一昔前までは、飲み会というとお店から出入り禁止を言い渡されるぐらい大騒ぎをしたものだ。
俺も騒いでいたけれど、周りの仲間たちも俺に輪をかけたようなひどい飲みっぷりだった。
ウイスキーを飲むときに、友達にチェイサーを頼むと、「はい水。」なんて言いながらビールジョッキに入った日本酒を渡される。


その日本酒を「やっぱり水はさっぱりして、うめえなあ。」なんて言いながら、一気にあおっている友人の姿が目に浮かぶ。
あまりに飲み過ぎて、はしゃぎすぎて、注文しすぎて、全国でチェーン展開をしている居酒屋から「もう日本酒はありません。」なんて言われたこともある。


酔うと必ず下半身を露出してしまう癖のある友達の「屋上で花火をしたんですよ。ロケット花火を自分のお尻に突っ込んで打ったら子供たちが大喜び」なんて話しが飛び出す席では、飲み会での俺のささやかな暴言など、取るに足らないものだった。


最近は、飲み会の後ブルーになることが多い。
みんながかなりまじめに飲んでいるということもあるし、飲み会の場にはいても、飲まない女性が多いという環境のせいもある。
素面のときに酔っていたときの自分の発言を思い出すたびに「何を言ってたんだ、俺は」と頭を抱えたくなる。


昔は、2日酔いなど当たり前で、まともに歩けない状態で会社に行ったこともある。文字どおり這って会社に行ったのだ。
地下鉄で1駅乗ると吐き気がし、そのたびに満員の電車を降りて休んで、また乗った。
最後は、会社の最寄り駅の階段を苦労してよじ登り、タクシーで出勤した。


吐くのも当たり前だった。
会議で発言をするたびに、気持ち悪くなってトイレに吐きに行った。
「外務省の人が「あの人、あんな状態でも会議に出てきて発言するなんてすごい」って本当に感心していた。」
と喜ぶべきなのか、情けなさで泣くべきなのかわからないようなことを言われたりした。


最近は、年のせいか、2日酔いが怖くて仕方がない。
もう吐くような無茶な飲み方はしていない。
でも少し体調が悪いだけで、「ああ、苦しい。おなかが痛い。気分が悪い」と思ってしまう。
それから、昨日の飲み会での自分の発言を思い出す。思い出せないこともある。「俺、何を言っていたんだっけ?」
無理をして思い出すと頭がずきずきしてくる。ちょっとおしゃれに言うと「もし家がワラでできていたら、吹き飛ぶような」ため息が出る。


先週の水曜日が飲み会だった。もう何も思い出したくない。
思い出すたびに、全力でクロールを泳ぎたいような気分にさせられる。


今週末も実家に帰ってきた。
母のために食事を作って、それからアマゾンで買ったデロンギのオイルヒーターを台所に設置した。
姉の発案で、台所の床にキャンプでよく使う銀マットを敷き、その上に安物のラグを敷いたら、部屋全体が暖かな感じになった。


姉「オイルヒーターなんて何で買ったのよ。電気代がかかるだけで、暖かくならないって知ってるの?」
俺「知ってるよ。いいんだよ。」
姉「洗濯物は誰が干したの?」
俺「お母さんが干したんだよ。まさかこんな土砂降りの日に洗濯物を干すなんて思わないだろ。」
姉「なんで、ちゃんと見ていなかったのよ!」
母「とても外の空気は気持ちよかったのよ。」
姉「こんな寒い日に外に出たら、自殺行為じゃない!」
俺「うるせえな。」
姉「うるせえって何よ!あなたがちゃんと見ていないのがいけないんじゃない!」
俺「俺がいる間は、家に来なくていいよ。うるさいから。」
姉「ちゃんと見てなさいよ!」


銀マットを協力して敷いていたときまでは仲が良くても、時間が経つと姉との会話はいつも険悪な空気になってしまう。


実家に置いてあった、段ボール2箱分の音楽CDをコクヨのMEDIA PASS!というソフトケースに入れ替える。重くてかさばるプラスチックケースからCDを取り出して、MEDIA PASS!に入れ替えるとスペースは3分の1程度にまで減るし、重量は半分以下になる(ようなあくまで感覚だけど)。


移し替える際にCDケースを分解する必要があって、それで爪がだいぶ傷ついた。今も痛くてたまらない。それから、母は今でも金属製のペン先にインクをつけて手紙を書くのだが、母が仕事で使うこたつを姉と移動するとき、そのペン先を右手の小指に突き刺してしまった。
「もう、めんどくせえなあ」血がかなり出たが、母のペン先についていたインクはこれからも消えることなく、入れ墨のように俺の右手の小指にあるんだろうなあ、なんて思うと少し感慨深いものがあった。


そんなことはともかく、CDを入れ替える際、俺は自分の聴いてきた音楽の道みたいなものを振り返ることができた。


意味がよくわからないほど、ストーンズやミック・ジャガーのアルバムは何枚も買っていることがわかった。
意識はしていなかったけれど、ヴァン・ヘイレンなんかもよく買っている。同じアルバムを2度も買っているあたりは気の毒に、若年性の健忘症なのだろうか。
スネークマン・ショーもいろんな種類を買っていて、本当にバカだと思った。


近藤真彦、鈴木亜美、永井真理子、陣内孝則、かまやつひろし、なんかのCDを自分が持っていることに腰を抜かしそうになった。本当に俺は聴く気があって買ったのだろうか?それとも、自分に対する何かの罰ゲームだったのだろうか?


「彼らは世界が黄色になる日を待っている」というレモン星人のレモネーターというアルバムやアンナ・バナナの「甘蕉ヶ丘」などというアルバムもなぜ?という気になる。


ラウドネス、モッズ、スターリン、ARBなんかのアルバムを見ると、俺も迷い道にずいぶんとはまっていたんだなあ、と思う。


それでも、スティングやマイケル・ジャクソン、ジョン・レノン、などの超メジャークラスのアルバムが出てくるたびに妙に嬉しかった。意外とビートルズは少ない。高校時代であんな音楽は卒業したから、それはそれでいいのだと思う。


クラッシックでは、グレン・グールドはどこがいいのかわからないなりによく聴いていたから、あるのは理解できるけれど、なぜかマーラーのオーケストラがいっぱいある。チャイコフスキーは派手で好きだからわかる。でもなぜ、マーラーなのか。せっかく出てきたのだから、聴いてみたい気はする。


ストーン・テンプル・パイロッツやスタートレックⅤのサントラ、クラプトンなど、聴きたいアルバムもいくつも出てきて嬉しかった。でもあれほど好きだったトイ・ドールズのアルバムなどはどこにもなく、また楽しい時代を台無しにしたニルヴァーナのアルバムも見つからなくて、残念だった。


そして今回、一番、気になったCDは「伊藤真の元気が出るCD」だ。サブタイトルは「すべての受験生に熱い思いをこめて!」。内容がまったく思い出せないし、なぜ、自分が持っているのかも思い出せないけれど、ぜひ聴きたい1枚だ。
トラックには、1私はこういうふうに頑張った!伊藤真生い立ち編、2試験前日の気合いの入れ方、3元気を出すための方法論・・と、俺の最近の2日酔い並に頭がずきずきしてくるようなタイトルが並ぶ。


9α波を出そう!リラックス編まで来ると、ちょっと危険な香りすら漂い始める。
おまえもちょっと飲み過ぎてたんだろ、と伊藤真の肩を叩いてやりたいような気分になった。




PS.この文章を書いた後に、この「伊藤真の元気が出るCD」を聴いてみた。中学生の頃、カイロの街を重い荷物を持ち、ホテルにも泊まれず命がけで歩いたり、中学受験時代にはたった1人で倉庫のようなところにスノコを敷いて暮らしていたなどと伊藤少年もなかなか大変な人生を歩んできたようだ。
内容は、思ったよりもはるかによく、個人の自己実現を図るには、他人を批判したり陥れたりすることが重要なのではなく、むしろ他人に思いやりを示し、その人のためによいことをしてあげることが大切だ、という哲学を示したときは感心した。
もっとも、スランプ脱出のために、街で会った人を尾行すると楽しいとか、丑三つ時にロウソクの火を見てみよう、などと到底、一般性のない提案をしてみるあたり、主張に洗練さが欠けており、なんだかなあ、という思いにさせられるところも多少あって笑えた。