おはようございます、幼い頃広告代理店を「広告理髪店」と言っていたミドルです。広告作ってもらえる上に散髪までしてくれるのなら十分重宝するんじゃないですかね(^_^;)
山野線(やまのせん)は、かつて熊本県水俣市の水俣駅から鹿児島県姶良郡湧水町(営業当時は栗野町)の栗野駅までを結んでいた、九州旅客鉄道(JR九州)の鉄道路線(地方交通線)である。国鉄再建法施行により1984年に第2次特定地方交通線に指定され、国鉄分割民営化後の1988年(昭和63年)2月1日をもって全線廃止となった。
路線データ
管轄(事業種別):九州旅客鉄道(第一種鉄道事業者)
区間(営業キロ):水俣 - 栗野 55.7km
軌間:1067mm
駅数:16(起終点駅含む)
複線区間:なし(全線単線)
電化区間:なし(全線非電化)
閉塞方式:タブレット閉塞式
歴史
山野線は、沿線にある鉱山の開発のため敷設された路線で、栗野 - 山野間が軽便鉄道法を準用し建設され、1921年に山野軽便線(やまのけいべんせん。1922年に山野線に改称)として開業した。水俣 - 山野間は改正鉄道敷設法別表第124号の予定線で、1934年に水俣 - 久木野間が山野西線(やまのさいせん)として開業、従来からの山野線は山野東線(やまのとうせん)と改称。1935年には山野東線が薩摩布計まで延長され、1937年には県境区間の久木野 - 薩摩布計間が開業し全通した。この時に、線名は再び山野線に戻った。
なお、久木野 - 薩摩布計間にはループ線(大川ループ)があったことで知られている。 直径300mほどの円形で、そばに「生活博物館るーぷ亭」が建っている。
廃止前年の1987年末から漫画が車体に描かれていたキハ52形気動車1両も、1988年1月31日の山野線最後の旅客営業日を迎えた。廃止に当たっては、沿線住民の半数が見送りに駆けつけたという。
山野軽便線→山野東線
1921年(大正10年)9月11日 栗野 - 山野間 (23.6km) を山野軽便線として開業[1]、湯之尾・菱刈・薩摩大口・山野の各駅を新設。
1922年(大正11年)9月2日 山野軽便線を山野線と改称[2]。
1934年(昭和9年)4月22日 山野西線開業により山野線を山野東線と改称。
1935年(昭和10年)12月20日 山野 - 薩摩布計間 (9.7km) を延伸開業、薩摩布計駅を新設、薩摩大口 - 山野間を改キロ (-0.2km)。
山野西線
1934年(昭和9年)4月22日 水俣 - 久木野間 (14.3km) を山野西線として開業、東水俣・肥後深川・深渡瀬・久木野の各駅を新設。
全通後(山野線)
1937年(昭和12年)12月12日 久木野 - 薩摩布計間 (8.3km) を延伸開業し、山野西線と山野東線を合わせて山野線とする[3]。
1938年(昭和13年)3月25日 西菱刈駅を新設。
1959年(昭和34年)11月23日 稲葉崎駅を新設。
1962年(昭和37年)2月15日 出水 - 宮崎間に準急「からくに」新設(1966年3月に急行格上げ)。
1963年(昭和38年)4月5日 前目駅を新設。
1965年(昭和40年)2月11日 郡山八幡駅を新設。
1972年(昭和47年)3月15日 急行「からくに」廃止、無名の快速に格下げ。
1984年(昭和59年)6月22日 第2次特定地方交通線として廃止承認。
1986年(昭和61年)11月1日 全線 (55.7km) の貨物営業を廃止。
1987年(昭和62年)4月1日 国鉄分割民営化に伴い、日本国有鉄道から九州旅客鉄道に承継。
1988年(昭和63年)2月1日 全線 (55.7km) を廃止し、南国交通と九州産交バスのバス路線に転換[3]。
運行形態
山野線廃止時のもの。
水俣 - 栗野間 下り6本、上り3本
水俣 - 薩摩大口間 下り昼1本、上り3本
水俣 - 久木野間 朝1往復
山野 - 栗野間 下り3本(朝2本、夕1本)、上り朝夕各1本
薩摩大口 - 栗野間 下り昼2本、上り4本
山野発着列車は、休日は山野 - 薩摩大口間で区間運休していた。
急行「からくに」山野線内廃止時停車駅
水俣 - 久木野 - 山野 - 薩摩大口 - 菱刈 - 栗野
使用車両
国鉄キハ40系気動車 (2代)
国鉄キハ20系気動車
国鉄キハ45系気動車
国鉄C12形蒸気機関車
国鉄C56形蒸気機関車
駅一覧
接続路線の事業者名・駅の所在地は、山野線廃止時点のもの。
駅名 駅間キロ 営業キロ 接続路線 所在地
水俣駅 - 0.0 九州旅客鉄道:鹿児島本線(現・肥薩おれんじ鉄道) 熊本県 水俣市
東水俣駅 2.6 2.6
肥後深川駅 3.7 6.3
深渡瀬駅 1.6 7.9
久木野駅 6.4 14.3
薩摩布計駅 8.3 22.6 鹿児島県 大口市(現・伊佐市)
西山野駅 8.1 30.7
山野駅 1.6 32.3
郡山八幡駅 1.8 34.1
薩摩大口駅 2.9 37.0 日本国有鉄道:宮之城線(1987年1月10日廃止)
西菱刈駅 4.8 41.8 伊佐郡菱刈町(現・伊佐市)
菱刈駅 2.5 44.3
前目駅 2.0 46.3
湯之尾駅 2.8 49.1
稲葉崎駅 2.6 51.7 姶良郡栗野町(現・姶良郡湧水町)
栗野駅 4.0 55.7 九州旅客鉄道:肥薩線
鉄道代替バス
廃線後は水俣 - 久木野駅間(バスは久木野の先の大川まで運行)が九州産業交通(現在の産交バス)、水俣 - 薩摩大口、薩摩大口 - 栗野間が南国交通(南国交通)のバスに転換された。
バス転換当初は、薩摩布計駅跡は代替バスのルートから外れたため、大口から区間便が設定され専用のマイクロバスが運行されていた。また代替バスのルートから外れた菱刈駅と西菱刈駅を経由して大口 - 栗野を結ぶ路線が設定された。その後赤字補填が終了したことや利用者の減少などにより薩摩布計駅跡行きと西菱刈経由の便は廃止された。
現在は水俣 - 久木野駅間をみなくるバス(産交バス)、水俣 - 薩摩大口間を空港バス、薩摩大口 - 栗野間を一般路線バス(南国交通)がそれぞれ鉄道代替バスとして運行している。
廃線跡の状況
水俣駅付近から久木野駅跡手前までは、自転車歩行者専用道路「日本一長〜い運動場」として整備されている。水俣駅を出ると鹿児島本線(現在の肥薩おれんじ鉄道)と並走していた。湯出川橋梁は当時の橋脚と橋桁が残存しており、舗装され通行できるようになっている。東水俣駅は休憩所となっており駅舎は建て替えられているが、集落から駅に向かうコンクリートの階段が残存している。肥後深川駅手前にあった水俣川橋梁は当時の橋脚と橋桁が残存しており、舗装され通行できるようになっている。
肥後深川駅は休憩所になり駅舎は残存していないが、脇に当時のホームと切り込み線が残存している。
深渡瀬駅は道路になっているが空き地にホームの一部が土に埋もれながら残存している。深渡瀬駅を出ると宝川内川を一度、久木野川をガーダ橋で二度渡っていたが、当時の橋脚と橋桁が残存しており、舗装され通行できるようになっている。久木野駅手前の第二久木野川橋梁を渡ると自転車歩行者専用道路「日本一長〜い運動場」は終了し、一般道に転用されている。
久木野駅は「棚田の駅 愛林館」となっている。駐車場には当時を再現したホームや車掌車に腕木信号機等が展示されている。また、建物内には当時の駅スタンプが展示されており押印することができる。久木野駅を出るとしばらく県道15号線に転用されるが有木付近から林道となる。第三久木野川橋梁はレールを撤去された以外は当時のまま残存している。ここからはループ線となっていた(通称:大川ループ)。第一大川隧道、第二大川隧道、下日平隧道、日平隧道、久木野隧道が残存している。久木野隧道で鹿児島県に入ると薩摩布計駅に到達する。
薩摩布計駅はホームが残っている。薩摩布計駅を出ると通っていた山野川橋梁、堂原隧道、柴尾隧道は残存している。
西山野駅はホームが残っている。西山野駅を出てしばらくすると車道に転用されている。山野駅手前には牛ノ河川橋梁があったが当時の橋脚と橋桁が残存しており、車道として舗装され通行できるようになっている。
山野駅は鉄道公園として整備されている。
郡山八幡駅は道路になっており遺構はない。
薩摩大口駅は「大口ふれあいセンター」となっておりセンター内の「大口歴史民俗鉄道記念資料館」に山野線や宮之城線の資料が展示されている。また、屋外にも車掌車や腕木信号機にポイントなどが展示されている。宮之城線分岐までは単線並列だった。
菱刈駅は道路になっており遺構はないがA・コープの駐車場に駅跡を示す碑がある。
前目駅は道路になっており遺構はない。湯ノ尾駅手前で舗装道路と別れ未舗装道路となる
湯之尾駅は当時のホームや車掌車に踏切が、保存・展示されている。稲葉崎駅手前から歩行者・自転車専用道「栗野町サイクリングロード」となる。
稲葉崎駅は、歩行者・自転車専用道になっており遺構はない。川内川橋梁は撤去されているが橋脚の基礎部分が残存している。カーブをしながら山野線の終着駅である栗野駅に侵入していた。山野線は栗野駅1番線を使用していた。
また、山野線の枕木7000本は栗野岳の登山口から登山道の途中にある展望台まで「日本一の枕木階段」として使用されている[4]。
宮之城線(みやのじょうせん)は、かつて鹿児島県川内市(現・薩摩川内市)の川内駅から同県大口市(現・伊佐市)の薩摩大口駅までを結んでいた、日本国有鉄道(国鉄)の鉄道路線(地方交通線)である。国鉄再建法の施行により第2次特定地方交通線に指定され、国鉄分割民営化を約3か月後に控えた1987年(昭和62年)1月10日に全線廃止となった。
路線データ
管轄(事業種別):日本国有鉄道
区間(営業キロ):川内 - 薩摩大口 66.1km
軌間:1067mm
駅数:20(起終点駅含む)
複線区間:なし(全線単線)
電化区間:なし(全線非電化)
閉塞方式:通票閉塞式
運行形態
開業時より普通列車のみが運転されており、1983年8月時点では下り7本・上り5本の川内 - 薩摩大口間の全区間を運転する列車のほか、川内発の薩摩永野、宮之城、薩摩鶴田間、宮之城発の薩摩大口、薩摩鶴田間、針持 - 薩摩大口間の区間運転列車が設定されていた。
1983年8月当時の運転状況
川内 - 薩摩大口間 下り7本、上り5本
川内 → 薩摩鶴田 朝1本
川内 - 薩摩永野間 下り夜1本、上り朝1本
針持 - 薩摩大口間(休日運休) 下り3本(朝2本、夕1本)、上り2本(朝夕各1本)
宮之城 → 川内 3本
薩摩鶴田 → 宮之城 朝1本
薩摩大口 → 宮之城 夜1本
廃止時の使用車両
いずれも気動車
キハ40系
キハ52系
歴史
川宮鉄道設立から工事中止そして解散
1913年(大正2年):川宮鉄道株式会社が設立される[1]。
1917年(大正6年):川内 - 樋脇間の線路敷設工事に着手[1]。
1921年(大正10年):第一次世界大戦の資材値上がり等により工事中止。同年2月に川宮鉄道株式会社が解散[1]。
国有化以降
1923年(大正12年):川内 - 大口間の建設線の一部として既に建設されていた部分を国有化し[1]、大川線(後に宮之城線に改称)として7月より工事に着工。
1924年(大正13年)10月20日:【開業】宮之城線 川内町 - 樋脇間 (13.4km) 【駅新設】楠元駅、吉野山駅、樋脇駅[3]
1926年(大正15年)5月8日:【延伸開業】樋脇 - 宮之城間 (15.9km) [4] 【駅新設】入来駅、薩摩山崎駅、宮之城駅
1934年(昭和9年)
7月8日:【延伸開業】宮之城 - 薩摩鶴田間 (7.6km) 【駅新設】佐志駅、薩摩湯田駅、薩摩鶴田駅[5]
7月8日:ガソリンカー運転開始。
1935年(昭和10年)
6月9日:【延伸開業】薩摩鶴田 - 薩摩永野間 (10.6km) 【駅新設】薩摩求名駅、薩摩永野駅[6]
8月28日:【駅新設】広橋駅[7]
1936年(昭和11年)
3月20日:【駅新設】薩摩白浜駅[8]
6月5日:【駅新設】船木駅[4]。
1937年(昭和12年)12月12日:【延伸開業】薩摩永野 - 薩摩大口間 (18.6km、宮之城線全通) 【駅新設】針持駅・西太良駅・羽月駅[9]。
1940年(昭和15年)10月1日:【駅名改称】川内町駅→川内駅
1945年(昭和20年)6月20日:【駅休止】薩摩白浜駅[10]
1947年(昭和22年)2月11日:【駅再開】薩摩白浜駅[11]。
1958年(昭和33年)2月1日:ディーゼルカー運転開始。
1959年(昭和34年)11月23日:【駅新設】上樋脇駅[12]。
1974年(昭和49年)12月16日:蒸気機関車運転廃止。
1984年(昭和59年)6月22日:第2次特定地方交通線として廃止承認。
1986年(昭和61年)11月1日:全線 (66.1km) の貨物営業を廃止。
1987年(昭和62年)1月10日:全線 (66.1km) を廃止[13]し、バス路線に転換(入来を経由しない川内 - 宮之城および川内 - 入来が林田産業交通[13](林田バス・現いわさきバスネットワーク)、入来 - 宮之城がJR九州バス、宮之城 - 薩摩大口が南国交通[13])。
駅一覧
接続路線の事業者名・駅の所在地は宮之城線廃止時点のもの。全駅が鹿児島県内に所在。
川内市・樋脇町・入来町は現・薩摩川内市、宮之城町・鶴田町・薩摩町は現・さつま町、大口市は現・伊佐市。
駅名 駅間キロ 営業キロ 接続路線 所在地
川内駅 - 0.0 日本国有鉄道:鹿児島本線 川内市
薩摩白浜駅 5.1 5.1
楠元駅 1.4 6.5
吉野山駅 3.8 10.3
樋脇駅 3.1 13.4 薩摩郡 樋脇町
上樋脇駅 2.2 15.6
入来駅 3.1 18.7 入来町
薩摩山崎駅 4.7 23.4 宮之城町
船木駅 3.0 26.4
宮之城駅 2.9 29.3
佐志駅 3.1 32.4
薩摩湯田駅 1.9 34.3
薩摩鶴田駅 2.6 36.9 鶴田町
薩摩求名駅 3.6 40.5 薩摩町
広橋駅 2.7 43.2
薩摩永野駅 4.3 47.5
針持駅 7.4 54.9 大口市
西太良駅 4.6 59.5
羽月駅 2.8 62.3
薩摩大口駅 3.8 66.1 日本国有鉄道:山野線
代替バス
鹿児島交通と南国交通が廃線区間を代替する路線バスを運行している。 2024年段階では以下の設定がある。
川内 - 宮之城間(鹿児島交通):平日1日7.5往復、土曜1日4.5往復、日・祝日1日2往復
宮之城線の各駅に沿うルートとして、川内 - 入来間に薩摩川内市が運行する市内横断シャトルバス、入来 - 宮之城間に鹿児島交通の路線の設定がある。
宮之城 - 大口間(南国交通):平日1日6往復、土日祝日1日4往復
大口行が経由しない広橋・永野方面へは宮之城から1日2往復、佐志へは平日のみ1日1往復の設定
大隅線(おおすみせん)は、かつて鹿児島県曽於郡志布志町(現・志布志市)の志布志駅から同県国分市(現・霧島市)の国分駅までを結んでいた、日本国有鉄道(国鉄)の鉄道路線(地方交通線)である[1]。国鉄再建法の施行により1984年(昭和59年)6月に第2次特定地方交通線に指定され、1987年(昭和62年)3月14日に全線廃止となった[1]。
概要
当時の国分市と、大隅半島の主要都市である垂水市、鹿屋市、志布志市を結ぶ路線であった。
廃止後は、大隅半島の大部分が鉄道空白地帯となり、現在は鹿児島市を擁する薩摩半島への鉄道でのアクセスが悪い状況にある。
路線データ(廃止時)
管轄(事業種別):日本国有鉄道
区間(営業キロ):志布志 - 鹿屋 - 国分98.3km
軌間:1067mm
駅数:33(起終点駅含む)
複線区間:なし(全線単線)
電化区間:なし(全線非電化)
閉塞方式
志布志駅 - 古江駅:タブレット閉塞式
古江駅 - 国分駅:自動閉塞式(特殊)
運行形態
志布志に向かうに従い本数が多くなり、県庁所在地の鹿児島方面への列車は少なかった。これは、開通の遅れた古江 - 国分間では、既に自動車を中心にした交通が確立しており、また垂水からフェリーで行くルートの方が近道であったからといわれている。廃止直前時点の運行形態は以下の通り。
快速
志布志 - 国分 「大隅」上下1往復(朝:下り、夜:上り、下りの志布志 - 鹿屋間は普通列車)、国分より西鹿児島駅まで乗り入れ
志布志 - 鹿屋 「佐多」上下1往復、志布志より宮崎駅まで乗り入れ
いずれも急行からの格下げ。
普通
志布志 - 鹿屋 上り10本、下り9本
鹿屋 - 古江 上下7往復
古江 - 垂水 上り6本、下り7本
垂水 - 国分 上下5往復
(以下詳細)
志布志 - 国分間 下り4本、上り3本
志布志 - 鹿屋間 下り昼1本、上り4本
志布志 - 古江間 下り夜1本、上り朝1本
志布志 - 垂水間 下り朝夜各1本、上り昼1本
垂水 → 国分 朝1本
国分 → 大隅境 夜1本
大隅境 → 志布志 朝1本
歴史
ウィキソースに大隅鐵道株式會社所屬古江串良間鐵道買收等の鉄道省告示があります。
大隅線の歴史は、1915年(大正4年)に軌間762mmの南隅軽便鉄道(なんぐうけいべんてつどう)が高須 - 高山間を開業したのに始まる。同鉄道は、翌年に社名を大隅鉄道(おおすみてつどう)に改め、1923年(大正12年)までに古江 - 串良間が全通した。
その後、改正鉄道敷設法別表第126号に規定する予定線にあげられた。1935年(昭和10年)に大隅鉄道は買収・国有化されて国有鉄道古江線(ふるえせん)となったが、軌間は762mmのままであった。また、同年には国有鉄道が建設した古江東線が志布志から東串良まで軌間1,067mmで開業し、古江線は古江西線に改称された。古江東線は翌年には古江西線の串良駅に乗り入れた。古江西線は、買収後直ちに改軌工事に着手され、1938年(昭和13年)に古江西線の改軌が完成するまでの間の串良駅は、異種軌間が併存する接続駅となった。同年の改軌工事完成に伴い、スイッチバック構造であった鹿屋駅は、移転と同時に直通可能な配線に改良され、停留場のいくつかが廃止、志布志 - 古江間が古江線と改称された。
以降の延長は戦後となり、1961年(昭和36年)に海潟まで開通[2]、1972年(昭和47年)に国分まで開業し全通。同時に線名を大隅線に改めた。前述の通り鹿屋近辺では自動車交通が、垂水では南海郵船が既に発達している影響で列車本数が少なく、全通前の1968年(昭和43年)9月に赤字83線のひとつに挙げられた。利用も開通当初から低迷し第2次特定地方交通線の基準を上回ることができなかった。1984年(昭和59年)に廃止承認後、1987年(昭和62年)3月14日に全線廃止となりバス路線へ転換された。なお、1972年(昭和47年)における延長区間は「バス転換された特定地方交通線」として全国でも最後の開業となった[3]。
大隅線廃止後は国鉄バス(後のJR九州バス)が代替線を運行するという異例の措置がとられたが[1]、後に鹿児島交通(後に大隅交通ネットワークへ移管)に引き継がれた。2006年(平成18年)になって、鹿児島交通グループが採算性が合わないことを理由に大隅地方におけるバス運行の撤退を表明したため、関係自治体と県を交えた協議会が開催されることになった。
南隅軽便鉄道→大隅鉄道→古江線→古江西線
1915年(大正4年)7月11日 南隅軽便鉄道が高須 - 鹿屋を開業[1]、高須・鹿屋の各駅および野里・田崎の各停留場を新設。
1916年(大正5年)5月30日 南隅軽便鉄道が大隅鉄道に社名を変更。
1920年(大正9年)12月23日 鹿屋 - 高山間を延伸開業。川西・永野田・姶良・高山の各駅、下田崎・論地の各停留場を新設。
1921年(大正10年)8月11日 高山 - 串良間を延伸開業。下小原・串良の各駅を新設。
1923年(大正12年)12月19日 古江 - 高須間を延伸開業。古江・荒平の各駅、船間停留場を新設。
1927年(昭和2年)2月 滝ノ観音停留場を新設。
1933年(昭和8年)6月15日 金浜停留場を新設。
1935年(昭和10年)
6月1日 大隅鉄道を買収し国有化[1]。古江 - 串良間 (31.5km) を古江線とする[1]。高須駅を大隅高須駅に、野里駅を大隅野里駅に、川西駅を大隅川西駅に、高山駅を大隅高山駅に改称。
10月28日 古江線を古江西線に改称。
古江東線
1935年(昭和10年)10月28日 志布志 - 東串良間 (16.2km) を古江東線として開業。菱田・大隅大崎・東串良の各駅を新設。
1936年(昭和11年)10月23日 東串良 - 串良間 (0.6km) を延伸開業し、古江西線串良駅に乗入れ。
1936年度(昭和11年)志布志-串良間にキハニ5000(志布志機関区、5両)を運行[4]
1937年(昭和12年)4月19日 三文字駅を新設。
古江線→大隅線
1938年(昭和13年)
10月10日 古江 - 串良間 (31.0km) の改軌完成。古江東線と古江西線を合わせて古江線と改称。下田崎駅、田崎駅、滝ノ観音駅、金浜駅、船間駅を廃止。鹿屋駅移転(線路付け替えにより-0.5km)。
10月15日 台風接近による風水害(肝属地方風水害)により複数個所で不通。大崎町木入道(三文字 - 東串良間)は同日中に復旧したが[5]、大隅高山 - 大隅野里間は復旧までに3か月程度を要するとされた[6]。志布志駅前には「志布志線古江線大水害復旧記念碑」が同年12月に建立されている[7]。
1952年(昭和27年)1月1日 姶良駅を吾平駅に改称。
1955年(昭和30年)2月1日 気動車列車の運行開始[8]。
1961年(昭和36年)4月13日 古江 - 海潟間 (17.0km) を延伸開業(旅客営業のみ)[2]。新城・諏訪・柊原・浜平・垂水・海潟の各駅を新設。
1972年(昭和47年)
1月1日 鹿屋 - 古江間 (15.8km) の貨物営業を廃止。
9月9日 海潟温泉 - 国分間 (33.5km) を延伸開業(旅客営業のみ)し、全通[1]。古江線を大隅線と改称[1]。大隅麓・大隅辺田・大隅二川・大隅境・大廻・大隅福山・敷根・銅田・金剛寺の各駅を新設。海潟駅を移転し、海潟温泉駅に改称(改キロなし)。
1982年(昭和57年)11月15日 志布志 - 鹿屋間 (32.0km) の貨物営業を廃止[9]。
1984年(昭和59年)6月22日 第2次特定地方交通線として廃止承認。
1987年(昭和62年)3月14日 全線 (98.3km) を廃止し、バス路線へ転換[1]。
駅一覧
接続路線の事業者名・駅の所在地は大隅線廃止時点のもの。全駅が鹿児島県内に所在。
停車駅
快速(快速運転区間のみ表示)…●:停車、▲:「大隅」上り列車のみ停車
普通列車は全列車全駅停車。
駅名 駅間キロ 営業キロ 快速 接続路線 所在地
志布志駅 - 0.0 ● 日本国有鉄道:日南線・志布志線(1987年3月28日廃止) 曽於郡 志布志町
菱田駅 5.5 5.5 | 有明町
大隅大崎駅 4.0 9.5 ▲ 大崎町
三文字駅 1.0 10.5 |
東串良駅 5.7 16.2 ● 肝属郡 東串良町
串良駅 0.6 16.8 | 串良町
下小原駅 2.2 19.0 |
大隅高山駅 2.5 21.5 ● 高山町
論地駅 2.4 23.9 |
吾平駅 1.8 25.7 ▲ 吾平町
永野田駅 1.5 27.2 | 鹿屋市
大隅川西駅 1.8 29.0 |
鹿屋駅 3.0 32.0 ●
大隅野里駅 5.1 37.1 |
大隅高須駅 3.9 41.0 ●
荒平駅 3.9 44.9 |
古江駅 2.9 47.8 ●
新城駅 4.0 51.8 | 垂水市
諏訪駅 1.5 53.3 |
柊原駅 3.1 56.4 |
浜平駅 2.7 59.1 |
垂水駅 2.5 61.6 ●
海潟温泉駅 3.2 64.8 ●
大隅麓駅 4.9 69.7 |
大隅辺田駅 2.8 72.5 |
大隅二川駅 3.2 75.7 |
大隅境駅 3.6 79.3 ●
大廻駅 6.2 85.5 | 姶良郡
福山町
大隅福山駅 3.1 88.6 ●
敷根駅 3.3 91.9 | 国分市
銅田駅 2.5 94.4 |
金剛寺駅 1.9 96.3 |
国分駅 2.0 98.3 ● 日本国有鉄道:日豊本線
現状
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出典検索?: "大隅線" – ニュース · 書籍 · スカラー · CiNii · J-STAGE · NDL · dlib.jp · ジャパンサーチ · TWL (2024年7月)
線路跡はほとんどのところで道路化されたり遊歩道、農道になっていて、数ある廃線跡の中では比較的訪ねやすい。道路化された部分でも距離標や勾配標などがそのままになっている箇所も多い。トンネルの一部、橋梁の一部、論地 - 吾平間の一部(圃場整備によって田圃になっている)、大隅高須 - 古江間のフィットネスパース未完成部分などをのぞいて、全線に渡ってほぼたどることができる。大隅高須駅の鹿屋方にあるトンネル、古江駅南方のトンネル、大隅麓駅の国分方で垂水市牛根地区の「道の駅たるみず」北方付近のトンネルについては、フィットネスパースやサイクリングロードの一部として整備され利用されている。
国道220号線の鹿屋市古江地区から霧島市福山地区にかけての沿道の山手側に、山裾のやや高い位置に路盤や橋梁・トンネルが断続的に続いているのを見ることができる。
志布志線(しぶしせん)は、かつて宮崎県都城市の西都城駅から鹿児島県曽於郡志布志町(現・志布志市)の志布志駅までを結んでいた、日本国有鉄道(国鉄)の鉄道路線(地方交通線)である[1]。国鉄再建法の施行により第2次特定地方交通線に指定され、1987年3月28日に全線廃止となった[1]。
路線データ(廃止時)
管轄(事業種別):日本国有鉄道
区間(営業キロ):西都城 - 志布志 38.6km[1]
軌間:1067mm
駅数:10(起終点駅含む)
複線区間:なし(全線単線)
電化区間:なし(全線非電化)
閉塞方式:タブレット閉塞式
輸送密度 : 1617人(1981年度) [2]
営業係数 : 847(1981年度)
運行形態(廃止時)
廃止時は10往復の列車が設定され、普通列車のほか朝の上りと夜の下りに各1本ずつ日豊本線と当線を経由して西鹿児島(現在の鹿児島中央) - 日南線油津間を直通する快速列車「大隅」が設定されていた。全列車が西都城 - 志布志間を通しで運転しており区間運転は無かったが、西都城側では西鹿児島に直通する快速列車1往復を除く全列車が都城まで、志布志側でも普通列車下り4本・上り3本が宮崎まで、快速列車は上下とも油津まで日南線へ直通運転を行っていた(日南線内は普通)。
廃止時の使用車両
キハ47
キハ58
歴史
都城から太平洋岸の志布志に向かい、軽便鉄道法により建設された鉄道で、1923年から1925年にかけて志布志までが開業した。1932年には、国都東・西線が連絡し、現在の日豊本線ルートが完成したのにともない、都城 - 西都城間が日豊本線に編入されている。
現在は日南線となっている北郷 - 志布志間についても当初は志布志線として開業した区間で、1963年の日南線南宮崎 - 北郷間開業にともない、同線に編入された。こちらは大隅線とともに、改正鉄道敷設法別表第126号に規定する予定線である。
年表
*は後の日南線の区間
1923年(大正12年)1月14日 都城 - 末吉間 (10.8km) を志布志線として開業[1]。西都城駅・今町駅・末吉駅を新設。
1924年(大正13年)3月25日 末吉 - 大隅松山間 (13.3km) を延伸開業[1]。岩川駅・大隅松山駅を新設。
1925年(大正14年)3月30日 大隅松山 - 志布志間 (17.0km) を延伸開業[1]。縄瀬駅・安楽駅・志布志駅を新設。
1932年(昭和7年)12月6日 都城 - 西都城間 (2.5km) を日豊本線に編入。
1934年(昭和9年)4月1日 岩北駅を新設。
1935年(昭和10年)4月15日 志布志 - 榎原間 (28.5km) を延伸開業*、大隅夏井駅*・福島今町駅*・福島仲町駅*・日向北方駅*・日向大束駅*・榎原駅*を新設。
1936年(昭和11年)3月1日 榎原 - 大堂津間 (10.2km) を延伸開業*。南郷駅*・大堂津駅*を新設。
1937年(昭和12年)4月19日 大堂津 - 油津間 (4.3km) を延伸開業*。油津駅*を新設。
1941年(昭和16年)10月28日 油津 - 北郷間 (13.5km) を延伸開業*し全通。油津 - 元油津間の貨物支線(1.0km。実態は油津線起点付近の改軌新線)*開業。吾田駅*・飫肥駅*・内之田駅*・北郷駅*、(貨)元油津駅*を新設。
1949年(昭和24年)
1月15日 谷之口駅*を新設。
9月15日 福島高松仮乗降場*を新設。
1950年(昭和25年)1月10日 福島高松仮乗降場*を駅に改める。
1952年(昭和27年)1月1日 吾田駅*を日南駅に改称。
1955年(昭和30年)2月1日 気動車列車の運行開始[3]。
1959年(昭和34年)10月1日 縄瀬駅を伊崎田駅に、福島仲町駅を串間駅*に改称。
1960年(昭和35年)
7月25日 油津 - 元油津間の貨物支線* (1.0km) を廃止。
8月1日 中安楽駅を新設。
1963年(昭和38年)5月8日 志布志 - 北郷間 (56.5km) を日南線に編入し、西都城 - 志布志間(38.6km)が志布志線となる。
1975年(昭和50年)1月20日 無煙化により蒸気機関車が廃止される[4]。
1983年(昭和58年)4月1日 全線 (38.6km) の貨物営業を廃止。
1984年(昭和59年)6月22日 第2次特定地方交通線として廃止承認。
1987年(昭和62年)3月28日 全線 (38.6km) を廃止[1]。鹿児島交通にバス転換[1](のちに三州自動車。さらに2018年4月1日、三州自動車の解散・鹿児島交通への事業譲渡により、再度鹿児島交通のバス運行となる。)
駅一覧
接続路線の事業者名・駅の所在地は、志布志線廃止時点のもの。全普通列車が直通していた都城駅から記載する。営業キロは西都城駅からのもの。
路線名…日豊:日豊本線
停車駅
快速「大隅」…●は停車、|は通過
普通列車は全駅に停車。
路線名 駅名 駅間
キロ 営業
キロ 快速 接続路線 所在地
日豊 都城駅 - 2.5 日本国有鉄道:吉都線 宮崎県都城市
西都城駅 2.5 0.0 ● 日本国有鉄道:日豊本線
志布志線
今町駅 4.3 4.3 |
末吉駅 4.0 8.3 ● 鹿児島県 曽於郡末吉町(現・曽於市)
岩北駅 6.1 14.4 |
岩川駅 2.8 17.2 ● 曽於郡大隅町(現・曽於市)
大隅松山駅 4.4 21.6 ● 曽於郡松山町(現・志布志市)
伊崎田駅 4.8 26.4 ● 曽於郡有明町(現・志布志市)
安楽駅 7.1 33.5 ● 曽於郡志布志町(現・志布志市)
中安楽駅 2.0 35.5 |
志布志駅 3.1 38.6 ● 日本国有鉄道:日南線・大隅線(1987年3月14日廃止)
代替バス
鹿児島交通都城-志布志線が代替バスとして運行されている[5]。
2020年5月現在のダイヤ
都城駅 - 志布志駅前(全線通し) 上り3本、下り4本
末吉駅跡 - 志布志駅前 上下1往復
末吉駅跡 - 岩川 上下1往復
この他、都城駅 - 岩川間に鹿屋発着が6往復、岩川 - 志布志駅前間に鹿児島空港発着が4往復乗り入れている。
廃線後の状況
廃止後、西都城駅付近の公園から岩北駅付近までの区間が自転車・歩行者用道路として整備されており、西都城駅 - 県境付近までの区間(約6km)には「志布志線ウェルネスロード」、県境から岩北駅付近までの区間には「マインドロード末吉」の名称が付けられている[6][7]。