「『佐渡島(さど)の金山』の世界遺産登録を実現する議員連盟」が設立され、私も加盟しました。

 佐渡島の金山は、鎖国政策をとっていた江戸時代、徳川幕府の管理、運営の下、ヨーロッパの機械化とは異なる伝統的手工業により大規模な金生産システムを発展させました。
 幕府は日本各地から鉱山の専門技術者を集め、最先端の伝統的な技術を結集しました。西洋の機械や化学薬品を用いたものよりも高い金の純度99.54%を誇り、17世紀には量、質とも世界最大級、かつ最高品質の金生産を行うようになりました。
佐渡の金は世界に流通し、オランダ銀行には日本の小判が所蔵されています。鎖国体制とはいえ、長崎を窓口としてオランダと中国(清)のみと通商を行っており、そこで流出したものでしょう。


 完全に手工業での金生産は19世紀半ば(幕末のころ)まで行われました。日本政府が世界遺産に推薦したのは、江戸時代だけです。
 佐渡には現在も、鉱山跡や鉱山町が保存されています。

 砂金がとれる鉱床「西三川砂金山」と、鉱石がとれる鉱脈鉱床「相川鶴子金銀山」の2つがあります。砂金鉱床では、貯めた水の力で洗い流す「大流し」の技術が用いられました。鉱脈鉱床では、坑道を掘るための掘削・測量、鉱石を処理するための選鉱、製錬、精練が必要で、高度な技術が発達しました。

(上から、砂金、金鉱石、坑道(大切山間歩))

 

 幕府は佐渡島を直轄領として佐渡奉行所を置きました。


 

 砂金鉱床の周辺には小規模な集落群、鉱脈鉱床の周辺には大規模で計画的な構造の集落ができ、現在も面影を残しています。


 

 全国各地から技術者が集まったことにより、信仰、芸能、祭礼など様々な文化が融合し、花開きました。山の神の心をやわらげ、金銀を含む柔らかい鉱石を見つけることを祈る「やわらぎ」の神事など、独自の文化が残っています。

(やわらぎの神事)

 私の地元、荒川区は佐渡市と友好都市で、コロナ前まで、西日暮里の冠新道(商店街)で「あらかわ佐渡おけさ祭り」が開かれてきました。私は夫が新潟県出身という縁もあり、いつも参加してきました。
 パレードでは「佐渡を世界遺産にする会」の方々が、江戸時代に、佐渡から江戸まで「金荷(きんに)」の入った箱を担いで運んだ姿で歩いていました。「世界遺産登録」への思いを共有してきた私も、今後一層、実現に向けてがんばります。


 岸田総理は2月、佐渡島の金山のユネスコへの推薦を表明。夏から「イコモス(国際記念物遺跡会議)」による現地調査や書類審査が行われます。来年5月ごろ、登録の可否に関して「イコモス勧告」が出され、その後、ユネスコ世界遺産委員会が、勧告をもとに登録を判断します。
 平成27年に登録された「明治日本の産業革命遺産」については、韓国が「強制連行や強制労働があった」と主張。それに対し、日本はその主張に全く根拠がないことを、官民挙げて証明してきましたが、佐渡島の金山では「江戸時代のみ」申請しており、議論が起こる余地さえありません。