昔、東京で仕事をしていた頃、職場の女の子が遅刻した。
「不思議なんですよ。タイムスリップが起きて、瞬きをしたら2時間経っていたんです。」
電話口で彼女は、いかにも不思議そうな口ぶりで言っていた。
「言い訳はいいからさっさと出てこい。」
「いえ。本当なんですって。不思議だ。」
女の子はいつまでもタイムスリップをしたことにこだわっていた。
朝は時間があっという間に経ってしまう。
長いこと不思議だったけれど、朝は体の運動能力が低く、動きが緩慢なために時間を短く感じるのだと、最近、何かのテレビ番組で知った。
細かく、早い動きをする昆虫は、彼らなりに長い一生を楽しんでいるのだと、何かの本で読んだことがある。
そんなものなのかな、なんて思う。
朝6時から英語のラジオ放送を聴くようになってから、朝の準備のスピードが速くなった。
6時から放送は始まり、僕はまだ寝たままだ。
寝ながら、でも頭のなかでは結構ちゃんと聴いている。
「中学校1年生でも、もうこのレベルの英語が話せるのか…」と少し、焦る。
6時30分に目を覚ますと、体の動きが速い。
脳が起きていたせいなのかな、なんて思う。
最近は乗る電車も一本早くなった。
人通りの少ない道を駅まで歩いていくと、景色がいつもよりもきれいに見えるような気がする。
「黄金のままではいられない」というロバート・フロストの詩がある。
「アウトサイダー」というコッポラの映画で使われた詩で、朝の美しさをうたった詩だが、それは青春の輝きにも通じるところがある。
(自首する?は?聞こえねえなあ。)マットディロンの声が聞こえてきそうだ。
(ポニーボーイが詩を朗読するシーン。たぶん、そう。)
「黄金のままではいられない」(訳は僕が適当にした)
萌えいずる緑は、黄金色に輝く。
でもそれを捉えておくことはできない。
萌えいずる葉は、花のようだ。
でもそれも、ひととき。
やがて葉は葉に戻る。
エデンは悲しみに沈む。
朝陽の輝きは、ただの一日になる。
黄金のままではいられない。
朝の通勤途中、そんな詩を思い返したりする。
だからといって何か特別なことがあるわけでもない。
電車が空いているので、2月28日に受験予定の漢字検定2級の試験勉強ができるぐらいだ。
早起きは三文の徳というが、逆に言えば早起きしても、三文程度の利益があるくらいなのだと思う。
自分はするけれど、早起きなんか人には全然勧める気にはならない。
漢字検定2級。
完全になめていたけれど、絶対受かるというレベルに持って行くのは意外と大変だということに気づいた。
そして、僕の漢字力も勉強をするにつれて、逆に落ちてきているような気がする。
つい先日も同僚と話しをしていて恥ずかしい思いをした。
「最近、流行ってるらしいよね。はくとうダイエット。」
「はくとう?桃ですか?」
「ちがうよ。白いお湯って書くんだよ。」
「それ、さゆじゃないですか。」
「あ。」
土曜日も早く起きた。
9時頃、かつての上司から電話がある。
「今日、新聞社の観光地取材がある。夜は泊まりだ。お前の名前で予約も入れてある」などとふざけたことを言う。
観光地取材の話しは、その記者から聞いていた。
でも、お昼にどこかで会って、食事でもしようという程度の話しだった。
「僕も泊まるんですか。」
「当たり前だ。」
「宿泊代は?」
「払わなきゃ、しょうがないだろう。」
「…。」
記者に連絡を入れると、「君も泊まるらしいな」と言う。
「ええ。僕もさっき知りましたよ。」
5時頃に宿泊予定の旅館に着く。
夜は副市長なんて偉い人まで挨拶に来て、ビールや日本酒をたくさん飲んだ。
そして、僕の部屋に戻って、記者や元上司と持って行ったワインを2本空けた。
いつ寝たのかわからなかった。
7時頃に起きると、僕は灰色のセーターとブラックジーンズのままふとんに潜って寝ていた。
まだ酔っているような感じがしたので、地下1階にある風呂に行った。
酔い覚めの時に、一気に気持ち悪くなるのではないかと不安だった。
気持ち悪くならないように体調を元に戻すのは、ハドソン川に飛行機を軟着陸させるよりも難しい気がする、なんて酔った頭で考えていた。
風呂に入ったら、気分がよくなってきた。
風呂をはしごすることにして2階にあがり、今度は2階にある露天風呂に入った。
雪がちらついていて、なかなか風情があった。
誰も起きてこないので、一人で朝食を取った。
僕は部屋番号を間違って記憶していて、人のテーブルで朝食を取っていた。
でも、最後まで気がつかなかったので、全然平気だった。
朝食はとてもうまくて、おかわりを2度もした。
記者はひどい2日酔いだった。
それでも予定していた取材はすべてこなした。
結局、僕も最後まで取材に同行して、記者を長野駅まで送った。
記者を送ったあと、最近買ったマーク・ゴールデンバーグのベスト盤「ザ・ベスト・オブ・マークゴールデンバーグ」の「絵葉書」それから「旅の誘惑」という曲を聴きながら車を走らせる。
こんなに気持ちよく車を走らせることのできる曲も珍しい。


