昼休みに郵便局に荷物を取りに行った。

「何か自身を証明できるものが、ありますか?」というので、運転免許証を提示しようとした。しかし、財布の中にあるはずの運転免許証がない。

 

どうして、財布の中に運転免許証がないんだっけ?俺はさっぱりわからなかった。住所を証明するためにと思って、俺あての公共料金の通知書を持ってきていたので、最終的には郵便局で荷物を受け取ることができたけれど、運転免許証を俺は「いつ・どこで」なくしたのだろう。

 

最後に運転免許証を使ったのは、年末に、段ボール5箱分の大量の本を売ったときだった。身分証明のために、セブン・イレブンで免許証をコピーしたんだった。

 

「家のプリンターでコピーできるのに、わざわざセブン・イレブンでコピーする?」

理性的な今の俺ならそう思うが、あのときの俺は、コピーを取るならセブン・イレブンに行かなくてはと思い込んでいたような気がする。

 

「もしかしたら、セブン・イレブンでコピーをしたときに、運転免許証を持ってくるのを忘れたのかも。」

運転免許証のコピーをしたセブン・イレブンは郵便局の近くだったので、寄ってみた。

 

昼時で混んでいるかと思ったが、思いの外、セブンに・イレブンは空いていた。

「10日くらい前の話なんですが」と俺がレジにいたおばさんに声をかけると「10日?」と不満そうな声を出した。

「ええ。その頃に、免許証の忘れ物がなかったでしょうか?コピー機の所に。」

「ちょっとお待ちください。」おばさんはレジの後ろにある部屋に入り、それから免許証を持って出てきた。俺の免許証だった。

俺の名前を確認して「大切なものですものね。」と言いながら、渡してくれた。

 

俺は意外と簡単に見つかったことと、あっさり免許証を返してくれたことに、すごく感謝したし驚いた。

 

そして自分自身に対しても、この10日間、運転免許証不携帯だったにもかかわらず、気にもしていなかったことに驚いた。

 

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週末にどこか暖かいところに行こうと思って、フィリピンを考えていた。でなければタイでもいいや。

 

たまったJALのマイレージで行くつもりだったので探して見たけれど、ちょうどいい飛行機がなかった。3連休をまるまる2泊3日の旅行にするつもりだった。

 

唯一そのスケジュールで飛行機があったのは、中国の大連行き。「大連じゃ、寒いよな。」と思ったけれど、せっかくの3連休なので、そして休みの日にしっかり休める部署に来た記念に大連まで行くことにした。

 

そういえば、祖母の父は満州鉄道の顧問弁護士をしていて、祖母も大連に住んでいたことがあるということだった。その優しかった祖母も随分と前に亡くなった。運命みたいなものなのかもしれないな、と思った。

 

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仕事が終わった後、職場で着替えをして、そこから予約してあった成田空港近くのホテルまで行く。

 

具体的には、上田駅までまずは歩く。そこから新幹線で東京駅まで行き、総武線の快速に乗り換えて成田駅まで行く。成田駅からはホテルの無料バスが出ている。

 

無料バスは外国人で混んでいた。いくつかのホテルを回るバスだったが、複数の外国人客が酔っ払って大声で話すので、ドライバーの声が聞き取れない。次にどこのホテルに止まるのかがわからない。スマートフォンで、バスの現在位置を確認する。こんなことができるなんて、便利な世の中になったものだ。

 

ホテルに着くと、フロントの人が「大きめの部屋をご用意させていただきました」と言う。「それは、どうも。」と答える。理由は全くわからなかったが、別にどうでもいいや。

確かに部屋は広いツインでベッドもダブルサイズだった。

 

翌朝、起きて鏡を見た。「うひゃあ。」と思うほど顔がむくんでいた。のども痛かった。

以前、顔が腫れたときは、原因は日焼け止めによるかぶれだった。今回は、顔に何も塗ってないのに、どうしてこんなに膨れているのだろう?

 

これから零下20度近いところに行くのに風邪かあ、と思ったけれどまあ仕方がない。顔の腫れは、ただの太りすぎだと思うことにした。

 

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飛行機を降りて、思ったのは意外と暖かいことだった。気温は3度。

 

タクシー乗り場まで歩いて行ったら、白タクの運ちゃんにつかまる。ホテル日航まで100元だという。高いのか安いのかよくわからないが、頼んでしまう(ちなみに帰りのタクシーでは、同じ距離だったのに40元も行かなかった。まちがいなくぼったくりだ。)。

 

ホテルに着いたのは現地時間で11時頃だった。ホテルに荷物を預けて、それから市内を散策するつもりだった。ところが、そのままチェックインできるというので、部屋に荷物を置いて一休みした。。

 

wifiも通じるし(オープン回線なのが多少気になったが)、特に問題はないようだった。

 

荷物を持ってロビーに行く。ホテルのコンシェルジュと話しをして、日曜日には朝9時からホテルの車を1台貸し切って観光をすることにした。14時までの5時間で600元。高いのかもしれないけれど、頼んでしまう。

 

それから街に出た。中山広場や、友好広場とかに行ったが、特にどうということはなかった。途中で、金色の帽子をかぶった女の子が、声をかけてきた。旧大連市役所を背景に彼女のスマホで写真を撮ってほしいという。2枚ほど撮ってあげた。

 

それから大連駅まで歩いた。お腹が空いたので、ホット・ポッドと英語で書かれていた店に入った。店員は1人だけで、お客はいなかった。

 

俺は注文の仕方もわからなかったので、いろいろと聞いた。野菜と貝類の具を選んでボールに入れる。それから麺を選ぶ。そうすると、重さを量って料金が決まり、支払いまでできてしまう。あとは料理をする人が、辛い鍋にしてくれるのを待つだけだ、30元だから500円くらいだろうか。安いなあ、と思う。できあがるのを待つ間にビールを2本も飲んでしまった。

 

そのまま、マッサージ店に行く。耳の穴に紙のようなものを入れて、チリチリと燃やすのがすごかった。力強いマッサージだった。299元だから5千円くらいかあ。日本に比べたら遙かに安い。

 

夜は飲みに行った。自己嫌悪になりそうだから、いくら使ったかはここには書かない。計算もしていないし、する気もない。

 

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翌朝、7時30分頃に起きた。昨日、1時過ぎまで飲んでいたせいで気持ちが悪い。観光の予約をしてなければもう2時間くらい寝ていたかった。

 

風呂に入ってシャワーを浴びたら、少し気分がよくなった。支度をして9時前にホテルの入り口まで行くと、昨日とは別のコンシェルジュとドライバーが迎えてくれる。ドライバーと2人だけだが、彼は英語も日本語もしゃべれない。なんとかなるだろ、と思った。

 

最初に行ったのは会見場。乃木将軍がロシアの大将と調印をした場所だという。文化大革命時に壊して、その後、再建した。

 

説明を聞き終わり、当時の物が陳列されている場所に行く。いろんな品物の説明を受ける。男装の麗人と呼ばれた川島芳子の置き時計もあった。オメガだという。パチンコ玉のような銀色の玉が、傾いた板の上に載っている。くねくねと曲がった溝を伝って片方の端まで行くと、板がシーソーのように傾きの向きを変える。銀色の玉は、再び溝を伝って転がっていく。その周期的な動きで時間を計算するのだろう。印象深い構造をしていたが、写真を撮るのは許されなかった。

 

「ところで」とガイドが言う。「この会見場は中国人には人気がありません。来るのは日本人だけです。」確かに日本とロシアが戦いを終結した場がたまたま中国だったからといって、中国人は興味がないよなあ。

「雨が降ると、この会見場は雨漏りがします。でも修復するお金がありません。」ほほお。

「ついては、ここの陳列品、寄付金込みでどれでも1万円でお売りします。」

「あの、オメガの時計も。」

「あれは42万円です。」

 

俺は、水晶でできており、ルビーも埋められているという満州鉄道の幹部用の懐中時計を1万円で買った。中国人は満州鉄道も大嫌いで、誰も欲しがらないのだという。俺の曾祖父もこの時計を目にしたのだろうかと思いながら買った。「絶対に本物」とガイドは言うが、それが本当かはわからない。

 

その後、203高地に行った。夏は桜が咲き(夏に咲くらしい)、観光客でいっぱいになるそうだが、今は客など誰もいない。俺を連れてきたドライバーは英語も日本語も通じず、俺も中国語は全くしゃべれない。あっちの方へ歩いて行け、身振りで言うので、歩いて行った。

 

大きなアスファルトの道が続く。ドライバーに渡された水を飲む。まだ昨日の酒が残っている。そういえば、先に見た「会見場」で、ナツメの木の下でたたずんでいる乃木将軍とロシアの大将の記念写真を見たが、前日に飲み過ぎて、参加者全員、2日酔いだったそうだ。そういえば、確かにそんな風にも見えた。

 

「長い道だなあ、まだつかないのかなあ。」途中で引き返すことまで考えた。でも、冷静に考えると標高203メートル(元々は206メートルだが、砲撃で3メートル標高が低くなった。)なんだから、そんなに距離があるはずがない。俺しかいないので勝手なペースで歩いた。大きな駐車場を過ぎ、そこからは幾分、細い道を登る。頂上には乃木将軍が揮毫したという砲弾型の碑が建てられている。ロシアの大砲のレプリカもあった。

 

ここから旅順港が見えるのだろうか?見てみたが、霧で何も見えなかった。

 

そのあと、旅順の灯台を見て、それから旅順港にも行った。軍港としても使われており、写真撮影は禁止されていた。

 

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それからマッサージにまた行って、夜は、あまりうまくもない牛肉入りのラーメンを食べて、ビールを飲んだ。昨晩、飲み過ぎたので、ホテルでゆっくり休むつもりだった。

 

風呂に入って寝ようとしたけれど、なかなか寝られず、ホテルのレストランに行った。ビールを飲んで、チキンライスという蒸したチキンとライスが別に盛られている、かなりまずい料理を食べた。でも満腹したので、部屋に帰って爆睡した。

 

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そして、また日本に帰ってきた。このブログに書けないようなこともいっぱいあって、すごくお金を使った。金銭的な面から言えば、俺はオオカミの群れに飛び込んでいった羊のようなものだったろう。ちょっと考えてみるとぼったくりに継ぐぼったくりだった。ちゃんと向き合う自信がないのでお金のことは考えたくもない。

 

でも、楽しかった。日本では決してできない経験だったことは確かだ。

 

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旅行中にユヴァル・ノア・ハラリの「ホモ・デウス 上巻」(河出書房新社)を読み終わった。

 

俺は、以前、何かの本で見つけて、それからわからなくなっていた「セレンディピティー」という単語に再び会えて嬉しかった。思わぬ物を偶然に発見する能力のことだが、適当な日本語がない(対応する言葉が「ない」ことはよくある。例えば英語には「曜日」という単語がない)。

これが欠けている調査隊や科学者は、同じ対象を見ていても何も見つけられない。特に考古学者や古生物学者には不可欠な能力だ。俺は、この能力に着目する必要性を強く感じていて、この言葉がもっと日本でも使われるようになればいいのにと思っている。

 

もう一つ、芝生の歴史はとても気に入った。あんな生産性のないものをどうして手間暇かけて設置するのか俺にはわからなかったが、昔から富の象徴だっことを紐解いている。読み終わってから「俺、やっぱ芝生いらないや。そんな身分じゃないし。」と思った。もともと農奴が雇える身分でないと、とても維持ができないものなのだ。

 

マルクスが予言した「資本主義は労働者の革命により滅ぼされ、共産主義になる」ことは、その予言がとてもよくできていたため、資本家も読んで研究し、そして共産主義になる道を回避したために実現しなかった、のだそうだ。よくできた予言書は、できがよいほど実現しない。なるほど。そういわれるとわかりやすいなあ。

 

「飢饉・疫病・戦争」を克服した人類は「不死・幸福・神性」の獲得を目指すらしい。その全体像を話すのがこの本の主題だが、周辺の雑学や考え方に示唆に富むものが多い。

例えば「飢饉」についての章では、かつてマリー・アントワネットが語ったように「パンがなければケーキを食べればいいんじゃない?」が現実になり、貧乏人は高カロリーで不健康なものを食べているという指摘があったりする。なるほどなあ。

 

全体として「サピエンス全史」よりもより読みやすく、示唆に富んだものになっている印象だ。前の「サピエンス全史」はすごく評判がよかったけれど、俺はこの内容ならカール・セーガンの「コスモス」の方がずっといいと思っていた。「ホモ・デウス」はいい。手に入り次第、下巻も読みたい。