実家に2台の冷蔵庫があった。1台は大型のもので台所に、もう1台は小型のものがリビングルームに置いてあった。母は1人で暮らしていた間も来客が多く、2台の冷蔵庫はフル稼働していた。

母が死んでから数年経って、今度は俺1人で実家に暮らすことになった。俺は、台所にある大型の冷蔵庫が1台あれば十分だ。小型の冷蔵庫はプラグを抜いて、それから4年間、まったく動かさなかった。

長野市に転勤することになって、それまでプラグを抜いていた冷蔵庫を持っていくことにした。大きさがちょうどよかった。

引っ越し先で、引っ越し業者に冷蔵庫の位置を指示した。既にそういう区画があり、そこ以外にはあり得ない状況だった。後ろの壁にコンセントがある。すぐにプラグを差し込もうとしたら引っ越し業者に止められた。「冷蔵庫はすぐにはコンセントを入れないで、30分くらい経ってから入れてください。」理由はわからなかった。何かのおまじないなのかもしれない。

引越を手伝ってくれた女の子は、この冷蔵庫を見て「何、この古い冷蔵庫は。古っ。」と言った。「普通、男の人は家電にはこだわるもんじゃないの?こんな古い家電を使う男なんているんだ。」俺は、冷蔵庫というのは、外側がプラスチックで白くて四角いものだという認識しかなかったので、それが新しいものなのか、古いものなのかを即座に判断できるという能力そのものに驚いた。「こんなドライヤー、まだ使ってるんだ。ドライヤーも古っ。」うるさい。

冷蔵庫のプラグをコンセントに差し込むと、冷蔵庫のコンプレッサーやらモーターやらが動き始めた。正確には冷蔵庫にはコンプレッサーもモーターも付いていないのかもしれないけれど、とにかく、そういった内部の装置が動き始めた。音もスムーズだった。しばらくして冷蔵庫のドアを開けてみると、なかから冷気が漏れ出てきた。順調に冷蔵庫としての機能を発揮しているようだった。

冷蔵庫を見ていると、母がいた頃を思い出す。多くの知り合いに囲まれて、母は幸せそうだった。「人から力をもらうっていうことが、あるのよ。」と母はよく言っていた。この冷蔵庫はそんな輪の中の中心にいた。

夜になる。キッチンの方角から妙な音が聞こえてくる。給湯器の音だろうか?ときどき無音にもなる。どこから聞こえてくるのか探した。それら全ての音が、この冷蔵庫からの音だったことにようやく気がついた。

低周波の音は減衰しないことは以前から知っていた。低い音はどこまでも届き、実際に人に害があることも知っていた。だから、この冷蔵庫の音だとわかったあと、隣近所にも迷惑を掛けているんだろうなあ、と思ってはいた。

実際にうるさかった。布団に潜り込んでも聞こえてくる。慣れない間は冷蔵庫からの音で目が覚めてしまうこともあった。しかし、その音にも慣れた。

最近になって隣近所の部屋が深夜、大音量でテレビを見たり音楽を流すことが気になっていた。何度かオーナーに文句を言いに行こうとも思った。

ある朝、隣の部屋の大きな音量の音楽で起きてしまい、とても頭に来た。しばらく、布団のなかで腹を立てていたが、ふと「もしかしたら、これは冷蔵庫が音を立てていることの報復では?」と思いついた。それで、試しに冷蔵庫のプラグを抜いてみた。

10分ほどで、隣の部屋の音楽が消えた。「偶然?」とも思ったが、もう2度と冷蔵庫のプラグを差し込むことができなかった。

その日の昼休みに、昼ご飯を食べるのを諦めて、職場から離れた場所にある電器屋に冷蔵庫を買いに行った。小さくて、音が静かなものを買った。3万円くらいだったが、リサイクル料とかを加算されて、最終的には4万円ほどかかった。翌日、仕事を2時間休んで、冷蔵庫の設置をしてもらった。

その日の夜は、静かだった。隣の部屋は、しばらく大きな音で音楽をかけていたが、それも静かになった。静か過ぎるような気がしたほどだった。それから、隣近所の騒音は減ったと思う。音が減って、僕も安眠できるようになった。

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「こんなに眠っていたら、何かよくないことが起きるのでは。」8時間、眠った後そう思った。実際、8時間眠っても、眠たくて仕方がなかった。すっきり感がまるでない。

そして、朝起きて新聞を取りに行こうと思ったら足がもつれた。頭がふらふらする。こんな経験は初めてだ。これが「めまい」ってやつか。それから、今日までずっと、朝起きた後のめまいに悩まされている。

朝起きると、へんな浮遊感がある。仰向けになって、そのあとうつぶせにあると、魂が飛びそうな感覚がある。そして集中力が持続しない。それは以前からだろうと思うかもしれないけれど、勉強に集中している時間が、極端に短くなった。これは、俺のような資格マニアには致命的な欠陥だ。

ますます中毒のように、夜になると眠くなる。立っていられないほど、体中から力が抜けていく。もしかしたら、これが冷蔵庫の呪いなのかもしれない。

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今週末は長野市にいた。めまいはするし、よく気をつけていたら、昼間だって、ときどきフラッとすることがあるのに気がついた。机に座った勉強も全然できない。でも、ダラダラするのは大丈夫。映画を見たり、漫画を読んだり、DSで英単語や漢字検定の勉強をしたりしていた。

夜になって、生牡蠣を食べようと思って1人でオイスター・バーに行った。「お好みで、これをかけてお召し上がりください。」と言って示された調味料の中に、タバスコが入っているのを見たときは、「まじか。」って思ったけれど。生牡蠣を10個頼んで食べた。やはり日本の牡蛎はうまい。もう10個くらい食べられそうだったけど、やめておいた。

ワインやビールも飲んで、そのほかにサバも食べて、外に出たらまだ明るかった。

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「リミットレス」という映画を見た。
 
 
作家を目指して、ヒモのような暮らしをしている男が、1錠の薬を手に入れる。その薬は、脳を活性化させる。通常2割しか動かず、8割が寝ているという脳を10割動かすというものだった。

彼の作品はすぐに出版社に気に入られるが、金持ちになるなら、本を書くよりも、投資した方が早い。彼はより多くの薬を手に入れ、稼ぎ始める。そして、瞬く間に財産家になるが、副作用が彼を襲う。

決していい映画ではないし、ある意味、不道徳な映画だ。でも、もし俺が脚本家になったら、きっとこんな映画を作るんだろうなあ、という映画だった。とても興味深い映画で俺にはいい映画だった。

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「時計仕掛けのオレンジ」をまた見た。以前見たのは18歳のときだった。

その頃は英語なんてまったくわからないから、言葉がおかしいことにも気がつかなかった。刑事システムの基本構造も知らない頃だったから、世の中には、以前から「応報刑論と教育刑論の対立」があるなんてことも知らなかった。

ただ、俺が見たのは昔だったので、レイプシーンではスクリーン上をモザイクがあっちこっちに動いていた。今はそういう目障りなものはない。いい時代になった。

今回、また見てみて、相当強烈な映画だったことに改めて気がついた。なぜ、自分が「雨に唄えば」を聴くと妙に胸騒ぎを覚えるのかも、この映画が原因だったことに気づいた。

「応報刑論」については、価値的な同害報復だと理屈では知っていたけれど、この映画を見てその本質が初めてわかった。「おまえ達が悪いことをして国に被害を与えれば、国だっておまえ達に仕返ししたくなる」ってことなのか。まさしく応報。わかりやすいなあ。

この映画は、それこそ不道徳だし、下品だ。決していい映画ではない。だけど、こういう映画もたまには見た方がいい。映画のレンズは、映っているものしか映さない、ということも改めて理解できる。セットや小道具がすごいとすごい映像になるってことも本当にわかりやすくわかる。

人には決して薦める映画ではないけれど、見た方がいい映画だと思う。