平成21年の第2回から平成28年の第2回までの気象予報士の実技試験を、4月から6月までかけてなんとか1周した。俺は平成28年の第2回試験(平成29年1月)は、自分ではそこそこできたような気がしていた。SSIの符号の付け忘れさえなければ、受かっていたんじゃないかとまで思っていた。本当はどのくらいできていたのかを確認する意味もあって、勉強するのが少し楽しみだった。
今回、解説を読みながら解いてみた。この問題、とてつもなく難しい。まじで、こんなレベルの問題が出てたの?この実技の問題を解答を読みながら理解するのに、数日かかった。
この問題、本当に難しい。解答の際、高層のトラフが、地上低気圧を追い抜くことを2回も書かなければならないし、2回目に追い抜く地上低気圧は地上天気図に表示されてもいない。試験会場で、絶対に理解していなかった。この低気圧でいいんだよね、と思っていたのは、全然違う低気圧。
試験がまた1段と深くなったような気がする。もはや記憶では太刀打ちできなくなったというか、マジで気象予報士の素養がある人しか受からない試験になったというか、確かにいい問題だけど、俺には試験会場では絶対解けない気がしてきた。
7月後半は北京に2週間も行く予定になっている。もう1周できるのだろうか?中国語の勉強もしいないといけないしなあ。
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今週は金曜日に飲みに行った。1次会でたらふく食べて飲んだ。そしてそこで帰らずに一人だけで4次会までこなして12時過ぎに帰ってきた。
一応、記憶は一揃いそろっているが、残っているのも苦い。酔ったときのことを思い出すと、どこか遠くへ行ってしまいたいような気がする。
帰ってきたとき、ドアのポストに郵便局の不在連絡票が入っていることに気がついた。そんなことは翌日に回しコンビニで買ってきた、そばとうどんを食べた。腹がいっぱいだったはずなのに、これだけ食べるというのは、本当に酔っていたんだと思う。
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翌朝は当然のように二日酔い。実家に帰る予定だったが、雨が降っていることもあって、帰るのは日曜日の朝ということにした。
午前11時頃、少し快復したので目を覚ました。二日酔いの吐き気を我慢しながら、気になっていた不在連絡票を見る。
「交通違反センター」から配達証明の依頼が来ている。「交通違反センター?なんだそれ。」
郵便局まで取りに行ってこようと思い、シャワーを浴びる。シャワーを浴びながら、いったい何のことだろうと考える。気づかずに走行していてオービスで写真が撮られたのだろうか?それとも、覆面パトカーが写真だけを撮って、反則金を請求してきたのだろうか?
そのとき、ふと「俺は、実家から住所変更していないのに、どうして警察は今の俺の住所を知ったのだろう?」ということを考えた。免許証の住所も実家のままだ。今時の警察は、居所を正確に把握して反則金を請求することができるのだろうか?「ありえないよなあ。」と思った。
体を拭きながら、再び不在連絡票を見る。受取人の覧に俺ではない人の名前が書かれている。
それから、不動産業者に電話をして、受取人覧の名前の人が、このアパートのどこかに住んでいるのかを聞いた。届けるつもりだった。でも、住んでいないらしい。
それから郵便局に電話をした。てっきり「不在連絡票を捨てといて。」と言われるのかと思っていたら、取りに来るという。それで、待っていたら取りに来たので渡した。雨に打たれて、雨合羽が水浸しになっていた。
玄関で何度も「すみませんでした。」と言う。「いえいえ。お疲れ様です。」と答えた。「本当はあなた宛だったんですけど、書き間違えました」ってことじゃなくてほっとしていた。
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日曜日は実家に帰った。
実家のある地元でスポーツイベントがあって、それに参加した。それなりに面白かったが、夕方からの焼き肉大会に出られなくて、楽しさも半分といったところだった。
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志賀直哉の「小僧の神様」(新潮CD)を実家に帰る車のなかで聞いた。名作といわれるものを聞きたいと思っていた。
俺には、こういう小説の良さがさっぱりわからないことがよくわかった。
「好人物の夫婦」など、俺にはこの主人公のいったいどこが好人物なのかすら理解できなかった。
「俺は旅先で浮気するかも。」
「浮気なんてしないっておっしゃって。」
「じゃあ、旅なんかやめた。」
「それはよくないわ。いってらっしゃい。「たぶん、浮気しない」って言ってくれただけで、私は十分。」
というような、うんざりする話が延々と続く。くだらなさに腹が立ってきた。ちなみに志賀直哉は小説の神様と呼ばれているらしい。俺は、本当に小説を理解できないことがよくわかった。
読みながら思ったのが重松清で、彼の小説も、何が言いたいんだか俺にはさっぱりわからない。ただ世間的な評価は非常に高い。俺が間違っているんだとは思う。ついつい最後まで聞いてしまったけれど、最後まで本当に、ひたすらつまらなかった。金も時間も無駄にした気がした。
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帰りには、泉鏡花の「高野聖」(新潮CD)を聞いて帰ってきた。
旅の僧が、一人。飛騨から信州を目指す。途中で大量のヒルに襲われ、なんとか逃れた先に、一軒の家が建っている。そこには、美しい女がいる。僧を気の毒がり、川に連れて行ってくれる。裸にされて、体を洗ってくれるが、ふと気がつくと女もまた裸になっている。
そんな2人の様子を、親父はどこか承知している。女の亭主は、怪しい。
こっちの話の方がずっと面白い。難しい文体で、とても100%は理解できなかったけれど、内容はすごくよかった。泉鏡花のなかで、女は癒やしであり、そして魔性があるのだろう。
確かに、美しい女の手にかかれば、恐怖心がなくなることもあるだろう。癒やされることもあるかもしれない。しかし、ひとたび怒りに触れれば、ヒキガエルにされたり、猿にされたりすることもあるのかもしれない。恐ろしいが、しかしそこがまた魅力的なところだ。新しい感覚なのに、これが明治時代の小説なのかと思うと、どこか不思議な気がする。

