フリーランスで働くを決めた時、父親からある条件が言い渡された。
25歳までに1回でも月100万売り上げがなければ、歯科技工士として後を継ぐこと。
父親なりの心配なのだろう。
「音楽なんかで食っていけるはずがない」そう父は言っていた。
しかし退社後も元会社からの発注があったおかげで0からのスタートではなかったのが
救いだった。また元会社時代にお世話になった会社からの声もかかり
売上も1年待たずに100万円を達成できた。これは普段お世話になっている人と
繋がっていたおかげ、一人で24.5歳で100万稼ぐって当時周りにはいなかったので
有頂天になっていたのか。気づかないうちに体は既にボロボロである。
連日の締め切、リテイク、彼女にも気を使いデートの時間を作る。
そんなこんなで、胃潰瘍、パニック障害を同時に併発。
当時は車の運転どころか電車にすら乗れず、食事も外でできず、
ひたすら仕事をしながらリテイクのメールを見てトイレで吐き、耳コピーのしすぎで
耳から血が出ることもあった。努力すればするほど失うものも大きい。
1人でやるには既に限界を超えていたからだ。制作だけではなく、営業、経理、運営
47歳になった今でもこの病気の後遺症は残っている。
それくらい音楽で仕事をするには何かを代償にしなければならない程
難しい職業であることをわかってほしい。
今まで精神病にかかったり、自殺したり、借金まみれになったりと
何人もの人を見てきた私にとっては今思えばこの程度で済んだのが奇跡のようだが。。
ただ一つ言える事が。
「自分から音楽を引いたら何も残らない」
こう思っていたからこそ今があるのかもしれない。 つづき