パキスタンのアハマド駐日大使と日本・パキスタン友好議員連盟の衛藤征士郎会長らとともに12月初め、南麻布の大使公邸で会食しました。私は議連の幹事長を務めています。

 アハマド大使は4度目の日本赴任で、もちろん日本語はペラペラ。いまも暇を見つけては帯広(北海道)や木更津(千葉)の「友人の農園」で長芋の収穫などを手伝っているそうで、面積を表す「70町歩(ちょうぶ)」(1町歩=1辺が100メートルの正方形)という言葉が大使の口から出てきたことに驚きました。

 議連メンバーが2018年にパキスタンに出張し、カーン首相と会見した時も、現地外務省の日本担当として同席してくれた人です。

 今年8月、アフガニスタン危機の際、日本はパキスタンに大いに世話になりました。(日本の外務省はあまり公表したがらないですが)

 邦人救出のために派遣された航空自衛隊輸送機2機がパキスタンの首都・イスラマバードを拠点とし、そこからカブール(アフガニスタンの首都)へと向かいました。
しかし、タリバンの検問や米軍の空港ゲート閉鎖によってあまり成果を上げることができず、日本大使館やJICAに勤務するアフガニスタン人や、日本留学歴のあるアフガニスタン人を救出することが、大きな課題として残りました。

 カブールから陸路で国境を通過し、パキスタン北東の都市・ペシャワールに到着。イスラマバードへ着いたアフガン人も数十人以上いました。パキスタンに滞在するための査証発行などで、現地の日本大使館も力を尽くしました。
 空港再開後、日本に関係するアフガニスタン人の多くはカタール政府の協力で空路、首都・ドーハに向かいました。
両方合わせ、500人近い日本ゆかりのアフガニスタン人が無事、脱出に成功しました。

ところで、パキスタン東部には、紀元前のインダス文明の都市遺跡であるモヘンジョ=ダロや、ハラッパがあります。大いに憧れる私としては、パキスタンの治安が回復し、安心して行ける日を待ち望んでいます。