無料のサービスに私たちは甘えすぎている。いや慣れてしまっている。 | 本当に笑いたい時だけ笑えばいい:ミニマムに生きる



このブログも無料。だからなんともいえないけれど。「私たちは情報を発信すること=無料」に慣れてしまっている。

SNSというプラットフォームが有料だったら、こんなにも盛り上がらなかっただろう。

しかし、有料だったら個人が特定されるアカウントゆえ、あいまいな発言や誹謗中傷はなかったかもしれない。あくまで“しれない”としか言えないけれど。

 

Twitterが騒がしい。

認証マークが有料になり、お金を払えばだれでも付けられる。これはなりすましの思いツボだけど、無料サービスの限界を感じる記事が続く。Meta(FacebookとInstagram)も同じく。

インターネットは無料という意識。それゆえ、記事を書く人の質は落ち、安い金額で原稿を書かされる有能なライターもいる。

 

書き手には生きづらい世の中だ。

 

このブログを使いながらいうのもなんだけど、無料のサービスは突然なくなるということに何の不思議も持たずに暮らしてきた。だから、gmailはアカウントをもっているけれど、メインメールにはしていない。

無料ほど怖いものはないのだ。すべての情報は抜かれているし、読まれているし、プライバシーなんてまったくないと思っている。もちろん有料のサービスでも行われているかもしれない。

公園のベンチに座っても監視カメラに見られている、と言った人がいたけれど、監視社会。これは安全とともにプライバシーを奪う。どちらを選ぶか。監視カメラ以外にも今はドライブレコーダーに記録されることも多い。

私たちの行動なんて本気で調べられれば簡単に、いつどこにいて、何をしてなんて丸裸になる。

 

 

 

無料サービスでいうと、以前はyahooメールを仕事で使うのはどうか? と言われることもあったけれど、gmailならOKみたいな風潮になったのも不思議なこと。

 

無料で使わせていただいているサービスでは、知らぬところで情報を提供させられており、その情報が使われている。それは覚悟してなければならないこと。そして、突然使えなくなることも覚悟すべきこと。

 

いくつか使っていたブログもここにすべて集約した。そして同時にいつなくなってもしょうがないと思いつつ、日々書いている。

それは、TwitterもInstagramもfacebookも、そのほかのSNSも。

だって無料だからね。

 

お金払ってないのに、文句いえないじゃん、って思ってる。

 

世の中タダほど怖いものはない。

とタダで使っているブログに書くこの不思議。