週末は実家に帰った。
英語の勉強をしようと問題集をたくさん持ち帰ったが、するわけがない。
代わりにジョナサン・キャロルの「蜂の巣にキス」(創元推理文庫)を読む。
今まで、僕は自分の好きなジャンルのロックが「オルタナティヴ」という範疇に入っていることはよく知っていたけれど、それをどう訳すのか知らなかった。
先進的?代替性のない?辞書で引くどの訳もしっくり来ない。
今回、この本を読んで、オルタナティヴは「非主流派の」と訳せばいいことがわかった。
そうか、俺の好きなロックのジャンルは「非主流派」のロックだったのか。
納得がいく。
全てがカチッと噛み合ったような気がした。
この本の主人公は女好きで楽天的なベストセラー作家。
「女好きで楽天家」のせいで、さまざまなトラブルに巻き込まれると自分で分析をしている。
僕も実は「女好きで楽天家」だが、トラブルにはあまり巻き込まれたことがない。
なぜか考えながら読んでいたら、女にもてないからだと気がついた。
それから、英雄色を好むというが、逆は全く正しくないことも気づいた。
ただの色ボケの男なんか腐るほどいる。
「狐はたくさんのことを知っているが、ハリネズミはでかいことを一つだけ知っている。」主人公が幼なじみの刑事に言われることわざだ。
おまえの目は狐の目だと、刑事に指摘されるのだ。
この話も僕はまるで自分が言われたように感じた。
主人公がその刑事の言葉が真実をついていると感じたように、僕自身の真実もついている気がした。
主人公が探るのは、昔起きた殺人事件。
被害者の女性は若く魅力的で不良。
彼女と付き合うのはあまりに危険なので「蜂の巣」と呼ばれている。
でも実際にこんな子がいたら、僕は全てを投げ出すだろう。
僕が国王だったら、彼女を巡って戦争を起こすところだ。
自分のいい点にも気づいた。
主人公は3人の妻と結婚し、離婚しているが、父親としては満点だ。
こんないい娘がいれば、僕もそうなる可能性が高い。
昔、ボブ・グリーンのコラムで、勤めていた会社のカラーコピー機に下半身裸でまたがってコピーを取り、くびになってしまった娘について、父親が語るインタビューを読んだことがある。
「誰でも、そんな気になることだってあるでしょう。」というのが、その父親のコメントだった。
この話をすると女の子は皆引くが、僕はいい話だと思う。
誰だって、そんな気になることがあっても不思議はない。
会社は許さないかもしれないけれど、僕は許す。
(なお、このコラムに出てきた娘は、外で新聞を読んでいるときに、流れ弾に当たって死んでしまった。)
気づくことの多い小説は読んでいて楽しい。
だからといって、人生が生きやすくなったり、女にもてるようになったりすることは決してないけれど。
いい本と出会えるというのは、それだけで喜びだ。
英語の勉強をしなかったけど、僕は全く後悔していない。
そんな自分も、僕は許してしまう。