丁度2週間前ですが、心臓のカテーテル検査をして血管が狭くなっている箇所があったので週明けにPCI(風船で血管をふくらませるやつ)をやりました。
突然「明日検査空いているからすぐ入院」と言われ、ベッド上安静(最後の2日間だけトイレまで可)、何をするにも全部ナースコールを押して対応してもらう生活。
これで、2006年のときのことが蘇りました。
この時の身体疾患、精神疾患をほぼ同時に引き起こした結果、どうにもならない状況にあることを改めて思い知らされ、相当心が荒れました。
実は昨日、パチスロ行っちゃいました(笑)。
結果は大儲かりでしたが、ちっとも楽しくない。
やっぱり頭の中に浮かぶ映像は点滴を見上げる映像。
夜になり、「友人」(と言ってもらえるのもありがたい)がちょっとしたサプライズを仕掛けてくれました。
今、誰かに必要とされていることは一応やっているんだな、と思えました。
多分、「メンタルヘルス・マネジメント」を勉強し始め、色々と知識が付いたことも今の心の状況に大きく影響しているんだと思います。
悪い言い方をすれば、勉強をしたことで「(当時の)会社に命を奪われかけた」ことはよりはっきり自覚したわけです。
そして、この先月に1度病院にかかり検査をして、2年に1度ごとに血管に管を通して検査をして、そう思うと人生嫌になっちゃうんですよね。
この気持ちは家族も理解していない。
(パートナーは理解してくれてますが)
でも、今は毎月とか定期的に面倒なステップを踏みながらでも、生きていくことに価値を見出そうとしている自分もいるんですよね。
「生きるのが面倒になっている自分」と「面倒でも生きようとしている自分」が葛藤している状態とでもいうのでしょうか。
「左手のこと」がそうだったように、2006年のことも「受容していく」しかないんだというのは頭の中では分かっています。
ただ、どうしたらいいのかまだ答えは分かりません。
ただ、「メンタルヘルスの大切さを伝えていきたい」と決めた以上、今までのように「心の奥底に封じ込めている」ではないように思います。
これも「受容」したうえで伝えることに意味があると確信してますから。
多分、これを読んでいる皆さんも色々なことで「葛藤」していることってあるんだろうな、と思います。
僕だけじゃないんでしょうね、きっと。
しばらくは頓服の精神安定薬の力も借りることになるかもしれませんが、「2006年」ともじっくり向き合っていきたいと思います。
P.S.気晴らしに新しい動画クイズを設計しています。