また月日が空いてしまった、激動というか色々と動いてて変化のある日々だったから書きたかった事もあったのだが、明日書こう明日書こうと思ってたら2年弱空いてしまった。(実際はそんな空いてないのだが)
自分の中で夢というか大きな目標があった、それは努力して使うものではなく自ずと向こうから訪れてくれるものなのだが、その時を迎えてみると案外大したものではなく、何かが劇的に変わることも無かった。
つくづく思うのは人生というのは後悔の連続で、選択しなきゃいけない場面で選ばなかった道の事を永遠と勘案し続ける日々が続くという事だ。
自分が持っていた目標が目の前に現れた時、そして過ぎ去った時たくさんの後悔が押し寄せてきた感覚があった、本当に自分は幼稚だと思う、勇気を出すのは一瞬で後悔は一生残るというのにそれを分かっていても勇気が出なかった場面なんていくらでもある。
体だけ成長して大きくなっても気持ちは子供あの時のままらしい。
最近大人とは、子供とは何かについてよく考える。
自分は大人になれたのだろうか、他人から見れば子供に見えるのだろうか。
以前もブログに書いた事あるが自分は中学生の卒業式のあの日で人生が止まっているのだ。
高校なんて本当に通っていたのか?と思いたくなるほど思い出がない。
小学生だった自分、中学生の時の自分、高校に通っていた自分はみんな他人で、その時その時で違う人の人生を三人称視点で俯瞰して感覚に近いものがある。
小学生、中学生、高校生の時の自分を集めて話がしたい、高校生の自分なんて大学進学した事は喜びそうだけどそれ以外は今と対して変わらないだろうし、中学生の自分は中学校を卒業したらこんなにつまらない日々が待っている事を知るよしもないし、知らせるのもひどく残酷なもので知らせたところで許してもらえるはずなんてなくて、なんて言葉を掛ければいいのか分からない、でも今の自分は中学生の自分が1番愛おしくて、中学生だった過去と事実で今を生きてる節すらある
小学生の自分には軽薄かもしれんが学校は楽しいか友達と仲良く過ごしているのか聞いて、大変なんだなって慰めてもらいたい
でも日々というのは地続きなもので大人と子供の明確な違いなんて存在しなくて、子供たちのその延長上に大人たちは存在していて同じ世界、時間の中で生きているのだなと最近思った、後ろを振り返ればあの日のままの自分がこちらを見ているし、彼らにそれでもいいよ、と認めてもらえるように生きていたい。
今までの経験則から分かる様に数十年後とかの自分は今の自分が想像してもないような人生を生きていて、その時にもまた過去の自分と対話をしながらゆっくりゆっくり悩んで生きているのだと思う
そういう後悔の連続が人生を刹那的に切り取ったもの、それに積み重ねで出来てる。
これから桜の咲く時期になるがまさか春というものをこんな気持ちで迎える年が来るとは思わなかった
春という明るい季節は暗い存在を強調する側面を持つ気がする、やっぱり自分はここ3〜4年の間に吐く言葉はずっと暗いものだったし、直るべきタイミングで直らなかったのだろう。
何年生きるつもりで生きているのだろうか、そちらの問いの答えも用意しないといけない、未来は今のパロディでその今さえ過去のパロディなのだ
当たり前だが人生は後半に入っていて後2〜3年すれば大きな音を立てて終わる気がする、そしたら人として健全な日々を過ごし、燦々と照らす太陽の下を歩いてる自信はない。
労働とか人生って「ここまで来たら大丈夫」っていう区切りというかゴールが存在しないから本当に苦しい
ずっと永遠に、終わりまで苦しいままの時間が無数にあるだけ
もう考える事も疲れたし、大好きな友達と集まって笑った後に何も考えず2年ぐらい寝かせてほしいぐらいだ(大好きな5人が揃う事は無くなってしまったけど)
ただただ今は無灯火で登山するように生きている
約束しよう、死んでも生きても反故にならない約束を

自分の中で夢というか大きな目標があった、それは努力して使うものではなく自ずと向こうから訪れてくれるものなのだが、その時を迎えてみると案外大したものではなく、何かが劇的に変わることも無かった。
つくづく思うのは人生というのは後悔の連続で、選択しなきゃいけない場面で選ばなかった道の事を永遠と勘案し続ける日々が続くという事だ。
自分が持っていた目標が目の前に現れた時、そして過ぎ去った時たくさんの後悔が押し寄せてきた感覚があった、本当に自分は幼稚だと思う、勇気を出すのは一瞬で後悔は一生残るというのにそれを分かっていても勇気が出なかった場面なんていくらでもある。
体だけ成長して大きくなっても気持ちは子供あの時のままらしい。
最近大人とは、子供とは何かについてよく考える。
自分は大人になれたのだろうか、他人から見れば子供に見えるのだろうか。
以前もブログに書いた事あるが自分は中学生の卒業式のあの日で人生が止まっているのだ。
高校なんて本当に通っていたのか?と思いたくなるほど思い出がない。
小学生だった自分、中学生の時の自分、高校に通っていた自分はみんな他人で、その時その時で違う人の人生を三人称視点で俯瞰して感覚に近いものがある。
小学生、中学生、高校生の時の自分を集めて話がしたい、高校生の自分なんて大学進学した事は喜びそうだけどそれ以外は今と対して変わらないだろうし、中学生の自分は中学校を卒業したらこんなにつまらない日々が待っている事を知るよしもないし、知らせるのもひどく残酷なもので知らせたところで許してもらえるはずなんてなくて、なんて言葉を掛ければいいのか分からない、でも今の自分は中学生の自分が1番愛おしくて、中学生だった過去と事実で今を生きてる節すらある
小学生の自分には軽薄かもしれんが学校は楽しいか友達と仲良く過ごしているのか聞いて、大変なんだなって慰めてもらいたい
でも日々というのは地続きなもので大人と子供の明確な違いなんて存在しなくて、子供たちのその延長上に大人たちは存在していて同じ世界、時間の中で生きているのだなと最近思った、後ろを振り返ればあの日のままの自分がこちらを見ているし、彼らにそれでもいいよ、と認めてもらえるように生きていたい。
今までの経験則から分かる様に数十年後とかの自分は今の自分が想像してもないような人生を生きていて、その時にもまた過去の自分と対話をしながらゆっくりゆっくり悩んで生きているのだと思う
そういう後悔の連続が人生を刹那的に切り取ったもの、それに積み重ねで出来てる。
これから桜の咲く時期になるがまさか春というものをこんな気持ちで迎える年が来るとは思わなかった
春という明るい季節は暗い存在を強調する側面を持つ気がする、やっぱり自分はここ3〜4年の間に吐く言葉はずっと暗いものだったし、直るべきタイミングで直らなかったのだろう。
何年生きるつもりで生きているのだろうか、そちらの問いの答えも用意しないといけない、未来は今のパロディでその今さえ過去のパロディなのだ
当たり前だが人生は後半に入っていて後2〜3年すれば大きな音を立てて終わる気がする、そしたら人として健全な日々を過ごし、燦々と照らす太陽の下を歩いてる自信はない。
労働とか人生って「ここまで来たら大丈夫」っていう区切りというかゴールが存在しないから本当に苦しい
ずっと永遠に、終わりまで苦しいままの時間が無数にあるだけ
もう考える事も疲れたし、大好きな友達と集まって笑った後に何も考えず2年ぐらい寝かせてほしいぐらいだ(大好きな5人が揃う事は無くなってしまったけど)
ただただ今は無灯火で登山するように生きている
約束しよう、死んでも生きても反故にならない約束を
