昼休みに職場の流しの前でカップラーメンのお湯を入れていたら、通りがかったパートのおばさんが「それだけ?」と聞いてきた。
「ううん。あと、コンビニでサラダを買ってきたからそれを食べる。チョコレートも食べる。」
「サラダ?おしゃれですね。」という。
そっかあ?と思ったけれど「まあね。」と答えた。
「そこは、否定しないんだ。」と言って笑っている。
「うん。まあね。」
「ううん。あと、コンビニでサラダを買ってきたからそれを食べる。チョコレートも食べる。」
「サラダ?おしゃれですね。」という。
そっかあ?と思ったけれど「まあね。」と答えた。
「そこは、否定しないんだ。」と言って笑っている。
「うん。まあね。」
カップラーメンとサラダとチョコレートの昼食を食べながら「おしゃれなのかなあ?」と少し考えてみた。よくわからなかった。
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1月15日に父の命日を迎えた。2月8日に母の命日を迎える。そしてもし、AEDがなかったら、昨年の1月19日は俺の命日になっていた。
あの日、姉は、俺が倒れてから10分間くらい誰にも気づいてもらえずにいたとか、死ぬか植物人間になるなんて話をいろんな人から聞かされていたらしい。実際にはスポーツジムのトレーナーは、俺が意識を失い始める頃から、声がけをして、脈が弱ってからはすぐに人工呼吸と心臓マッサージをしてくれていたのだけれど。
俺が2日後に意識を取り戻したとき、姉が「私が誰かわかる?」と聞いたところ、俺は世界一めんどくさそうに姉の名前を言ったらしい。それまでの姉のドラマを知らないのだから仕方がない。知ってたら「ああ!お姉ちゃん!」くらいは言って泣いたかもしれない。
それからは俺が「仕事に行かなくちゃ。」とか「試験を受けに行きたい。」とか勝手なことを言って困ったのだという。そりゃそうだ。俺は言うだろう。全然、勝手なことじゃない。当然だ。
今日の日曜日は母の7回忌の法要をした。大きな会にするつもりははじめからなかったが、それでもいろいろと準備をする必要があった。仕事しながらあれこれと手配するのは面倒で、こういうときには「結婚していればよかったなあ。」と思う。
最近読んでいる小説によると、男が大成するには「大義と冒険とそれを支える善良な女」が不可欠らしい。俺の場合にはそのどれもがない。読みながら「ふーん。」と思った。
20日に大きな事故があり、担当者はこの週末はずっとその対応をしていた。俺のところにも進捗状況が伝えられる。そして俺もそれなりの指示を出す必要がある。
7回忌でもいろいろとあった。無事に終えたが、仕事もあったので、お酒は控えた。気象予報士試験のことも考えると、今はまだお酒なんか飲んでいる場合じゃない。
このブログをアップしたら仕事にも行かなくちゃ。
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気象予報士の試験が来週に迫った。仕事は相変わらずで、突発的な事故はあるし、大雪の可能性もあるしで、なかなか試験中心の生活というわけにはいかない。でもまあ、受験生の大半が、多かれ少なかれそういう状況だとは思う。俺の場合、深刻な事故があれば、試験自体も吹っ飛ぶけれど、それも誰だってそうだと言われればその通りだ。
試験勉強をしていると、自分の欠点がわかってくる。俺の場合、どうも俺は事実を情緒的なフィルターを通して見ているようで、先入観が強すぎる。科学者としては致命的な欠陥かもしれない。科学者でなくてよかった。
それは問題の読み方にも反映する。「予想と実況とで低気圧の中心気圧はどのように違うか?」という問題を、「予想と実況とで低気圧はどのように違うか?」と勝手に読み替えてしまう。聞かれているのは中心気圧のことだけなので、予想より高いか低いかだけを答えればいいのに、「予想よりも衰弱の度合いが小さい。」などと見当違いの答えを書いてしまう。先入観で、試験問題を俺がさらに難しくしてしまう。
それから思わぬ不注意も相変わらずだ。先日、自分が「積乱雲」と書くべき所に「積雷雲」と書いていて、笑った。まあ、確かに積乱雲の性質を考えると積雷雲というのも、悪くはない表現だけど、ひどい間違いだ。
相変わらず、時間をかけるべきところで手を抜いたり、どうでもいいところで考え込んでしまったり、同じ問題を何度も確認しなくては気が済まなかったり「俺はこういうやつなんだなあ」と反省することだらけだ。
人よりも早く計算ができたり(合理的な方法を考えつくことが多い)、読むスピードが速いことは数少ない長所だが、読み間違えると何の意味もない。冷静に冷静に。と思う。大勝負の前には、笑顔が大切とどこかの柔道選手が言っていて、俺も試験中に笑顔になったら少しは余裕ができるかもと思ったが、それはなかなか難しい。
試験は自分自身を客観的に見られるようになるし、自分に何が必要なのかも気づかせてくれる。俺は高校や大学への入学試験勉強がいい加減だったから、その分を今取り返そうとしているんだと思う。いまさらの感はあるし、結局のところ取り返しはつかないが、でもまあ、自分としても「努力は認める。」ってことになるんだと思う。
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ドン・ウィンズロウの「ザ・カルテル (上)」 (角川文庫)をかなり読んだ。読むのはだいたい風呂のなかだ。浴室が寒いので震えながら読み始めるが、長時間、お湯に入っていることになるので出る頃には体が温かくなっている。
麻薬の密売組織内部の、そして、外部との争いが描かれている。この本を読んでいると、結局のところ、フィリピンのロドリゴ・ドゥテルテ大統領のように、密売組織を次々に破壊し、殺してしまわなければ、麻薬密売なんか終わらないことがわかる。
逮捕して懲役刑に処したところで、世の中は変わらない。出てくれば元のビジネスに戻るだろう。アメリカやメキシコの場合、刑務所のなかからだって十分に麻薬組織を統制することができてしまう。
麻薬の密売はきれい事ではすまされない世界だ。麻薬を作り、それを必要とするマーケットに届ければ、巨万の富が得られる。失うものを何も持たない男なら、その世界で頭角を現そうと思うやつが現れてきても不思議はない。リアルに戦国時代のようだ。
俺はこういう世界を知らなくて幸せだと思う。俺がこの世界に足を踏み入れたらドジを踏んで真っ先に殺されてしまうだろう。ただ、思うのは、この世界でも生き残れるのは、結局のところ頭も運も肉体も強い人だけだということだ。
失敗したら、殺されるところがこの世界では違う。しかし、成功するために必要な資質は、多かれ少なかれ、どこの世界でも同じかもしれない。
