この1週間、毎日朝6時からNHKの「基礎英語」を聞きながら、10分間だけ腹筋運動をしていた。


どうして腹筋運動をすることにしたのかというと、風呂にはいるとき、自分の体を鏡で見て、強く必要性を感じたからだ。僕は今、誰もが「この人は腹筋運動が必要だ」と思いつくような体型になっている。


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今週は50名を超える人が参加した職場の「歓迎会」もあったが、僕は幹事長ということで、下準備から始まって司会までして、最後は全員の見送りまでした(ついでに、まだ年度当初で会費も集まっていないので、歓迎会費用の一部を貸した。)。だからそんなに飲むこともなく、翌朝の基礎英語も聞くことができた。


僕が聞いている6時から始まる基礎英語は、基本的には中学校に入ったばかりの中学1年生を対象にしている(と思われる)ので、そんなに実用性があるわけでもないけれど、時間帯がちょうどいいのと、他のラジオ局に比べればまだ聞く価値があるので、腹筋運動をしながら何となく聞いている。


ラジオは今年になって新しく買った、ソニーのICZ-R51という型のラジオで、タイマー付きである。


radio

タイマー付きのラジオはある程度の数が存在するけれど、このラジオの優れている点は、タイマーの元になる時計の時刻が自動補正されることだ。ほかのタイマー付きラジオはだんだんと時刻がずれていってしまう。


そんなわけで、朝6時になるとスイッチが自動で入ってラジオを聞いているのだが、土曜日には基礎英語の放送はない。6時からの放送はきっとつまらない放送なんだろうなあ、と思っていた。


腹筋運動を始めながら聞いていたら、流れてきたのは「文化講演会」だった。東京大学教育学部教授の斎藤兆史という方の講義で、タイトルは「新渡戸稲造の教養と修養」だった。


僕は新渡戸稲造のことは全く知らない。お札に載っている人だ、くらいの感覚しかない。


お札に載っているといえば、野口英世の方がまだ知っている。ウィキペディアで野口英世を調べると、趣味は「女遊び」なんて書いてあるし、結婚詐欺もしているし、ウィルスが病原体で顕微鏡では絶対見えないはずの病気の病原体を顕微鏡を使って「発見」しているし、なんだか怪しい科学者だなあ、という認識だ。きっと、借金をしては豪遊する人をお札に載せることで、お金の流通性を高めるという願いが日銀にあるんだろう、なんて思っている。


ところで、そのNHKラジオの「文化講演会」の内容がすごくよくて、僕は腹筋運動を終えた後もずっと最後まで聞いていた。まず、この東大の齋藤教授の声がいい。NHKのアナウンサーがしゃべっているんじゃないかと思ったほどだ。


日本人は職人気質を妙に認めていて「腕のいい職人は頑固でいい」ことになっているけれど、一芸のみに秀でている人でいいのか?均整のとれた人間的な発達が必要ではないのか?ということをこの教授はいう。教養をないがしろにして専門教育に傾斜しすぎているのではないか。金になる技術に目がいき、文化の面が置き去りにされているのではないか、と。


新渡戸稲造という人は、その点、極めて優れた人で、もともと語学を修めたが、農学も教育も修めた人であるとのことだった。彼の「武士道」という有名な著作は、実はカリフォルニアで静養中に英語で書かれたもので、私たちが目にしているのはその「翻訳本」なのだということも知った。


聞きながら、確かに日本人は「頑固な職人」の存在を認める民族だよなあ、と思っていた。外科系の医師などは高度な職人だけど、頑固な人が特に多いように思う。この教授は「そんなんじゃだめ。技術のみならずベースとなる教養も高めて、いろんな価値観を受け入れるようにならないと」と言ってくれるので、いいことを言うなあと思っていた。


ちなみに教養と修養は、明治時代までは同じ意味だったらしい。大正になって別れたらしいが、別れさせるべきではなかったと思う。あんまり関係ないが、僕は中学時代、現代教養文庫の本を読みあさっていた。僕の基礎の基礎は現代教養文庫によって作られたと言っても過言ではない。こういう良質の出版社がつぶれてしまうのは、残念でならない。


最近は社会そのものが、「努力を重ねて一芸に秀でている」という段階をブレークスルーする存在に対して注目しているようには感じている。
「世界的な発見をした科学者なのに、おしゃれ」とか「盲目なのに世界的なピアニスト」とか、「なのに」がある人に注目しやすいように思う。ただ普通に仕事をしている、頑張っているというだけの人では、だんだんと物足りなくなっているのだと思う。


例えば外科医の分野でブラック・ジャックの次に来るヒーローは「天才的外科医なのに歴史研究の第一人者」なんて人なのかもしれない。


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最近、「ホワイトカラー」というアメリカのTVドラマを観ている。


whitecollar

詐欺師がFBIのコンサルティングとして働く話しだ。働き始めるところはディカプリオの映画「キャッチ・ミー・イフ・ユー・キャン」に似ている。


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「事件が解決できなければ、再び刑務所に逆戻り」という厳しい設定の元で、主人公が必ず女を落とす技と明晰な頭脳で事件を解決していく。


全体として、ノリは軽く、事件もスイスイ解決してしまう。


このドラマを観ていることが、果たして自分にとってプラスになるのかどうかはよくわからないけれど、逆境で動じない主人公の態度には見習うべき点が多い。これからも見続けるのではないかと思う。


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今週末は穏やかな日々だった。職場に呼び出されることもなかった。近くのガソリンスタンドで、車を洗ってもらった。地元の行事で土曜日の朝と日曜日の夕方は出かけなければならなかったが、それ以外では特に用事もなかった。


僕は家の中の整理整頓をして過ごしていた。ドイツのことわざには「人生の半分は整理整頓である」というのがあるらしい。そのくらいの覚悟が必要だとは僕も思う。


そして、僕の家は僕がそれをしなければならない状態にある。結婚でもしていれば「ちゃんと掃除しておけよ」と言い捨てて会社に行けば、魔法のように家の中がきれいになっているのだとは思うけれど、結婚していないので仕方がない。


勉強はほとんど手につかず、そのほかにやりたい仕事もあったけれど、それも手につかなかった。知的な労働は、どうも今の僕には向いていない。


それでも、家の中が少しずつ片付いていくのを感じると、どこか嬉しかった。