僕が幼稚園の頃に、お世話になったシスターが、闘病中だというので、お見舞いに行くことになった。僕はカトリックの幼稚園に通っていたのだ。


週末の土曜日の朝早く、家を出て、姉をピックアップした。茅野駅で車を駐めて、それからあずさに乗って東京へ向かった。


シスターは長いことアフリカで活動をしていた。以前、お話を聞いたとき、もう70歳を過ぎているというのに、アフリカではバイクを運転していると聞いて驚いていた。


シスターの病気が重いことは知っていた。でも久し振りに会ったシスターの顔色は思ったよりずっとよかった。昔の話しをいろいろとしてくれた。
「あの頃は、私も若かったから。子供達を連れての遠足が楽しかった。今でもきれいな紅葉を思い出す。楽しかった。」
「思い出すのは、あなたのような教え子のこと。私は子供がいなかったから、あなたたちが本当の子供みたいに思える。あんな小さかった子が、こんなに大きくなっているなんて。」


シスターはアフリカでのこともいくつか話してくれた。
母も姉も、日本のお米や文房具など、アフリカにいるシスターに送っていた。お米が届くと、いろんな国のシスターと、ご飯を炊いて、おにぎりを作って、海岸で食べたことを話してくれた。海苔をまいたおむすびを、他の国のシスターも美味しそうに食べるのだという。


「あなたもそろそろ結婚しなくては。いい結婚ができるように祈っています。気の優しい女の子がいいんでしょ。」シスターが真剣な顔で言うので、「はい。まあ、はい。」と返事をした。気の優しい女の子がいいのかどうかは、自分でもよくわからなかった。


病室には1時間30分ほどいて、それからすぐに帰りの電車に乗って帰ってきた。
帰りの高速道路を運転しているとき、しばしば豪雨に襲われた。
姉を送って行ったとき、姉の夫に焼き肉をごちそうしてもらった。


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日曜日は天竜川でアレチウリというツル科の植物の駆除作業があった。僕も参加することになっていて、カマを持って作業をした。


2時間ほど作業をして、とりあえず終了ということになった。汗だくになって作業をしたが、まだ山のようにアレチウリは茂っていて、果たしてどれだけの効果があったのかは僕にはよくわからなかった。


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11月になったら法学検定のアドバンストを受けようと思っていたんだけれど、どうも気が乗らない。商法を勉強しようという意欲が湧かない。それで、ここのところしばらく考えていた。


それで、僕は今は理系の問題を解きたい気分なのだということがわかってきた。理系の問題にもいろいろあるけれど、いつかは取りたいと思っていた気象予報士を目指すことにした。僕は昔から「宇宙・気象・地球」の分野が好きだから。


とりあえずユーキャンのテキストをボーナスを使って一括で買った。正直、ユーキャンのテキストは今ひとつだと、以前、司法書士のテキストを買ったときから思っていたけれど、他に良さそうなのがなかったから仕方がない。あとは、独学でやるしかない。


そんなわけで、8月は診療情報管理士のスクーリングに行き、9月は診療情報管理士の基礎科目試験、1月に気象予報士の試験、3月にTOEICという流れでとりあえず勉強をしていくことにした。途中、1週間ほどバカンスにどこかに行く。


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山本真樹監修の「面白いほどよくわかる人体のしくみ」(日本文芸社)を読み終わった。


My Kiasu Life in JAPAN-jintainoshikumi

子供向けの本だが、この本を読んで、少しは体の仕組みがわかったような気がする。

特に、食べ物がどのように様々な消化管を通過して、消化されていくのか、とか、「血液の流れ」などはこの本を読んで理解が進んだ。
ナビゲーター役のポッキンというキャラクターが中途半端で、「どんなものか」とは思うが、子供向けの本なので、そういうあたりは、どうでもいいのかもしれない。


山崎正和さんの「山崎正和著作集 戯曲(1)」(中央公論社)は従兄弟から半年ほど前に借りた本だが、ようやく読み終わった。


My Kiasu Life in JAPAN-gikyoku1

こんな難しい戯曲を高校生時代に読んでいた従兄弟の能力はすごかったんだと改めて認識した。


こんな難しい戯曲を理解して演じきれる役者がもう日本にはいないと思う。「世阿弥」など生半可な芸術史の理解では、言おうとすることの前提が理解できないと思う。また、実際に能を観たことがない僕には理解が遠く及ばない。昔の人は偉かったんだと思うのはこんなときだ。


また、この戯曲が寄って立つ60年代の感覚が、もう現代の僕らにはない。例えば「動物園作戦」では「流行を作り出す」ことを事業とする若者を、まるでSFのように描いている。しかし、現代では広告代理店をはじめとしてあらゆる企業が、そのことに真剣に取り組んでいる。絵空事ではもうない。


そのほか、「凍蝶」では家族間で肉体関係を持ち合うなど、現代では到底、理解が得られないシチュエーションを前提とした舞台もあり、読んでいて「これはないな」と思った。


ただ、「誰かのため」に演じ続ける役者の「哀しみ」を僕は「世阿弥」のなかで感じたし、60年代特有の空気をこれらの戯曲を通して感じることができた。


それから何よりも「俺は一応、中央公論社から出版された「山崎正和著作集 戯曲(1)」は読んだことがあるよ。」というのが、小さな僕のステータスになったような気がする。名前を知っていても、本当に読んだことがある人は、そうはいないと思うから。


とにかく、こういうとてつもなく芸術的なレベルの高い戯曲を、高校時代に買って読んで持っていた従兄弟に、この本を長いこと貸してくれていたことも併せて感謝したい。