身長178cmと、当時としては非常に長身で、常に着物姿でした。ひげをたくわえ、ちょっと西洋風な風貌が特徴的です。
① ②
③ ④
⑤ ⑥
⑦ ⑧
⑨ ⑩
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①表門
②横山浩一ご夫妻と
③玄関門から「さざれ石」を臨む
④大観の画室で
⑤身長178㎝と長身だった横山大観
⑥第一客間から眺めた庭、左側に「細川石」
⑦第二客間、特注の全面ガラス戸
⑧二階 画室からの眺め
⑨第一客間
⑩二階画室からの春の眺め(横山大観記念館提供)
⑪梅雨どき、前庭の梅(横山大観記念館提供)