本当に笑いたい時だけ笑えばいい:ミニマムに生きる
作詞家・SDGsライター・音楽ライター・ビジネス系ライター・音楽専門学校講師・広報など。
人と会っているときは、悩みのないような爛漫さですが、
実は、ずっと心療内科にお世話になっています。
そんな日々を20年以上経って書くことができました。
カテゴリの「生きづらい日々」に書いています。
いろんな場所で文章を書いていますが、ここが一番プライベートな感じ。


こういうハンバーガー。久しぶり。

最近、少しだけ外出先では、ビールを飲むことがある。

ただ、1杯で満足する。

 

 

2017年が7年も前なのだ、ということに驚く。

7年あればいろんなことができたよね。

でも、ずっと停滞していたね。

と思うことが増えた。

 

混乱している。

今は悪くないけれど、このままでは苦しいと感じるようになった。

どうやら、長く続け過ぎた。

ただ、これは今が落ち着いているから、考える余裕があるんだろう。

 

今の場所にいつまでいるのだろうか?

2つのどちらかを選ぶのだろうか?
新しいことは始めないのだろうか?
自問自答。

 

いや、あの日見た、ミライを望んでいるし、現実になると思っている。

ただ、同時にブレーキも踏んでいる。

 

言い訳も考えている。

自分の病気では、きっとできないと。

ただ、始めたら病気はどうにかなるのかもしれない。

ダメなら、その時考えてもいい。

無駄に踏むブレーキはいらない。

 

その日のために、言葉はね。どうにかしたいよね。

あと、どこにいてもできること。

趣味も欲しいね。

 

未来が不安なのは、今に感じる意味が薄れて、そこに光が見えないからかもしれない。

だったら、動かせばいいんだよね。

誰かが何ををしてくれるなんてないから。

時にくる他力本願は、望まないものかもしれないから。

動く準備を始めよう。

 

想像もしない場所に行ってみるのも良いかもしれない。

臆病な私が、動くための必要なモノを集めて。

 

継続しない勇気


コーヒー豆も売っているコーヒー屋さん。

いろんな経験をしてきたけれど、まだまだ経験していないことはたくさんあって、初めてのときは、自分の感情に驚く。
そして、自分を知る。

これはOK。これはNG。

そして、得るものもあれば、失うものもある。

何より自分の反応に驚く。思いもしない言葉になって、迫らせた決断に恐れる。

避けたかった。



私にはダメなことだった。

ある関係がなくなった。

そして、再び手にしようとは思わない自分に気づいた。


誰かにとって何気ないことも、私には絶対避けたいことになることも。

そして、それは乗り越えたいことでははないし、乗り越える必要もないこと。



名古屋駅のホームにある、世界の山ちゃん。

 

気づけば4年が経っていた。4年前に始めていなかったらやっていなかったから、

これは活動的なひとつ。

だけど、他のことを始めていたら、蓄積された何かがあったかも、とも思う。

まぁ、ないものねだり。

 

最近、変化したくなっている。

実は、コロナ禍という理由と、それが楽という理由で、

同じものを着たり、持ったり、やったりの日々が続いていました。

これは、ミニマムにも通じるのだけど、4年も経つと傷んでくるモノもあって、

そして、似合わなくなるモノもあって、

変えよう、捨てよう、みたいになっています。

 

といっても、また色違いで同じもの複数買ったりしています。

セルフケアはかなり無視していたのですが、ちょっとやりたくなったり、

この変化はなんでしょうね。

まぁ、こういうことって自分で決めなくても、自然とそういう気持ちになるものなのね、

と感じています。

 

今回は、ほんとに自然に動いてる。

そうすると、外からも「もうそれやらんでいいよ~」みたいなことが来たり、

これまで考えてもみなかったことが来たりするもので、

おぉ、これを手放せるとか、あれを手にできるとか、思えてわくわくする。

 

同じことを続けることはけっこう大切なのだけど、

続ける理由を見失ったら、やめてもいいよね。

 

いろんなことを断捨離してきたけれど、自分ひとりで決められないこともあったりで。

それが自然に来ると、そっか、もう〇年もやってるもんね、その間に担当者何人変わった?

みたいな。

 

自分の意志を思い出そう。

行ってみたい場所や、思ってもみないところに行くのもありかも。
違う扉の外には、別の世界があるわけです。

 

徐々に違う場所に移動しているような、そんな気持ちです。

 



久しぶりに赤坂に行ったら、ハリーポッターの世界になっていました。
写真を撮ってみた。

 

ブログが久しぶりになりました。

これは、体調が良いから? そうかもしれない。

あとは、ちょっと仕事が忙しくなってきた。これはいいこと。

何かで埋めないと余計なことを考えるから。

ただ、埋めすぎると苦しくもなる。わがままなもんです。

 

先月、急に暑くなった夜に猛烈な救急搬送されたとき並みの強いざわざわがやってきて、これが続いたら終えるしかないことを考えてしまいました。

でも、薬を飲んでエアコンつけて体を冷やしたら戻ってこれた。

そのあと、2時間くらい調子よく仕事ができて、明け方に眠ったら普通の朝が来た。

このことはちゃんと病院の先生にも報告した。

 

正直、この経験はこれから生きていくうえで最大の恐怖となったけれど、これも乗り越えていかないと生きてはいけない。

 

さて、タイトルに書いたこと。

3日前に、突然USBメモリがクラッシュしました。ハード的に。どう頑張っても認識しない。

お金を出せば直す方法はあるのだろうけれど、これを前向きな機会と考えた。

最近は、ドライブも使っているので、USBに入っているのは日常的に使っているものと、そこにたまっていたもの。

たまっていたものは、正直あっても良いけれど、なくてもよいもので、自分で作ったものは、また作れるもの。そして、もう使わないものもある。

 

なので、必要になったら再度作ったりしながら、再構築しようと決めた。

外的要因によるデジタルデトックス。

そして、ドライブをこれまで以上に積極的に使うことの覚悟が決まりました。

 

共有しているデータは、共有のドライブに入れて、

自分のものは自分のドライブに入れて。

 

起きたことを悔やむより、どう捉えるか?

今後の予防はなにか?を考えていく。

分かっていたけれど、どっかで「大丈夫」と思っていたことが大丈夫でないと、再度思う出来事に。

 

テレビで見ていることはすべて明日は我が身なのだから。

誰かの話なんてないから。

 

自分を追い詰める生き方ではなく、少し余白を持ちながら毎日を粛々と生きていく。

遠い未来を心配するよりも、今の自分が今を少しでも楽しいと思えるように。

そして、楽しいは世の中的な楽しいではなく、自分の楽しいで良いということ。

旅行や美味しい料理や推し活がなくても、それが楽しければそれでいいじゃん!

趣味だって、一般的な趣味じゃなくてもよいじゃん!

 

これに気づけたら、けっこう楽になった。

プライベートな旅行は、この10年で1回しか行ってないけれど、十分に楽しいです。

外食をしたのは、何か月も前だけど、それでも十分に楽しいです。

 

だって自分でチョイスしたことだから。

 



おぉ、いい感じに富士山が撮れてる。新幹線の中から。

A席に座ることが多いので、富士山の写真をあまり撮らないのですが、

たまたまE席だったので。

 

さて、これもバイオリズムなのかもしれないのですが、

今、ビジネスコミュニティが苦手すぎます。

元気な人も苦手すぎます。

というと、私も十分に元気だと言われそうですが。

それは外面というもので、頑張っているんですよ。

自然にできるときもあるけれど。

あとは無駄にテンション上がってしまうときとか。

 

人とのつながり方で苦手なものがあって、

その場面に出会ってしまった。

それはそれで自分が苦手なものの確認になったのだけど。

 

自己主張をされることが苦しくて、

思わず黙る。

そんな感じ。

 

そういう場がね。なんだかダメでね。

じゃ、どうすんの?

仕事しなきゃいけないのでしょ、って言われるのは重々承知なんだけど、

たぶん他に方法があるんですよ。

 

ストレスは人を弱らせる。

だから、していい無理としていけない無理がある。

生きていくための最低の基準として。

 

それに気づけただけでも、OKとなる。