今度、会社祭で落語を演じる人に、僕の書いた落語を見てもらった。
オチが弱いこと、それから言葉が話し言葉として練られていないことを指摘された。
「このオチは下等オチって言うんだ。しかもわかりづらい。内容はいいだけに惜しいね。全体として、読み物になってるよね。このままでは話せないな。」
確かにオチが三平師匠の「和尚が2(ツー)」と変わらないもんな。
そう思ったらすごく納得ができた。
義理の兄とパソコンのことを話していた。
コンピューターにアンチウイルスソフトを入れてないと話したら驚かれた。
「入れた方がいい。っていうか絶対に入れなくてはダメだ。」
「でも高いでしょ。ノートンとか。それに僕はへんなサイトとか行かないし。」
「ノートンは高いから、avast!を入れればいいんだ。フリーソフトで、性能がいい。」
「どうして無料なの?」
「ネットの世界にも、正義感がある人がいるんだ。」
「モラルが高いってことかあ。」
半信半疑でavast!をインストールしてみた。
データをアップデートしているという文言が頻繁に出るので、なんだか守ってくれていそうな感じはしていた。
今回、ガンダムの映像をネットで探して、ある写真をクリックしたらavast!のソフトから警告音が出て、「トロイの木馬」というウイルスが含まれているからダウンロードするな、と警告文が出てきた。
「おお。すごい。」
ウイルスに感染しなくて、とてもよかった。
こんな素晴らしいソフトが無料だなんて、信じられないような気がした。
モラルが高い立派な会社だと思った。
金曜日は飲みに行った。
なんだか高尚な飲み会で、笛だとか舞いだとか三味線なんかの演奏会もあった。
店には長野市長も来て、軽く飲んで帰って行った。
芸達者の人が多いらしく、その後のカラオケ会もセミプロのような人たちが歌っていた。
久し振りに会う人もいて楽しかったけれど、前回記憶も途切れ途切れに朝の4時まで飲んでいたので、今回は少しセーブして飲んだ。
僕は酔っぱらうと、いろんなリミッターが外れてしまう。
男は、死ぬまで飲め!金は1年の分はすべて上級生が出すこと!なんてワンゲル時代に叩き込まれた精神が蘇ってくるのだろうか。
ついつい飲み過ぎ、ついついお金も使いすぎてしまう。
未成年での飲酒はいろんな意味で害があるというモデルケースになれる気がする。
「前回、勢いよく飲んで酔っぱらっていたけど、今日はおとなしいわね。借りてきたネコみたい。」
お店の女の人にも、一緒に飲みに行った人にも言われた。
「僕は借りてきたネコみたいなのが普通なの。」
「まだ飲みが足りないんじゃない?」
ウイスキーを次々と注がれたけれど、そんなに乱れることはなかった。
その後も1軒しか飲みに行かず、記憶もほとんどあった。
12時30分には切り上げて家に帰った。
翌日、1次会でのウイスキーが効いて軽い二日酔い状態だった。
気分は悪くないけれど、何をする気も起きない。
家を一歩も出ないことにして、砂利採取業務主任者問題集をパラパラと眺めたりしていた。
前に問題を見たときにも思ったけれど、前回受けた採石業務管理者試験よりは簡単そうだと改めて勝手に思いこむ。
試験は11月中にはあるはずだが、現段階でも試験日が発表にならないので、もし重要な会議とぶつかったら受けられないよな、と悲しい気持ちになる。
腹が空いたので、何か食べるものがないかと冷蔵庫を見たら、ほとんど何もなく、ニンニクと唐辛子とパスタだけがあったので、土曜日丸1日と日曜日の朝と昼までずっとペペロンチーノを作って食べた。
明らかに味が足りない。
オリーブオイルで刻んだニンニクと唐辛子を炒めながら、ここにアンチョビの缶詰とかあればなあ、とかパスタとフライパンであえるときに、粗く搾ったトマトとかがあればなあ、プチトマトでもいいや、なんて思ったけれど、そういう必要なときに必要なものが俺の家にはない。
何かが足りないって生活には慣れているので、じっと我慢する。
買い物に行こうとか、考えないところが自分らしい。
「そして、私たちは愛に帰る」というドイツ映画をDVDで観た。
静かなドイツ青年が主人公の映画を観るたびに、「俺に似ているなあ」といつも思う。
わかるなあ、俺もそんな感じなんだよなって思う。
引き離された親子、離れていく親子、別れなければならなくなった親子。
人はこうやって出会い、こうやって別れることになるのか。
ヨーロッパの映画は人生が甘いものではないことを冷静に見ている。
別れた親子が再び会うことの難しさと、そのつらさを静かに描き出す。
万人受けする映画ではないけれど、「あのときああしていれば」という後悔を映画のなかの登場人物と同じように、見ている僕も感じる。
そして、「あのときああしていれば」は現実になることはない。
でも、誰もが皆、死ぬまで「あのときああしていれば」と、ずっとそう思いながら生きる。
「そうなんだよな。」
悲しい現実を描いている。
今を生きる僕たちは、後悔をしながらも、今取り戻せるものがあれば、取り戻すべきだとこの映画は言っているように思う。
価値のある映画だと思った。
「劇場版 機動戦士ガンダム」と「劇場版 機動戦士ガンダムⅡ 哀・戦士 編」をテレビでダウンロードして観た。
ガンダムも中学時代にはよく見ていたけれど、こうやってきちんと観るのは初めてだった。
昔のアニメなので、今見ると、おかしいなあって思うところは多々ある。
マチルダを中心に記念写真を撮るときに、セルフタイマー方式だったり「12枚しかコピーできないんだ」ってセリフも今ならあり得ないだろう。
ガンダムを僕はどうしてもSF戦争映画として見てしまうけれど、「機動戦士ガンダムⅡ 哀・戦士 編」を見ると、ただのSFにはしないぞ、という監督の思い入れの強さを感じる。
ただその思いが、かえって戦争映画だという前提を曖昧にして、つまらない青春感傷ものの映画にしてしまったようにも感じる。
「もう闘うの嫌になった」からといって、戦艦のなかの武器でもっとも高性能のガンダムで家出したらまずいだろ、アムロ。
それでもアムロは戻るとなったらすぐ戻れる能力があるからいい。
「お兄さんのことが聞きたくて。」勝手にガンダムを発進させて損傷させたセイラなんか論外だ。
高校の頃、友達の家に遊びに行ったら、ガンダムに出てくるセイラのポスターが壁に貼ってあった。
彼女のセリフで「軟弱者!」っていうのがあることを知っていたので、「何を貼ってんだよ。この軟弱者!」って言ったら喧嘩になった。
そのときも「セイラよりドラえもんのしずかちゃんの方がいいんじゃないか?」なんて言って逆上させていたけど、今回、改めてガンダムでのセイラを見て、「俺、本当にこの女、大嫌いだ」って思いを新たにした。
そして、フラウ・ボウやミライはいいなあって思った。
今度フラウ・ボウやミライのポスターがあったら、買うかも知れない、なんて思ったりもした(たぶん、絶対買わないけど)。
そしてミライやフラウなら明日結婚してもいいや、なんてアニメを見ながら思ってしまい、俺ももうビョーキだって思った。

