先週の1週間も忙しかった。


今年、転勤してきたばかりの同僚が、仕事が多いということにも目を輝かせているのを見ると、眩しく見えて仕方がない。


僕が転勤してきたときはそうではなかった。
毎日が忙しいことにうんざりとして、仕事と責任が重いこともつらかった。
職場に長くいる人が、情報をなかなか教えてくれなくて、「自分で盗め」という風潮も僕は嫌だった。


僕は何でも教えることにしている。
情報を独り占めしていると、その人に聞かないと仕事が進まないから、人よりも優位に立ったような錯覚を起こすのかもしれないけれど、くだらない価値観だと思う。
どこまで行っても仕事上の悩みはあるんだから、早く一人前になって僕と同じ悩みを共有してもらった方がずっと僕自身のためにもなる。


先日、以前の上司に会ったら、「以前は違和感があったけれど、職場の顔になってきたな。」と声をかけられた。
もともと持っていた何かを失ったな、という意味かと思って「そうですか…。」なんて答えたけれど、後から褒め言葉だったのかな?って思い直した。
でもゆっくり考えても、喜ばしいことなのか、悲しいことなのか、よくわからない。


夜の9時頃に、屋上でタバコを吸う。
冷たい雨を見ながらのときもあるし、星を眺めながら吸っていることもある。
遠くに見える街の明かりがきれいだ。
屋上には必ず、何人かの人がいる。
顔を見合わせても、誰も何も言わずにタバコを2本くらい吸って、震えながらまた職場に戻っていく。


金曜日は10時まで残業した。
疲れ果てていて、ちょっと目をつぶったら眠ってしまいそうだったけれど、11時頃からスナックに飲みに行った。
ちょうど混み合ってきた時間帯だったらしく、女の子たちが忙しく働いているのを見ながら、のんびりとカウンターに座って飲んでいた。


午前1時30分頃まで飲んで、帰りにスナックの女の子に送ってもらった。
車にガソリンを入れて欲しいという。
「この前、ガソリン入れたばかりだから、ほんの少しだけだよ。」
「本当に?」
満タンにするのを見ていたら、飲み代よりも高くついた。
でも僕は優しいので、そんなことも全部許してしまう。


土曜日にはジャック・ケッチャムの「閉店時間」(扶桑社ミステリー)をベッドのなかで読んだ。


閉店時間

中編集で4作が載っている。
どれも不道徳でひどい話しばかりなので、読んでいる人の人格が疑われそうだ。
それでも、4作のうち巻き込まれ型の悲惨なサスペンスである「ヒッチハイク」は、展開が早くておもしろかった。
でも、人に勧めるような本ではない。


土曜日は、季節の変わり目のせいなのか、疲れているせいなのか眠たくて仕方がなかった。
夜に眠れなくなると困ると思って、無理に起きて、以前86年までやっていた「桃太郎電鉄USA」の続きをダラダラと99年までやって、99の物件駅をすべて踏破して、COMの「えんま」と「さくま」に完勝した。


桃鉄USA

99駅をすべて踏破したら感動すると思っていたけれど、大したことなかったし、ラストもきっと感動すると思って、それだけを考えてやっていたんだけど、期待はずれだった。


日曜日は、午前中は家で仕事をして、夕方から友達と1時間30分ほどかけて、山形村にあるシネマコンプレックスに出かけていった。
「ブーリン家の姉妹」をまだ上映しているのが山形村にあるアイシティ・シネマだけだったからだ。


このシネコンでも「ブーリン家の姉妹」の上映期間は次の金曜日までで、夜に1度しか上映しない。
始まるのは19時35分から。


ブーリン家の

待っている間に、同じく上映期間が次の金曜日までで、同じく夜に1度しか上映しないショーン・ペンが監督した「イントゥ・ザ・ワイルド」を観たくなってきた。
始まるのは19時20分から。


イントゥ・ザ・ワイルド


どちらか1本を観れば、もう1本は映画館で観ることは、もう一生ないだろう。


僕は、映画はほとんどDVDで観るけれど、映画館で映画を観るということについて、すごく大事だと思っているので、真剣に悩んだ。
悩んだけれど、結局、「イントゥ・ザ・ワイルド」を観た。



イントゥ・ザ・ワイルド1

裕福な独りの若者が、すべてを捨て、持っている金も焼き、アラスカの荒野で暮らすことを自分に課す。
多くの彼を愛してくれる人に背を向け、自分一人の力でどこまでできるのか、彼は自分を試す。
http://intothewild.jp/top.html



イントゥ・ザ・ワイルド2

見ながらいろんなことを考えた。
考えどころが満載の映画なのだ。


僕は、大学時代に山登りをしていた。
中央アルプスの縦走をすることになっていた日の前日は台風が来ていた。
家に電話をすると、もうそのときは病気で寝ていた父親が、危険だから行かないでくれ、と言った。
でも、僕は言うことを聞かなかった。


台風自体は去っていたものの、翌日の登山を開始したときも、まだ雨が降り続いていた。
中央アルプスの山脈のうち、南側半分には登山道がない。
2メートルほどに伸びた笹薮をかき分けながら進む。
雨に打たれていると8月の丹沢でも死ぬと知識では知っていたが、9月の中央アルプスで、僕はそれを実感していた。


笹薮で体力を消耗し、冷たい雨に全身を打たれて、僕はテントを広げることさえできなかった。
先輩たちがテントを設営してくれるのを、ただ震えながら見ていた。
夕食は、何を食べたのかまったく覚えていない。
「着替えずに寝ろ。その方が服が乾く。」
先輩にそう言われて、雨で濡れた体のままシュラフにもぐって寝た。


翌朝には服は乾いていた。
朝から青空が広がっていた。
遠くに、緑のドームのような形をした、芝生に覆われているかのような山が見える。
「あそこまで行ったら、ハイキング気分で楽しいだろうな。」
でも近づいてみると、そこも2メートルほどの高さの笹薮に全体が覆われた山だった。


登りでは笹薮の力が強く、一歩踏み出すのに、すごく体力が必要だった。
左右の足がそろってしまうと、気力が萎えるので、どちらかの足が必ず前に来るように、それだけを気をつけて、僕はゆっくりと登った。
下りは全力で走った。
笹薮で足下はまったく見えなかったが、僕は平気だった。
ときどき、笹薮のなかに倒木があって、足を取られると2メートルくらいダイブした。
顔を随分と笹の葉で切ったし、ザックに結びつけておいた金属製のカップは石にぶつかって凹みだらけだった。
でも全然、平気だった。


1年は僕が1人だけだったので、朝飯は僕が一人で4人分を作った。
3時に「起床」と怒鳴りながら起きても誰一人として起きてこず、ご飯が炊きあがって、小さな声で「メシ」と言うといっせいに起きてくる先輩たちに、「本当はもっと前から起きていたんだろ。手伝えよ。」と文句を言いながら食べた朝飯を覚えている。


2センチほどの足場しかなく、下は数百メートルの絶壁。
毎年数人は滑落して亡くなるという宝剣岳の鎖場も、震えながらカニ歩きで渡った。
頂上に立っても恐怖感がいつまでも残り、「俺がここで死んだら、追悼登山はこの山でやってくださいね。俺だけがこんな怖い思いをするのは嫌だ」などとわがままを言っていた自分を思い出す。


登山靴の下に見えていた、数百メートルの絶壁は、今でも目に焼き付いている。
風の音も、一歩踏み出すごとに、「人は死のうと思えば簡単に死ねるもんだな」って考えたことも今でも覚えている。


「イントゥ・ザ・ワイルド」で、主人公の青年が、ザックを背負いアラスカに向かう姿を見て、老人が涙を落とす。
似たような涙を、僕も見たことがある。
縦走を終えて実家に帰ってきたときに、祖母が泣いていたのだ。
玄関に置いてあったボロボロになった僕のザックを見ながら「こんな苦労をするなんてかわいそうだ」と祖母は泣いていたのだ。


「泣くことないよ。僕はべつにつらくないよ。」
僕は笹の葉で切れた顔のまま笑っていた。


今では、手を振って笑いながら玄関を出た僕の気持ちも、泣きながら見送ってくれた祖母の気持ちもわかる。
世間知らずで、困ったときは先輩が何とかしてくれると思っていた僕にとって、山登りはちょっと危険なだけのゲームだった。


心配をしてくれた祖母も、父親ももう死んでしまった。


映画を見終わって、帰りの車のなかでも、いろいろとこの映画について考えた。


彼の「社会」というものに対する反感は、僕も以前には持っていたものだ。
彼は徹底した「個」や完璧な「自由」を求めて、アラスカの荒野のなかで、すべてを捨てて、独りだけで生きようとする。
でも彼が最後に理解したように、幸福というのは、人と分かち合えて初めて感じられるものだ。
社会がなければ、幸せもない。


今なら、この映画がまだ理解できる。
もう少し若かったら、僕にはほとんど理解ができなかったと思う。
でも、この映画をもっと僕は若いときに観て、理解ができたなら、今よりもずっと幸せになっていただろうと思う。



月曜日は9時30分頃から仕事だった。
8時頃からすでに仕事に来ている同僚がいた。
僕は10時から12時まで別室で話し合いがあったので、そこに行き、「きっと僕が戻る頃には彼も家に帰っているんだろうな」なんて思っていた。


実際に僕が職場に戻ると、彼はまだ職場にいて、他の係員も3人ほど増えていた。
3連休の間、ほとんどの人は1日しか休んでいないらしい。
「君たちは、本当に仕事が好きなんだね。」
信じられない気分で、僕は頭を振った。