ウクライナ避難民の大半を受け入れているのが、隣国ポーランド。

 「ウクライナの国境には、ポーランド全域から人々が自発的に集まり、避難民の方のこれまでの苦労を癒すため『快適な環境を提供してあげたい』と、自分の住む町の名前を書いたプラカードを掲げ、車で連れて帰り、自宅に迎えています。だから、収容施設はありません。全国から必要な物資が集まり、配布しきれないほど。第2次世界大戦の時(ドイツとソ連に東西から攻め込まれ)『誰も助けてくれなかった』つらい経験がもとになっています」とパヴェラ・ミレフスキ駐日ポーランド大使。11日開かれた、日本・ポーランド友好議員連盟の緊急会議での話に心打たれました。

 

 ポーランドはウクライナと、ロシアの飛び地に接している唯一の国です。

 大使によると、パスポートなど一切の書類なしで、逃げてくる人を受け入れており、①ウクライナからの避難民に特別なIDを発行②ポーランド人と同じように就労でき、行政サービスを受けられるようにする③子どもたちが学校に通えるようにする④医療や精神的ケアの提供を、国会で決め、今後、法整備を進めるそうです。

 

 また、鉄道を初めとする公共交通機関を避難民に無料で提供し、支払いを受け取らない飲食店、サービス業の店も多くあるそうです。

ちなみに、「ポーランド語とウクライナ語は別の言語だが、何とか基本的な意思疎通はできる。ただ、子どもたちの学校では、今後、ポーランド語を教えるクラスも設けることになるだろう」と長期の支援を見通しています。

 

 ウクライナからポーランドへの避難民は、現在140万人。「1日10万人ずつ増えていくペース」と話します。大変な負担です。

しかし、東京のポーランド大使館にも「ウクライナやポーランドへの支援の電話が鳴りやみません」と感謝しつつも「物資は今は送ってもらっても、余る状態」と再三繰り返しました。

 

 会議の冒頭、大使は、ポーランドのかつての大統領(故人)が2000年代初めに語った言葉を引用しました。「ロシアはウクライナを制圧したら、必ずバルト3国、そしてポーランドに来る」というものです。

ウクライナとバルト3国(エストニア、ラトビア、リトアニア)は、旧ソ連の一部であり、ポーランドは独立国という違いがあります。しかし、第2次世界大戦後、長くソ連圏(東側)にあって抑圧され、今も「陸続き」の恐怖を感じ続けているのです。ですから、ウクライナのことは、ひと事ではないのです。

 「ウクライナの人々は、自由を守り、主権国家を守るために戦っている。ヨーロッパ全体、西側の価値観を守るためにも戦っている」と共感を示しました。

 

 「ポーランド国民は、どうしてそこまで避難民に尽くすのか」という私の質問に対し、大使は「第2次大戦を通じてポーランドがどれほどひどい目にあったか」と述べました。

 「1939年9月1日、ドイツがポーランドへ侵攻。17日後にソ連が侵攻。その時の記憶、どこからも助けてもらえなかった思い出が国民にある。だから、圧倒的な大国に攻め込まれているウクライナを何とかしてあげたいという思いが込み上げてくるのです」と語りました。

 

 私はポーランドを2回訪問。ワルシャワ蜂起博物館を現地の人に案内してもらって、じっくり回った経験があります。

大戦中、ナチス・ドイツに占領されたポーランドに対し、東からソ連軍が進出。1944年夏、ドイツとソ連が激しい戦いを展開。ソ連のラジオでの呼びかけに応じて8月1日、ワルシャワ市民は蜂起し、多大な犠牲を払いました。ソ連軍はワルシャワの10キロ手前に待機したまま、助けようともせず、ドイツ軍が完全に撤退して安全な状況になった後、ワルシャワ入りし、戦後体制の枠組みを作ってしまったのです。

 

そうした事情を抱えるなか、大使は、EUのロシアへの制裁について「資源をロシアに依存しているドイツでさえ、政策を180度変えた。プーチンは意外だったと思う」とEUの一体感を評価しつつも、これまでのEU内事情について、

「旧西側の国(フランス、ドイツなど)は、これまで、ロシアとの貿易のうまみ、ウィンウィンを求めてきた。一方、私たち中・東欧の国はロシアの脅威から『防衛費を増やそう』と西側にさんざん注意を促してきた。NATO加盟各国の防衛費を対GDP比2%以上にすべきだと一番強く主張したのはポーランド。ポーランドは現在2.5%。来年は3%にする」と旧東西陣営の違いを説明しました。