日曜日に、パスポート用の写真を撮りに行った。
パスポートのせいで外国に行けないなんて、もうこりごりだった。
昔、名古屋で仕事をしていた頃、女の子が海外旅行に行こうと思ったのに、パスポートを忘れて、行けなかったという話しをしていた。
「成田空港まで行って、気がついたの。千葉に彼氏がいてよかった。そうじゃなければ、本当にショックだった。」
そんな話しを、当時は僕にはまったく関係がないような気持ちで聞いていたのだ。
今なら、彼女の気持ちもとてもよくわかる。
「それって、つらいよな。」
今の僕なら、彼女にそう声をかけてあげることができる。
今さら意味のない能力だけど。
証明写真を撮ってくれた店では、国生さゆりの「バレンタインデー・キッス」の曲が流れていた。
随分と場違いな音楽が流れているんだなあ、と思っていたけれど、後から、今日はバレンタインデーだった、ということを思い出した。
俺には関係のない行事なので、すっかり忘れていた。
車に乗って、ジェヴェッタ・スティールの「コーリング・ユー」を聞く。
この曲を聞くたびに、映画「バグダッド・カフェ」の砂漠のなかをブーメランが回転しながら飛んでいく映像が頭に浮かぶ。
http://bagdadcafe.jp/
「ここではないどこかに、私を待っている人がいる。」
あの映画の主題はそんなところにもあった。
こんな音楽を聴けばつらくなるのに、俺はときどき自分が一番つらいことをしたがる。
コーリング・ユー(あなたを呼んでいる)(訳は俺が適当にした。)
ラスベガスからどこでもない場所に行く砂漠のなかの道
あなたが住んでいるところよりはましな場所
ちょうど曲がり角のあたりにある小さなカフェには
修理が必要なコーヒーマシーンがある
私はあなたを呼んでいる
聞こえない?
私はあなたを呼んでいる
熱く乾いた風が私に吹き付ける
赤ん坊が泣いて、私は眠れない
でも私たちは変化がやって来ることを知っている
だんだんと近づいて、やさしく解放してくれることを
私はあなたを呼んでいる
聞こえない?
私はあなたを呼んでいる
ジャカルタにも、僕を呼んでいる誰かがいたような気がする。
そこに行けば、何かがカチッとはまって、みんなが幸せになれるようなことが起きたような気がする。
気のせいかも知れないけれど、そんな気がして、僕は喪失感に襲われる。
上司から貸してもらった、トム・ロブ・スミスの「グラーグ57」(新潮文庫)の下巻を読み終わった。
前作である「チャイルド44」は、レオの弱さが垣間見れるリアリティがあったが、この「グラーグ57」でレオは超人的な活躍をする。確かに、家族は崩壊の危機にあり、レオは度重なる拷問と国家の非情な仕打ちに苦悩はするが、肉体的・精神的にとても普通の人間では耐えられないような強さを発揮して、ちょっとやりすぎのような気がした。
上司が買ってきた平林都の「接遇道」(大和書房)も職場で昼休みに読んだ。
「立ち読みで読み切れる」と別の上司から聞いていたけれど、本当に昼休みのうちに読めてしまった。
僕には、彼女がサービス業の人に求めている基準が過剰のように思えた。
本当に世の中の人は、ここまでの平身低頭、お客様の身になったサービスを人に求めないと気が済まないのだろうか。
僕にはこんなサービスはいらない。普通にしてくれればそれでいい。
僕は彼女のような人を絶対に好きになれないし、彼女と関わりのない人生でよかったと思う。
DVDで「ブレイブワン」を観た。
半殺しの目にあいながらも何とか生き延びたジョディ・フォスターが、社会の悪や犯人に復讐する話しなのだけれど。
ジョディ・フォスターっていい女優だよなとは思ったけれど、ストーリーは今ひとつで、特に人にも勧めない。
「ウォーリー」もDVDで観た。
ウォーリーは機械なのにかわいげがあって、アメリカの映像技術はもうこんなことまでできるんだって、感心した。
でも、子供向けの映画なので、少しは泣けるのかと思ったけれどそんなこともなく、大人の俺がとやかく言っちゃいけない映画だよなって思った。
