14日夕から15日未明にかけて皇居で行われた大嘗宮の儀に参列した。

天皇陛下が五穀豊穣と国民の安寧を祈られる宮中祭祀で、ふだんは観光客も入れる東御苑に建てられた社殿で、かがり火や松明状の火、提灯などわずかな明かりのもと、周囲のビルも見えない位置で厳かに行われた。

 

参列者は幄舎(あくしゃ)という屋外の参列席から100m近く先の悠紀殿(ゆきでん)や主基殿(すきでん)を見守る。悠紀殿に向かい合ったブロックは、最前列が旧皇族の方々。法務委員長として招かれた私は、2列目に着席した。

 

まず、悠紀殿(東日本)で儀式が行われた後、休憩をはさんで、主基殿(西日本)で同様の儀式が行われた。

 

悠紀殿の中で何が行われているか、まったく見えない。

ただし、天皇陛下が入ってこられるところや、時折、帳(とばり)が開き、悠紀殿に台など様々なものが持ち込まれたり、持ち出されたりする様子、そして最後に、「御菅蓋(おかんがい)」と呼ばれる大きな菅笠が用意されて、儀式を終えられた白い、御祭服に身を包んだ陛下が悠紀殿からお出になって歩まれる様子を拝見した。

 

天皇陛下が悠紀殿にお入りになられるときや、拝礼されるとき、また皇后陛下が帳殿に入られたり、ご退出になられたりした際には職員から私たちに「一同起立」「一同拝礼」と声がかかった。

 

また、儀式の最中には、かがり火をたく人、弓を携え、矢を背負った烏帽子姿の和装の「警国」の列、松明状のものを持って悠紀殿に控える人たちが度々交代する様子が見られた。

 

 聞こえてくるのは静かに流れる雅楽の演奏と、それに合わせた悠紀、主基両地方の稲舂歌(いなつきうた)。歌詞にはそれぞれの地名や祭礼を詠み込み、大嘗祭のために新しく作られた。

 

 

 悠紀国には栃木、主基国には京都が選ばれ、それぞれ「とちぎの星」と「キヌヒカリ」が献上されたが、選定する斎田点定の儀に使われたアオウミガメの甲羅は、江戸時代から続くべっ甲職人の6代目、荒川区に住む森田孝雄さんが加工した。

 

即位礼正殿の儀は、政府が主催し、昼間、外国の元首らを含む、招待客2000人が参列した一方、今回は510人が静かに見守る皇室行事で、対照的だった。