ユネスコの無形文化遺産に登録されている日本の5つの伝統芸能―歌舞伎・文楽・能楽・雅楽・組踊(くみおどり、沖縄の歌舞劇)―特別展が上野の東京国立博物館で3月13日まで開かれています。

 細かい刺しゅうがほどこされているなど、みごとな装束や小道具、楽器なども「写真可」のものがとても多く、これまで縁のなかった方にもぜひ見てほしいと、自民党の文化立国調査会長代理の立場からも思います。少しは舞台を観ている私も、新しく勉強することがいっぱいありました。

 

 5つの伝統芸能のうち、最も歴史が古いのが雅楽です。5世紀から9世紀にかけて、中国や朝鮮半島から伝来した楽舞を日本で整理、集成した古代の宮廷芸能です。演奏のみの「管弦」と舞を伴う「舞楽」があります。

 10世紀以降、唐楽(とうがく、中国系)を担当する左方(さほう)と高麗楽(こまがく、朝鮮系)の舞楽を担当する右方(うほう)に編成され、左方は赤っぽい装束で、右方は緑っぽい装束です。展示しているのは、すべて宮内庁式部職楽部で実際に使用している装束類だそうです。ふだんは、宮内庁のお仕事をされているので、一般向け実演会は皇居や国立劇場(半蔵門)でそれぞれ年に1回程度、行われるだけだそうです。

 

 次に馴染みが薄いのが、組踊でしょう。江戸時代、琉球王朝は、薩摩藩と中国の両方の影響下にありましたが、中国からの使者「冊封使」(さっぽうし)をもてなすため、踊奉行を置き、そこで1719年に考案されたのが「組踊」です。紅型(びんがた)のすばらしい衣裳や独特な大団扇(おおうちわ)、や花笠がありました。「国立劇場おきなわ」(浦添市)所蔵です。

 

 文楽イコール人形浄瑠璃は、江戸前期に大坂(当時の書き方)で生まれました。

 義太夫節という浄瑠璃に合わせて人形を遣うのですが、18世紀半ば以降、現在まで一体の人形を三人で遣う「三人遣い」が中心で、足遣いの人はお客様から見えないそうです。

 人形の大きさも様々、首(かしら)や装飾に仕掛けがあります。

 私自身は文楽を一度だけ鑑賞したことがありますが、「人間が三人がかりで人形に演じさせるなら、人間自身の演技を見た方がいいなあ」というのが率直な感想でした。

 

 能と狂言を合わせて能楽と呼びます。ルーツは鎌倉時代の猿楽ですが、観阿弥、世阿弥父子が芸術に大成させました。

 厳粛・優美な仮面劇である能に対し、狂言は笑いの要素が強い会話劇で、明るく滑稽です。

 能はかつて武家のたしなみとして能楽堂を持つ大名も多くいました。

 台東区には能楽連盟があります。毎年、新春謡初めは、服部征夫区長が「うたいませ」と発声し、開始します。

 

 さて、最も有名な歌舞伎。私が好きになり、しばしば観劇するようになったのは50代半ばになってから。昔、新聞記者時代に職場のレクリエーションとして同僚たちと歌舞伎を観に行った時は、イヤホンガイドをつけても意味が分からないし、眠気が先立ったことを思い出します。

 「暫」(しばらく)は、初代から四代目までの市川團十郎が初演をした荒事芸を集め、七代目團十郎が制定した「歌舞伎十八番」の一つ。鎌倉権五郎景政の素襖、長袴の武士の正装、藤娘、白拍子などのすばらしい衣裳の展示がありました。(五輪開会式で披露)

 

 

 化粧「隈取り」(くまどり)が「筋隈、一本隈、むきみ、二本隈、赤っ面、公家荒、猿隈、変化隈(土蜘)、半道敵、火焔隈」(隈取の色の意味は、正義感、血気盛んな若さ=赤、敵役=青、鬼や妖怪など人間以外=茶)といった役柄ごとにずらりと10枚、並べられ圧巻でした。

 

 なお、日本の伝統芸能を保存するために、東京の国立劇場(半蔵門)、国立能楽堂(千駄ヶ谷)、国立文楽劇場(大阪)、国立劇場おきなわの4劇場があります。

 歌舞伎役者は、浮世絵の華。江戸中期から明治にかけては鮮やかな錦絵に描かれました。

 

 映画フィルムとして初めて重要文化財に指定されている、日本人によって撮影された現存する最古の映画「紅葉狩」を明治32年(1899年)に9代目市川團十郎が見て「自分は60年間役者をしているが、自分の振りを自分で見たのはこれが初めてだ」と語ったと言われています。この6分間の映像も見られます。

 なお、会場となっている東京国立博物館の表慶館(東博にはいくつも建物があり、そのひとつ)は、明治の名建築家、片山東熊が手掛けたもの。赤坂・迎賓館と同時期に設計しており、共通点が多い。階段から見上げる天井の装飾も美しく、カメラを向ける人の姿もありました。