尾張國一之宮、真清田神社さん。
祖父の家が徒歩圏内だったので、子供の頃よく訪れた場所。
おそらく今年のお正月以来の訪問を。記憶が曖昧……
広報の仕事は、社内にいると見えないことを社会の目から見ることが仕事のひとつだと思っている。
最近、とっても当たり前のことに気づけていなかったことを、友人からの一言で気づくことができたあの瞬間。
さて、これをどうするか?なのですが。
俯瞰って本当に難しいと感じた次第。
無意識にかかるバイアス。自分のいる場所が普通だと思うこと。
もちろん生きているその場所が中心なのだけど、少し外に出てみると全く違う世界が見えたりもする。
それをどう捉えるかはその人次第で。
それで救われる人もいるし、新しいことを始める人もいる。
こういうことってなかなか自分から動けなくて、外的要因で動いたら「あれれ!?」こんな世界あったの?とか、「こっちの世界楽しい」とか、「今まで悩んだことどーでもいいやん」とか、なる場合もあったり。
半径何メートル、半径何キロ? くらいで私たちは生きているんだろう?
もちろん実際の移動距離とは関係ないです。視界みたいなものかな?
なるべく多くの世界を見たいけれど、人生には限りがあるし、望んで見られる世界と見られない世界がある。
ただ多くの時間を過ごす“仕事”に関しては、義務とか“ねば”だけじゃない、ほんの少しでも wantがあると良いな、と。っていうかじゃないとキツいのではないかと。
若い人から、会社員に対するイメージが“仕事をやらされている”というネガティブな印象しかないと言われて、最近のニュースを見ると「確かに」と思うことも。
ただ世の中には、wantを求めた結果、会社員という道を選ぶ人も多くいるし。会社に所属しないとできないことも多い。例えば、薬の開発なんてまさに。もちろんそれ以外にも、組織でなければできない仕事はたくさんある。
だけど、そこがすべてではない。
中に入ってしまうと、見えないことが多くて、それしかないそれ一択になりそうだけど、そんなことないと思いたい。
もちろん変化にはリスクが伴い。そこには摩擦があり、痛みがあるかもしれないけれど。
Keepするか、Changeするか、選べる余白がまだあるような。
ただ思考が変えられないとKeepしか見えない。
人生で何を優先順位一番にするかは、自分で決めればいい。
何を選んでも、選ばなくても、選べなくても、それが自分なんだろうな。
いろんなことが起きすぎて、まずは今日、今、この瞬間しか信じられないのも、事実だったりする。