虫除けスプレーなどには、「ディート」を含有するものがある。

スプレーに限らず、ベビーローションや、日焼け止めオイルに含有させ、日常でのアウトドア行動で、人体に影響を及ぼす虫から身体を保護するというコンセプトだ。含有量率で輸入禁止や、発売が終了したものもある。

大手メーカーもこのことに注意をするように提示してあるキンチョー、カナダでは厳重に使用を制限あるいは中止にした。

ぼくは、アウトドアでローションタイプのものを使っていた。スプレー式などより圧倒的に昆虫類避逃率が良い。まったく虫に刺されない。

人体に影響があるものは、年々多くなる。
それは、情報が多くなり微量の情報も取得できるようになってきた。

湾岸戦争兵士3万人が原因不明の疲労、行動障害、神経障害にあったという。これらがディート含有の虫除けを塗布したから、という文献があった。

ぼくは現在、はっか油をエタノールで割ったもの、または原液で虫除け対策をしている。

ある日、蟻がたくさん部屋の中に出たという苦情がマンション管理部に寄せられた。

お客様は、アカチャンがいるので殺虫剤は使いたくないと申し出た。ぼくは、ハッカを水で希釈して部屋の四隅にまいた。

蟻は、まったく出てこなくなった。

何が良くて、何が悪いか?

人間は、全て違う思考をもつ。
それらを、おおまかにまとめないと、共存してゆけなくなる。

人間が人間になるためにが「教育」が必要だ。
学校へ行くとか、なにかを教えるとか、だけじゃない。

新しくその場に現れた人間には、教育がなされる。
大きくは、成長前の子供である。


習慣も風習も原語も行動も宗教や考え方も全て「教育」から生まれる。



オレンジカゥンティ(USA)にて




自然界の中で、50年以上生き延び、全長約9mに成長することが、どれだけ困難だったか。大蛇は、もうキモチ悪さとか、スゴいとか、通り越している。

1975年(SITES)以前に捕獲された。現在ではここまで成長するのは、不可能に近いかもしれない。

音楽は永遠だ。しかし、伝えなければいけない手段がいくつかある。
ぼくは、99%はボーカルだと思ってる。

楽器は要らない、誰でも簡単に表現できる。

ボーカリストは、もっともっと多くの人に、その声とスピリッツを伝えて欲しい。

ボーカリストのためのバッグは、体力の維持とノドを守るために水分は必ず必要だ。ペットボトル等が別枠で入るようになっている。大事な書類や譜面が濡れないように。






中の仕切りは合計6パターン。すぐ取り出したいものは、ごそごそ探すより場所が明確なほうが、現場でのストレスも少なくなる。

大容量は、急なリハーサルや泊まり込みのレコーディングにも対応できるだろう。





上部ふちに少し手作業だけで染めたターコイズ色のキップ牛革をトッピングした。いつでも海の青さを思い出せる。

しなやかで、すごく柔らかいが、めっぽう厚さがあってハードに使える。分厚くて柔らかい革は少し重いけど、ハグしたくなるホールド感。仏製GOYARDのハードタイプ同タイプのトートと同じくらいの重さかな。

軽量化、柔らかさ、強度を考え、内張りは総絹張りだ。 和テイストも入れてある。





センターの二本のチェーンは使わない時は外側へ垂らし 、キーチェーンとしても使用できるようスイベルフックがついているが、真ん中を渡して反対側のDリングにかけると、バッグのクチが開かないようになっている。





取っ手はショルダーにした場合肩に食い込まないように革で円筒を編んである。



ご一読ありがとうございました。

MID
2014,7/24
どうも眠れなく、ずいぶんとカラダは疲れているはずなのに、頭が休もうとしない。以前に書いたかもしれないメモをひっぱりだす。






======MID著

人も戦争も病気も精神論も宗教も

たったそのものを修復、改善、攻撃、治癒、裕福、幸せ、といった先進感で共有化させピンポイントで解決する人間は、その欲が即効性将来性を求めるのは当然である。

その周辺、副作用、反復、反撃、不幸、経費、自然破壊、などが、たとえあったとしても、知識、組み込まれた教養、莫大な歴史、捏造(ねつぞう)、オカルト、迷信、神話、事実確認風想像逸話、などで巨大な壁が構築され、その壁によって大半は、即効性、時間軸の「今」でない将来までの安心感性を選択せざるを得ない、人間の「欲と習慣性」を最大限に利用した 「バカの壁」と論じた養老猛の言葉を解釈させていただいた。

わたしMIDは、人間の「欲と習慣性」について、ずいぶん考え、これから未完の将来にどう採用するかを考え、他人の押し付けるのでなく、自らの中で考え中であり、社会、適応、順応、対処、解決といった方向性もふまえつつ独自の解釈をしてきた。また、人間の理は大多数によってこの解決作論によって左右されててしまう社会と生活の上に立たされ、作られた理を基準化させられているライフラインは、もうしょうがない事実。しかしこのピンポイント論で構築された「壁」を打破して、自らの意思と行動で「乗り越えるための壁」を作れればと思いながら、モノを作っている。

良いか悪いかとは、他人に決めさせない。

良い悪いというのはもともと皆無で、そこに基準ラインを誰かが作り、多くは自分で基準を決めてしまっている。

しかし、欲と習慣性が、この基準をどうしても作り出し、習慣化させてしまう欲が働いてしまう。

情報は得るべきであり、意見交換も接触も必要であり、和をもって貴するし、その気が人を生きさせるはずだし、人間は教育によって人間となるが、そこにある確たるデータも、基準が最高レベルで不動のものでさえ、それを酷使したために、精神が習慣化され、自らはきづけば不動になる、すなわち、自分の意思では動けなくなってしまうかもしれない。

芸術家は、意見交換後、自分をもっともさらけ出せる。

「もう、これで最後だ」と思い、完成した作品に一時的な達成感が蘇ると同時に、次の作品にとりかかってしまう。
ここで、一旦壁を乗り越えたが、その先にまた壁を作る。

戦争、病気、借金、悩み事を少なくするならば、欲と習慣性から少し外れ、基準点を排除し、それぞれが、自分の意思で立ち上がる、ひとつの作品を作り出すかのように自分で目標をつかむ。

解決作は過去にあらず、これから作り出す。

トラブルは最良の出来事なのだから。

======end

読みにくい文章、ご一読ありがとうございました。
MID