最近、中国嫁日記を読んでいるせいか、どうもこの言葉が頭に浮かんできてはいけない。

 

日本で中国語を教えている女性教師のもとに、東北の震災でのことをテレビにしたいと申し入れがあったけど、話を聞くと、答えありきの番組らしくて断って切ったという。

 

このことが頭にこびりついていて、そしてどうも、あ、そうかと云うことがあったのでひとつ。

 

みんなはいつ頃から世界がおかしくなったのか、といえば、1985年8月12日の日航機墜落事故以降、だと云う人がいますけど、それ以前よりおかしなことだらけだった。当時を知る人は、このことに関していったいどう思っているんだろう。

 

私は1984年の12月、この時からおかしなことをするなあと云うことが、テレビでふたつありました。(以前にも書きましたが改めて)

 

キン肉マンというアニメーションが、もともと金曜の夕方5時からだったにもかかわらず、それを日曜の朝10時に変更したこと。

 

それと当時公開されていた映画「グレムリン」このコマーシャル 

 

 

 

そう、こういったコマーシャル だったにもかかわらず、途中から、エキストラのような人たちが、(そのコマーシャルはYouTubeにはありません)

 

「面白かった」

「涙が出ました」

「感動しました」

 

なんて云っていたかは覚えていないがおおよそこんなもん。

 

そして最後に200人くらいがどこかの浜辺に束になって、「見にきてね〜〜〜〜〜〜〜〜」ときたもんだ。

 

おかしなことすんなあ、と当時は思っていたが、このコマーシャルがまさに今の40年後にテレビで放送されている。スッタフのたくさん詰まった名前なんで誰が見るもんか。

 

で、だ。

 

この当時のコマーシャルに限ったことではないと思う。私が見たのがたまたまテレビだっただけで、他にもおかしなことがあったのかもしれない。

 

当時が今、ということは、我々は、その答えがすでにあって、その答えに導かれるように、その答えになるように、過程を作られているのではないか?

 

1985年以降増えた暴力やセックスの情報。こういったものの中にあってはわからないだろう。けれどもすでに答えが存在し、そこに向かって我々の生活や文化が操られているとしたら、今我々は、一番単純なものを政府に乗っ取られて苦しんでいる。

 

税金だ。

 

右に左の我々を掌の上に乗せて、どうしようというのか?

 

答えはすでに決定しているのだとしたら。

 

過程を重ねて最終的に、もともとあった答えになるように世界を動かしていっているとすれば、その答えというものが、なんなのかは我々は知らない。

 

過去にあった出来事(答え)に近づけ、最終的に(我々の生きている時間を)同じものに重ね合わせていく。どうもそうらしい。

 

 

どうもそうらしい。