昨年9月に亡くなった竹下亘さん(復興大臣・予算委員長・党総務会長などを歴任)のお別れの会に参列しました。(14日)


 2000年初当選の同期です。若くて元気だったころの遺影や、国会、選挙、大臣時代などの写真が飾られているのを眺め、がん闘病中の痩せた姿の残像を払しょくしてくれました。同期で引退後は大学学長を務めている西川京子さんと「ハンサムというわけじゃないけれど、すらりとして頼りがいがあって、かっこよかったよね」などと懐かしみました。



 同じ島根の細田博之衆議院議長と、竹下さんの後を継いだ平成研究会会長の茂木敏充幹事長が弔辞を述べました。司会は私たち同期の小渕優子・党組織運動本部長。竹下登元首相(亘さんの兄)を小渕恵三元首相(優子さんの父)が支えたという間柄で、生前の亘さんは優子ちゃん(私たち同期はそう呼んでいます)を、娘のように大事にしていました。

 献花後、安倍元首相と一緒に数々の写真を眺めました。竹下登さんが総裁に選ばれて万歳をしていた写真で、私が後段を指して「お父様(安倍晋太郎元外相)ですね」と言ったところ、安倍さんは「『万歳』がちょっと遅れているね。悔しかったんだろうな」と。

 竹下さんが復興大臣になった時の記念写真(官邸階段)を前に、安倍さんが「ここに写ってるね」。最前列中央はもちろん安倍総理で、その後ろには赤いドレスの私の姿(法務大臣)もあったのです。
 私は「総理は、皇居で待つ間に『復興大臣は名前が通っていて、信頼される人が被災者の方々に安心を与えていいんだ』と話してましたね」と話すと「うん。あの時は復興計画を少し変更する重要時だったからなあ」。被災地の視察に安倍総理と竹下大臣が一緒に移っている写真を見ながら、私が「竹下さんもそうだけど、安倍さんも若かったですね」「変わってないつもりだけど、あの頃、確かに若かったね(苦笑)」という会話をしました。

 



 同期の梶山弘志前経済産業大臣や後藤田正純議員、吉野正芳元復興大臣、さらに今は議員でない元同僚とも一緒に思い出にひたり、「4月か5月、竹下さんが眠る世田谷のお墓参りをして、そのあと偲ぶ会で、彼も好きだったお酒を飲もう」と幹事役の私が提案しました。