金曜日の午後2時に、埼玉から、叔父が、従兄弟の夫婦といっしょに実家に来ることになっていた。
昨年亡くなった叔母の葬式の報告だった。
家族だけで、ということだったので、僕もその叔母の葬式には参列しなかった。
金曜日だったので、僕は仕事を10時で切り上げ、それから実家まで車を飛ばした。
実家では、姉がお茶や和菓子の用意をして待っていた。
僕が買ってきた日本酒を「叔父さんのおみやげに」と取り出すと「私が大吟醸を買うから日本酒はいらないって言ったでしょ!」などとあまり僕が聞いてなかったことを言って怒るのだった。
僕の父親の葬式のときには、叔父さんといろいろなところに挨拶に行った。
「葬式なんて、故人が好きだった音楽でも流して、お別れをすればそれでいいように僕は思うんだけど、なかなか世間は許してくれない。仕方がないことなんだよ。」
お寺からの帰り道、叔父さんは疲れ果てた僕に、そう優しく声をかけてくれた。
僕が司法試験に失敗し、仕方がなく就職をしたときも、叔父さんが励ましてくれた。
「私は、自分で言うのもおかしな話ですが、非常に優秀な成績で入社したものですから、私が入社したときは、お祝いの花火が上がったんですよ。それから、同期の仲間たちが、お酒や麻雀をしている間に、私は勉強をしました。もちろん、大学で会計学も経済学も学んでいますから、根本的なことはわかっているのですが、簿記の実務は知りません。私は就職をしてから、簿記をマスターしたんですよ。」
「いいですか。就職してからもしっかり勉強をするんですよ。司法試験をあきらめたからといって、勉強をやめてはいけません。その差が、将来、大きく出てきますから。」
僕は、叔父さんの言いつけを守らなかった。
就職すると、多くの仲間たちと、飲み会に明け暮れ、深夜まで麻雀をしていた。
最初に就職した松本では、毎晩5次会とか平気で過ごし、就職してからの方が、貯金が減ったほどだった。
数10軒の店が軒を連ねる西堀地区など、僕が行ったことのない店はないというくらい、飲み歩いた。
毎晩が楽しく、毎日、探検をしているような気分でいた。
それでも、叔父さんの教えは、心のどこかにいつも引っかかっていた。勉強をしなくては、といつもどこかで思っていた。
叔父さんの言葉は、僕にとって北極星のようにぶれていなかった。
僕自身はあさって方向に進んでいても、それでも「本当はあっちに進まないといけないんだ」といつも思っていた。
久しぶりに、叔父さんや従兄弟に会い、嬉しかった。
叔父さんの手は大きく、握手をした手は力強かった。
「会えるとは思わなかった。」
僕と会って、叔父さんも嬉しそうだった。
身長が180センチを超える、大きな従兄弟は、今、2社目の会社を起ち上げて、社長業をしている。
「僕の仕事は、不景気の方が需要が高まるんだ。」
従兄弟と会うのももう10年以上ぶりだ。
「何もないところから、会社を起ち上げて、それを軌道に乗せるってすごい才能ですね。」
「そんなに大したことはしていないんだよ。本当に。」
そういって、従兄弟は大らかに笑う。従兄弟の話し方からは、僕が小さな頃から感じていた都会を感じた。
どれだけ東京を知っても僕には身につかない、洗練された都会の子が持つ独特の雰囲気だ。
いつまでも大きな存在でいてくれて、僕はそれも嬉しく思った。
叔父たちは、日帰りということで、僕の家にいたのは1時間にも満たなかった。
母の見舞いも今回は見合わせたいと言うことだった。
それでも、濃い時間を過ごせたように思う。
叔父たちの前で、自分が小さく感じたけれど、叔父たちと話していて、自分自身もそんなに悪くないように少し思えてきた。
随分回り道をしたけれど、今は僕も叔父さんと同じ方向を向いて進んでいるような気がした。
叔父さんたちが来るのを待つ間、家の掃除をした。
家の大部屋に「清備自守」の大きな額が飾ってある。
今まで、きちんと見たこともなかったし、意味もよくわからない。
「清らかさを備えれば、自ずから守られるってこと?」
姉に聞いても、「知らない」と言うばかり。
でも、いい言葉だと思ったし、そうあるべきだと思った。
よくわからないけれど、そう生きるべきのように思った。
叔父が帰った後、母を病室に見舞った。
母の病状は、先週よりは見違えるほどよくなった。
それでも、声に力はなく、体力も乏しい。
叔父さんが来た話をすると、それでも少し嬉しそうな表情を見せ「叔父さんに会えて、よかったわね」と言った。