両親の生前は心配をかけてはいけないと無意識にも意識的にも、苦しくても辛くても父さん母さんって、頼りにするのはやめようと思ってました。

でも両親の亡くなった今は、なにかと両親の写真を見て助けてよおって思ってしまうんです。

掛け値なしに甘えられて、そのままの自分を出すことが出来るのはやはり、母や父だったんだなあと今さらのように思います。

よく亡くなった両親が近くに感じられるようになるよと言われます。

こういう感じを近くに感じるって言うのかな🙄

近い遠いの距離感と言えば。

母の葬儀で、姉と2週間過ごした日々がとても私には嬉しくて、心の支えともしてました。

同時に、あの2週間に執着してしまっている自分にも気がつきました。

姉と会話できるのが嬉しくて、些細なことでもラインしてしまったり。
気付けば、依存的になってしまっていました。
潜在意識の私の寂しさは底なし❓

わたしの場合、兄や姉とは年が離れている上に中学から寮に入って日常を共にしていませんでした。

なので兄や姉を近くに感じられるようになったのは、私が結婚してからでした。

多少、どう接して良いのかわからない時がありました。
ずっと変わらず末っ子の味噌っかす的な感覚。
甘えん坊ですね(⌒0⌒)/~~

でも社会人としての感覚が入ると、どう動くか戸惑いが生じる場面も。

まあ、姉とは会ってしまえば姉妹ですから、なんのことはないのですが。

どちらかと言うと内向きな私に対して、姉は聡明で社交的な明るい人で、私には今も憧れです。


主人も今は限りなく両親との距離感とほぼ同じ感じです。
ただ、主人は女子ではないからという面で面倒くさい(・・;)

女子だとツーカーで行くところいかないからね。
あと主人は持ち上げておかないといけないし。

今度は自分自身との距離感。

この前、ケーブルテレビを入れました。その作業員の1人がやたらと気を遣う方で、主人が反応しておりました。

自然に作業に集中すると良いのに💦と。

主人はその方に柔らかい言い方でその感じは、もっとこうすると良いよ🍀と。コミュニケーション。
柔らかいので、相手の方も自分も経験の上でこういう自分なんです。お気にさわったらすみませんでした。と応対してくれました。

こういう会話が出来る主人なんです。

でも後で、あの方は俺なんだなと言っていました。自分に集中して生きて来なかったんだ。周りをみてばかりでね。


私も気を遣う方ですが、主人には負けます。勝ち負けではありませんが(*^^*)

グループから外れそうな淋しそうな人には、よく目が留まります。
私は自分から挨拶しに行ったりする、おせっかいおばさんに早変わりします。
自分が持っているものに目が行くものです。

自分自身との距離感は周りの気になるものに現れるようです。

人の距離は面白いものですね。


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