
@TOHOみゆき座 / J-12 with先輩
★★
偶然昨日(6/18)TOHO新宿に行ったらまだ『セッション』が上映してて、しかも満席!びっくりしました。
この映画に関しては、菊地成孔VS町山智浩とか、周りの感想をきいてるだけで満足だなあ。
ということでうっかり寝てしまいました…。
なのになぜか感想が長くなってしまったので1つの記事にしてみました。
映画自体の感想というより、周りの話の方が多いかもしれません。
ちなみに上記の成孔VS町山は、観賞前はエッセンスだけしか入れないようにして、観賞後に先輩とふたりでじっくり読みました。
以下、ネタバレ注意です。
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私は大学のときジャズ・サークルに所属していたので、やはり公開前から周囲で話題にのぼってました。
件の成孔のブログ記事も、サークルの先輩がtwitterでリツイートしてて知りました。
ベースの先輩が「成孔が酷評してるから見れない(=面白く感じてしまったらショックだから)」という風に言っていたり、同期のドラムの女の子が楽器の扱いに関して怒っていたり(Yahoo!映画で怒りのレビュー書いてます)、同期のフルートの男の子で今学校の先生をやってる子は「才能の育て方についての映画だと思う」というようなことを言っていたり。
色々な見方があって面白いなーと思います。
成孔は自分が酷評したことによって見る人もいるし見ない人もいるし、みたいなことを書いていたのですが(この記事)、実際に私の先輩は見に行かなかったし、やはりあの酷評がなければ見に行った人もいたと思うと、その機会をなくしてしまった罪は深いように思う。
この点においては、私は町山さん派ですね。
(敬称についてはご容赦ください。普段私は菊地成孔氏を「成孔」、町山智浩氏を「町山さん」と呼んでいるのですが、それは語呂の問題であり、菊地氏をミュージシャンとして、町山氏を映画評論家として尊敬していることは書くまでもないことなのですが、一応…)
特に「ジャズ」という世界があまり一般に開かれてるわけではないことからも(そもそも成孔の一般の知名度ってどのくらいなのでしょう?)、成孔のブログを読んでいるのは少なからずジャズに興味がある人ですよね。
それでこれはあくまで私の印象なのですが、ジャズの世界は権威主義的なところもあると思うんです。
だから「ジャズの権威」である成孔が酷評するものを評価したくない、という気持ちが、成孔ブログ読者の中にわくのも当然だと思うし、わかります。
でも、それでも「映画を見る」ということだけは開けててほしかった。
私はジャズ・サークルに属していたけれど、演奏はほとんどしていなかったし、ジャズの知識もない。
でも映画は好き。
だからサークルの人たちとこの映画について話せたら楽しいだろうなと思ってました。
よかったとか、つまらないとか、そんなのは主観の問題だと思う。
どんな映画でも、評価が分かれるのは自然なこと。
だけどそこに権威的に「この映画はジャズ的に駄作」というレッテルを貼ってしまうことによって、それ以外のエッセンスが汲み取れなくなると思うんです。
現に私は結構そういうところがあったような気がします…。
ちょっと感情的になってわけわからなくなってきてしまったので、少し別の話を。

私はこの映画の監督のデミアン・チャゼルが脚本を書いた『グランドピアノ 狙われた黒鍵』を劇場公開時に見ています。(2014年3月かな)
「世界でひとりだけ演奏可能」な曲を、一音でも間違えたら殺されるというピアニストの話でした。
で、これは映画製作についての話としても見ることができるらしいんですね。(パンフ?に書いてあったのかな…出典が見つからなくて自信ないのですが)
どのような結果が待っているかわからないまま、過程をつみあげていく、ってところがそうなのかな。
『セッション』にせよ『グランドピアノ』にせよ、芸術全般に関するメタ的視点を音楽で表現しているところが面白いポイントなのかもしれません。
こうやって感想を書いていると、やはり見終わった直後とは、思っていることが変わってきてしまいました。
演奏されてる音楽がつまらなかったり、音楽を志してる人としてのリアリティが感じられない!なんて思っていたけど、たぶんそれって全部意図的なような気がする。
この映画の中の音楽がつまらなく見えるのは、フレッチャーの音楽が間違ってるから。
ラストのドラムソロ、演奏の質はどうあれ、フレッチャーが満足そうなのは、ふたりとも間違ってるから。
どう考えてもハッピー・エンドではない。
間違った方法で音楽を志向してしまった人に、音楽の祝福が受けられるはずない。
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寝てしまったのに長々と書いてしまいました…。
もうひとつだけ気になることを書いておくとすると、それは邦題について。
『セッション』って、全く合ってない邦題だと思います。
私の大学のサークルは、毎週セッションの時間があったのだけど、セッションって自分の技術を磨くというよりは、インタープレイを学ぶ場だと思うんですよね。
この映画では、インタープレイってなかったように思う。で、それももちろん意図的だと思う。
相互作用なしに音楽家を育てることはできるのか?という問いが、原題の "WHIPLASH" だと思うので、そこを反映してほしかったです。
配給会社さん(ギャガかな?)、がんばってください。
タイトルつながりで思い出したのが『セッションズ』。

『セッションズ』は、首から下がまひした青年とセックス・セラピストの交流を描いています。
「セッション」ってもちろんこの場合は「カウンセリング」という意味なんですけど、それとは別に「心の交流」も表してると思うんですよね。
いい作品だと思います。「セッション」とは何かがわかると思います。
ちなみに『セッションズ』は2012年サンダンス映画祭の観客賞、『セッション』は2014年サンダンス映画祭のグランプリと観客賞のW受賞作品。
サンダンス映画祭はインディペンデント映画が対象だから、『セッション』も監督の音楽に対する個人的な呪いだと思えば、全然納得できる。
ちゃんと見たら面白いかもしれない、と思うと、ほんとバイアスかけずに見たかった。
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原題:WHIPLASH
監督・脚本:デミアン・チャゼル
製作国:アメリカ
配給:ソニー・ピクチャーズ・クラシックス(アメリカ)、ギャガ(日本)
日本公開:2015年4月17日
上映時間:107分
アカデミー賞助演男優賞(J・K・シモンズ)
サンダンス映画祭グランプリ・観客賞

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この映画に関して思い出した作品を挙げておきます。
『サウンド・オブ・ノイズ』
『FRANK -フランク-』(私のちょっとした感想)
どちらも、音楽と才能のお話です。































