「卒業」(そつぎょう)は、1985年2月21日にキャニオン・レコードより発売された斉藤由貴のデビューシングルである。(EP: 7A0464)
概要・背景
卒業ソングの代表曲のひとつ。発売から40年近く経った2010年代・2020年代の時点でも人気があり(下記『特集・ランキング』参照)、多くのJ-POPのアーティストにカバーされている(下記『カバー』参照)。
発売前、斉藤が前年(1984年)から出演していた明星食品「青春という名のラーメン」CMのイメージソングに決定すると[7]、担当ディレクターの長岡和弘は、作詞・作曲にヒットメーカーの松本隆と筒美京平を起用。また編曲にはキーボード奏者で、新進気鋭のアレンジャーだった武部聡(武部聡志)を起用する。長岡は、小林麻美のアルバム『CRYPTOGRAPH〜愛の暗号』での武部のサウンド・プロデュースを気に入り、本作の編曲に抜擢した[8]。長岡は楽曲を制作するにあたり、斉藤がオーディションで歌った「夏の扉」「SWEET MEMORIES」(松田聖子)、「時をかける少女」(原田知世)、「待つわ」(あみん)[注 1]、「悪女」(中島みゆき)の録音を、松本と筒美に聴かせる[9]。斉藤の歌を聴いた二人は、あみんの「待つわ」が心に響いたと意見が一致[9]。「待つわ」のように、歌詞をきちんと伝えるような歌を作ろうということになる[9]。
詞の世界を活かすために、本作は先に松本が歌詞を書き、そこに筒美がメロディーを付けるという形(詞先)で制作される[10]。すでに「卒業」というタイトルは決まっており、松本は歌の主人公が通う学校の風景や情景など、スタッフと議論を重ねながら、叙情的な詞の世界を完成させる[9]。また完成時はサビの部分が「卒業式で泣かないと…」となっていたが、レコーディングの際に筒美が「卒業式で泣かないと…」の前に「ああ」を入れようと提案。そのまま追加しレコーディングされる[9]。
この曲で印象的なイントロのアルペジオは、武部の発案ではなく、既に筒美が作成したデモの段階で入っていた[11]。武部の編曲は松本の詞にインスパイアされたものとなっている[12]、例えば、イントロのアルペジオは、鳥の電子音が入っているので朝の始業のチャイムのイメージ[13]、また、デジタル楽器だけでなく、鍵盤ハーモニカ、サクソフォーン、フルートなどのアナログ楽器も使用することで学校や学校のブラスバンド部のイメージを生み出している[14]。
なお本作の制作過程において、長岡は自身の母校である長崎県立大村高等学校の正門からの桜並木の景色を思い浮かべながら、ディレクションを手掛けている[15]。
発売時、レコードジャケットには全身ピンナップが付けられていた。
同時期には菊池桃子・尾崎豊・倉沢淳美も同名の「卒業」という曲をリリースした[16]。斉藤の「卒業」と菊池の「卒業」が1985年4月25日のザ・ベストテン(久米宏最後の司会の回)で同時にランクインした。2人は別々の移動先から、2元中継(スタジオを含めると3元中継)の同時生放送で出演した。その際、黒柳徹子から「同名の曲ということで相手のことが気になりますか」と問われ、菊池が「そうですね」と答えたのに対し、斉藤は「ええ。やっぱり同じ題名ですから」と答えた。
2008年2月29日放送の『僕らの音楽』(フジテレビ)では斉藤由貴×一青窈のコラボレーション、2013年12月4日放送の『2013 FNS歌謡祭』(フジテレビ)では斉藤由貴×渡辺麻友のコラボレーションで披露されている。
2015年6月24日発売のトリビュート・カバーアルバム『風街であひませう』では、YUKIのカバー曲が収録され[17]、限定生産盤のスペシャルディスクでは斉藤自身が歌詞を朗読している[18]。
2016年2月23日放送の『マツコの知らない世界』(TBS)で“卒業ソング”を特集した際に、マツコ・デラックスが好きな楽曲として本作を挙げる[19]。卒業の歌にしては醒めた内容の歌詞であることや、「涙はもっと哀しい時にとっておく」という気持ちが当時の自分に近かった、などを理由として挙げている[19]。
2021年2月21日発売のデビュー35周年記念アルバム『水響曲』で初めてセルフカバーしている[20]。
2021年4月22日放送の『SONGS』筒美京平スペシャル 天才ヒットメーカーの世界に迫る(NHK)では斉藤由貴×生田絵梨花のコラボレーションで披露されている[21]。また、2021年12月8日放送の『2021 FNS歌謡祭』第2夜(フジテレビ)で再び斉藤×生田のコラボレーションで披露されている[22][23]。
2022年9月11日放送の『ラフ&ミュージック』第2夜では、斉藤の大ファンという錦鯉・長谷川雅紀と対面。その後、錦鯉を横に本作を披露した。
2024年12月15日、作詞をした松本隆がパーソナリティを務める『風街ラヂオ』(TBSラジオ)に斉藤がゲスト出演、本作のみをテーマにトークを繰り広げた。斉藤は2番の歌詞「駅までの遠い道のりをはじめて黙って歩いたね」に特に感銘を受けていると語り、ストーリーのヒロインの心情を「雄弁な沈黙」と表した。松本は斉藤の言葉に「新鮮な感想だ」と嬉しそうに笑った。
収録曲
卒業
作詞 - 松本隆 / 作曲 - 筒美京平 / 編曲 - 武部聡
青春
作詞 - 松本隆 / 作曲 - 筒美京平 / 編曲 - 松任谷正隆
卒業-GRADUATION-」(そつぎょう グラデュエーション)は、菊池桃子が1985年2月27日にリリースした4枚目のシングルである。
解説
菊池桃子自身、シングルでは初めてのスロー・バラード曲。また自身主演で同名のドラマも制作された。
同曲でオリコンチャート初の首位を獲得。また40万枚近いセールスを記録し、菊池自身最大のヒット曲となった。
収録曲
卒業-GRADUATION-
作詞:秋元康 作曲・編曲:林哲司
夕暮れのEXIT
作詞:秋元康 作曲・編曲:林哲司
カバー
茉奈 佳奈(2008年、シングル「泣いて笑って」C/W)
水瀬伊織(釘宮理恵)(2014年、一番くじプレミアム THE IDOLM@STER PART3 F賞景品『ミュージックディスクコレクション』収録)
犬塚ヒカリ(2025年、配信シングル)
ドラマ
1985年3月6日に『水曜ロードショー』枠内で、同作品をモチーフに製作された、同名のドラマが放送され、菊池が主演した。
出演 : 菊池桃子、岸田智史、河原崎長一郎、小倉一郎、有森也実など。
監督 : 木下亮
脚本 : 鹿水晶子
「卒業」(そつぎょう)は、日本のシンガーソングライターである尾崎豊の4枚目のシングル。英題は「GRADUATION」(グラデュエーション)。
1985年1月21日にCBSソニーからリリースされた。作詞・作曲は尾崎が行い、プロデュースは須藤晃が担当している。前作「はじまりさえ歌えない」(1984年)からおよそ5か月ぶりのリリースとなった。2枚目のアルバム『回帰線』(1985年)からの先行シングルであり、尾崎としては初の12インチシングルとなった。尾崎の同級生の体験をもとに歌詞が制作され、最後にサビがリフレインしながら異なる展開に発展するなど既存の楽曲の形式を破った曲であるとも言われている[1]。
オリコンチャートでは最高位20位となり、尾崎の作品として初のランキング入りを果たした。この曲のヒットにより尾崎は反抗する10代の象徴的な存在となった[1]。リリース当時は歌詞中の過激な表現に注目が集まり、実際に校舎の窓ガラスを割る行為などを行う若者が出現したことで問題作とされた。また尾崎自身は後にそのような影響について「罪の意識を感じる」と述べている[2]。
1984年頃よりライブにて演奏され、生涯全てのコンサートツアーにおいて演奏された。2016年にはジーユーの「WEB限定ショートムービー『卒業』篇」のコマーシャルソングとして使用された[3]。
背景
ファースト・アルバム『十七歳の地図』(1983年)がリリースされ、本格的にミュージシャンの活動を始めた尾崎であったが、一方で12月に停学の解けた青山学院高等学校へ戻ると教師から留年になることを告げられた[4]。さらに毎日反省日記を書くよう命じられた尾崎は、必要性を感じないため書くことができないと教師に告げ、教師と押し問答の末に「それじゃ僕は操り人形じゃないですか」と述べたところ、教師から「そうよ、きみは操り人形なのよ」と告げられたことで退学を検討することとなる[5][6]。本来であれば留年したあとに青山学院大学へ進学する意思があった尾崎だが、操り人形では学校に行く意味も卒業する意味もないと感じ、また音楽活動の道が見え始めたために自主退学することを決意[5]、1月25日には尾崎本人が学校に退学届を提出することとなった[7]。
その後尾崎は卒業式の日である3月15日に自らのデビューライブを実施[8]。同年6月には全国6都市を回るライブハウスツアーを敢行、このツアーでは当初は通常に演奏するだけであった尾崎だが、ツアー途中からはPAスピーカーによじ登る、照明にぶら下がるなどステージアクションが激しいものになっていき、聴衆の反応も同時に激しいものに変化していった[9]。8月4日には日比谷野外大音楽堂で行われた「アトミック・カフェ・ミュージック・フェスティバル'84」と題されたライブイベントに参加、この時演奏の最中に7メートル以上ある照明のイントレに上った尾崎はそのまま地面へと飛び降りるパフォーマンスを行い両足に大怪我を負う[10]。ステージ終了後に尾崎は自身の希望により世田谷区にある自衛隊中央病院に運び込まれ、「右蹠捻挫、左踵骨圧迫骨折で全治3か月」と診断され、左踵の骨が一部陥没していたことから2週間入院することとなった[11]。この件により、9月に予定されていた初のホールコンサートとなる日本青年館公演は延期となるなど活動に影響が出始めたが、飛び降りの件が注目を集めた結果音楽マスコミを中心に尾崎待望論が徐々に高まっていき、「松葉杖をついてでも出てこい」などのエールが送られる事態となった[12]。2週間程度で退院した尾崎は、3か月の療養期間中にアルバム『回帰線』のレコーディングを開始する[10]。また9月より予定されていた初の全国ホールツアーは12月開始へと変更された[13]。
録音、制作
本作の題材となったのは尾崎の同級生であったKの行為であり、Kの家は裕福でピアノを所有していたことから、自宅にピアノがなかった尾崎はKの家で練習していた[1]。Kは同級生の仲間2人と夜の校舎に忍び込み、すでに退学を決意していたことから腹いせのつもりで窓ガラスを何枚も割って回った[14]。翌日ピアノを練習するためK宅を訪れていた尾崎にKはこのエピソードを語り、それから1か月後に再度K宅を訪れた尾崎は「ちょっと聴いてくれよ」と述べた後に本作を演奏した[14]。尾崎の初期の曲に関してKは、「あのころのおれたちが経験したことだった」と述べている[14]。しかしこの時点で尾崎はオーディションには合格したもののまだレコーディングが開始されていない段階であった[14]。尾崎は本作に関して後年、「あれはものすごくプライベートな歌だった」と述べている[1]。また本作のエピソードは同級生を題材としているが、尾崎自身も高校中退直前に校舎脇にあった嵌めガラスを殴打して破損させ、修理代5万円の内1万円を弁償している[15]。
本作に関して須藤は尾崎からKに対する回答であり、また親や学校に支配され拘束されているイメージの中で、自身がどう立ち振る舞うべきか悩んでいたことへの解答でもあったと述べている[1]。また、本来は「学校を体制だと考えて、それに無謀に反発してる人たちへのアンチテーゼみたいな歌だった」と須藤は述べており、表層的な部分のみが取り上げられ「学校にも家にも帰れない」反抗する10代を代表するかのように誤解されたことに関して須藤は「尾崎も僕もすごく辛かった」と述べている[1]。本作の歌入れのレコーディング中に須藤は、歌の形を崩して歌う尾崎に対して涙が止まらなくなったという[1]。須藤はレコーディング中に本作が尾崎の代表作になると確信し、「その時の尾崎の輝きは、もうそれ以上輝けないほどにまぶしかった」と述べた他、本作のレコードにその時期の空気を凝縮して記録できたことが誇りであるとも述べている[1]。本作は幾度となくライブでも演奏されたが、スタジオ録音版を超えるボーカルは一度もなかったと須藤は述べている[1]。
音楽性と歌詞
(最後のリフレインに関して)それがすごく新しいんだよね。あんなふうに展開して、音楽が持ってる制度みたいなものを、尾崎君は壊しちゃったんだよね。そうやって行きたいと思ったから、行っちゃってる感じがすごく羨ましいし、新しいと思う。
佐野元春 尾崎豊が伝えたかったこと
須藤は本作に関して、曲の前半はロマン性や叙情派フォークを感じさせる展開であり、後半では「非常にとげとげしい、社会派的なメッセージを出していく」と述べ、「その両端が一緒になっている曲で、だから音楽的にも尾崎豊をもっとも端的に表してるという気がする」とも述べている[1]。また須藤は本作について尾崎がアーティストとして活動した10年間に表現したことのあらゆる要素が詰まっている曲であるとも述べている[1]。須藤は本作のボーカルが100年に一度という程のものであったと感嘆し、中島みゆきの「時代」(1975年)や浜田省吾の「J.BOY」(1986年)に匹敵する出来であると述べている[1]。
本作は終盤に楽曲の形式を崩してサビをリフレインしながら最後には異なる展開となるが、それに対してシンガーソングライターの佐野元春は、「すごく新しい」と称賛している[1]。ノンフィクション作家である吉岡忍は著書『放熱の行方』にて、本作を「攻撃的でありながら、自分の内面にも深く錘を垂らしていくような歌」と表現し、教師や大人に対する挑発だけではなく、また自身の内面を甘やかすだけでもなく、「一方に対する激しさが他方を律するきびしさとなり、他方の深さが一方をゆるす広さともなっている」と述べている[15]。吉岡は本作からはアジテーションを全く感じないと述べ、同世代に対して「窓ガラスを壊せ」あるいは「教師に刃向かえ」とも言っておらず、「従順を強いる教師や大人たちの側の打算や狡猾さを見抜きながら、反抗する側の確信のなさやむなしさ」に尾崎自身が気付いていると指摘している[15]。さらに吉岡は本作には「自分をふくめたそれぞれの狡さや弱さを、巧みな情景描写のなかで的確につく姿勢がある」とし、尾崎によるボーカルが「本音をにじませた迫力のある歌い方」であるにもかかわらず、尾崎自身と尾崎が描写した対象との距離感が正確に伝わってくるとも述べている[15]。
リリース
1985年1月21日にCBS・ソニーより12インチ・シングルとしてリリースされた[16]。シングルでのリリースに至った経緯として、1984年のコンサートツアーの最中に尾崎が所属していたマザーエンタープライズの社長である福田信から須藤宛にカセットテープが届けられ、その中には「Scrambling Rock'n'Roll」「Bow!」「卒業」「シェリー」が収録されていた[1]。本作は1曲目に演奏されておりそれを聴いた須藤は衝撃を受け、また福田から「須藤さん、僕は『卒業』という曲がいいと思う。この曲をシングルにしてほしいんだ」と要請されたことからシングル化が決定した[1]。
B面「Scrambling Rock 'n' Roll」は、未表記だがアルバム『回帰線』収録テイクと演奏・間奏が異なるアレンジである[17]。このバージョンは2度CD化。1995年4月27日発売CD-BOX『TEENBEAT BOX』内「RARE TRACKS」のみ「12inch Version」と表記されて収録。1999年11月25日発売・復刻マキシシングルCD(後述)カップリングにも収録されるが、アルバムと別アレンジである旨は表記されていない。
1989年3月21日、CBS・ソニー設立20周年企画『Platinum Single SERIES』の一環として8センチ・シングルCDにてリリース。オリジナル12インチ盤のままCDシングル化された「DRIVING ALL NIGHT」と2枚同時発売。本作および「15の夜」を両A面でコンパイルしたレコード会社主導企画であり、ベスト・セレクションとして企画された[18]。このCDシングルジャケットは収録内容に合わせ、12インチレコード盤ジャケットからカップリング曲(『Scrambling Rock 'n' Roll』)表記部を除かれたもの。
1999年11月25日、12インチ盤内容を踏襲したマキシシングルCDがリリース。サイドキャップに記述されたコピーは「ティーンエイジャーが自ら作りあげた不朽のジェネレーション・ソング!」。1985年の発売から14年が経過して初めてオリジナル音源の2曲がそのまま1枚のCDになったが、シングルでの発売が今回で3度目であることに加え、尾崎の既発アルバムに多数収録・発売されていることもあり、このマキシシングルCDはセールス的に伸び悩んだ。ボーナス・トラックとして1991年10月30日に代々木オリンピックプール第一体育館公演での生前最後となったライブ・テイクを収録している[17]。
アートワーク
ジャケットデザインは田島照久が手掛けた。ジャケットは教科書をイメージしたものとなっている。
ジャケット写真は尾崎が投石するポーズを取ったものをモノクロで反転しており、団塊の世代以降に登場した反抗する10代の象徴的イメージとして当時話題となった[17]。尾崎が持っていた石は「OZAKI STONE」と名付けられ、コンサート会場で販売されており本作の演奏時に聴衆がステージに向かって投げつける行為が行われた[17]。
批評、影響
本当は『卒業』で歌っているのは、いろんな人から聞いた学生運動の歌だったりとか、仲間や自分の感じていることだった。だけど、表面的にしか受けとらないわけじゃない? 暴走族がどうのこうのとか。ずっとそういうこと歌ってきたけど、結局、マスコミっていうものに対して、僕自身も甘えてたのかもしれない。もう少し自分自身がしっかりしなくちゃいけないな、と思った。
尾崎豊,
ROCKIN'ON JAPAN Vol.42 1990年[19]
シングルとしてのリリース以前となる1984年には、本作は尾崎の代表曲とはなっておらずライブでの演奏時に一部の聴衆に共感を得ているだけの状態であった[20]。しかしリリース後には尾崎のパブリックイメージを担うこととなり、10代の尾崎の代表曲として「15の夜」(1983年)、「十七歳の地図」(1984年)と共に取り上げられることが多くなった[16]。音楽情報サイト『CDジャーナル』では、体制や大人と闘ってきた尾崎が、自身が大人になっていく葛藤を描いた曲であるとした上で、「どうしようもないやりきれなさに、心をわしづかみにされる」と称賛[21]、また1999年の再リリース盤に関しては当時には時代性として学校のガラスを割る中高生はいないだろうと指摘しながらも、「怒りをポジティヴな衝動へと変えた彼の姿からは見習うべきところがあるかも」と肯定的に評価した[22]。
リリース当時、尾崎の作品の詞の一部が過激とされ、「不良」のイメージを植え付けられる一方、若者から圧倒的に支持される。実際、当時の全国の中学校・高校で影響を受けた学生が歌詞の通りに夜の校舎で窓ガラスを損壊する事例があった。またリリース当時だけではなく、後の世代にも影響を与えており、2013年においても本作の影響による事例が発生している[23]。
尾崎自身、本作を代表曲として売り込まれていくことに危機感を覚えており、たとえ話としてアルフレッド・ノーベルがダイナマイトを発明したものの後に殺人用の武器となったことを挙げ、「『15の夜』を最初に作ったのは、間違いだったのかな」と当時考えるようになっていたという[24]。また本作の影響により窓ガラスを破壊する若者が発生したことに関して、「彼等は『卒業』の何処を見てるんだ?ちゃんと『卒業』を理解できているのか?と疑問に感じるし、悔しかったし悲しかった」「すごく罪の意識を感じるようになった」とも述べている[2]。尾崎の妻であった尾崎繁美は尾崎の死後「あの曲を書いていた時は、割らなかった」と述べている[25]。
チャート成績
オリジナル盤はオリコンチャートにおいて最高位20位、登場回数は12回、売り上げ枚数は7.4万枚となり、尾崎の作品としては初めてランキング入りすることとなった[16]。1989年盤では最高位8位、登場回数16回、売り上げ枚数は13.1万枚となった。1999年盤は最高位64位、登場回数は1回、売り上げ枚数は0.4万枚となった。
ミュージック・ビデオ
この曲で尾崎としては通算2作目となるミュージック・ビデオが制作された。監督は佐藤輝[26][27]。内容は、水中で衣服着用のままに藻掻く尾崎の映像をバックに、歌う姿、ピアノを弾く姿、松葉杖をついて歩く姿、様々な尾崎の姿が映る作品となっている。映像作品『6 PIECES OF STORY』(1986年)に収録[26][27]。
ミュージック・ビデオの撮影は過酷を極め、25回におよぶ撮り直しが行われた[28]。佐藤の指示に尾崎は従順であったが、やり直しが繰り返される中でやがて異変に気付き始めた[29]。撮影の度に1コーラスもしくはフルコーラス歌っていた尾崎であったが、結果として1公演分程度の歌唱量となっていた[30]。
撮影が繰り返される内に尾崎の表情は変化していき、4~5回目までは困惑の表情であったがだんだんと怒りの表情へと変化し、15~6回目辺りでは絶望的な表情に変化していた[30]。最後には尾崎も観念し、19回目には涙を流しながら素直に歌っていた[30]。しかし尾崎は佐藤に不満は一切口にしなかったという[30]。
また水中シーンの撮影は6時間にも及んだ[30]。尾崎は水恐怖症であったが、それを全く佐藤には告げていなかった[30]。後に水恐怖症と知った佐藤は、「だったら2時間くらいにしといてあげたのに」と述べたという[30]。
ライブ・パフォーマンス
ライブでの定番曲のひとつであり、必ず尾崎がピアノにて弾き語りを行っている[注釈 1]。「6大都市ライブハウス・ツアー」において10曲目、「FIRST LIVE CONCERT TOUR」において11曲目、「"TROPIC OF GRADUATION" ツアー」において8曲目、「"LAST TEENAGE APPEARANCE" ツアー」においては1曲目に演奏された[31]。「"LAST TEENAGE APPEARANCE" ツアー」において1曲目に選定された理由は、10代の終結を意図していたという[32]。
その後も「"TREES LINING A STREET" ツアー」においては2回目のアンコールとなる18曲目、「東京ドーム "LIVE CORE" 復活ライブ」において11曲目、「"BIRTH" ツアー」において12曲目、「"BIRTH" スタジアム・ツアー <THE DAY>」において10曲目に演奏された[33]。晩年はサビにおける「卒業」の部分をファンに歌わせるのが定番となっていた[注釈 2]。
補足(Wikipediaより引用)
特に1985年には尾崎豊・斉藤由貴・菊池桃子・倉沢淳美の4人が「卒業」のタイトルでシングルをリリースし、大きな話題を呼んだ[1]。このことはその後も卒業シーズンになるとさまざまなアーティストによっていわゆる「卒業ソング」が毎年発売されるきっかけとなったとされている。
卒業 (麻丘めぐみの曲) - 麻丘めぐみのアルバム『春支度』(1976年)の収録曲で、直後にシングルとしてリカットされた。
卒業 (沢田聖子の曲) - 沢田聖子のシングル(1982年)
卒業 (尾崎豊の曲) - 尾崎豊のシングル(1985年)
卒業 (倉沢淳美の曲) - 倉沢淳美のシングル(1985年)
卒業 (斉藤由貴の曲) - 斉藤由貴のシングル(1985年)
卒業-GRADUATION- - 菊池桃子のシングル(1985年)。後述ドラマ『卒業-GRADUATION- (テレビドラマ)』主題歌。
卒業/その気WAKE ME UP - A-JARIのシングル(1987年)
卒業 - ビートたけしのアルバム(1987年)
卒業 (渡辺美里の曲) - 渡辺美里のシングル(1991年)
卒業 〜TOP OF THE WORLD〜 - 平家みちよのシングル(1998年)
卒業 (岩男潤子の曲) - 岩男潤子のシングル(1999年)
卒業 (ガガガSPの曲) - ガガガSPのシングル(2002年)
卒業 (CHARCOAL FILTERの曲) - CHARCOAL FILTERのシングル(2002年)
卒業 (ZONEの曲) - ZONEのシングル(2004年)
卒業 (安倍麻美の曲) - 安倍麻美のシングル(2004年)
卒業〜虹色DAYS〜 - スパークリング☆ポイントのシングル(2006年)
ソツギョウ - 加藤ミリヤのシングル(2006年)
卒業 (長渕剛の曲) - 長渕剛のシングル(2009年)
卒業 (星野みちるのアルバム) - 星野みちるのミニ・アルバム(2009年)
卒業 (サーターアンダギーの曲) - クイズ!ヘキサゴンII内のユニット・サーターアンダギーのシングル(2011年)
卒業 (高橋優の曲) - 高橋優のシングル(2012年)
卒業 (コブクロの曲) - コブクロのシングル(2020年)
<斉藤由貴>
制服の胸のボタンを
下級生たちにねだられ
頭かきながら 逃げるのね
ほんとうは嬉しいくせして
人気のない午後の教室で
机にイニシャル 彫るあなた
やめて 想い出を刻むのは
心だけにしてとつぶやいた
離れても電話するよと
小指差し出して 言うけど
守れそうにない約束は
しない方がいい ごめんね
セーラーの薄いスカーフで
止まった時間を結びたい
だけど東京で変わってく
あなたの未来は縛れない
ああ 卒業式で泣かないと
冷たい人と言われそう
でも もっと悲しい瞬間に
涙はとっておきたいの
席順が変わりあなたの
隣の娘にさえ妬いたわ
いたずらに髪をひっぱられ
怒ってる裏で はしゃいだ
駅までの遠い道のりを
はじめて黙って歩いたね
反対のホームに 立つ二人
時の電車がいま引き裂いた
ああ 卒業しても友だちね
それは嘘では無いけれど
でも 過ぎる季節に流されて
逢えないことも知っている
ああ 卒業式で泣かないと
冷たい人と言われそう
でも もっと哀しい瞬間に
涙はとっておきたいの
<菊池桃子>
緑の木々の隙間から
春の日射しこぼれて
少し眩しい並木道
手を翳して歩いた
あの人と私は
帰る時はいつでも
遠回りしながら
ポプラを数えた
4月になると ここへ来て
卒業写真めくるのよ
あれ程 誰かを
愛せやしないと
誕生日にサン=テグジュペリ
不意に送ってくれた
一行おきに好きだよと
青いペンで書いてた
あの頃の2人は
話さえ 出来ずに
側にいるだけでも
何かを感じた
4月になると ここへ来て
卒業写真めくるのよ
あれ程 誰かを愛せやしないと
4月が過ぎて 都会へと
旅立って行く あの人の
素敵な生き方
うなずいた私
<尾崎豊>
校舎の影 芝生の上 すいこまれる空
幻とリアルな気持ち 感じていた
チャイムが鳴り 教室の いつも席に座り
何に従い 従うべきか 考えていた
ざわめく心 今 俺にあるもの 意味なく思えて とまどっていた
放課後 街ふらつき 俺達は風の中
孤独 瞳にうかべ 寂しく歩いた
笑い声と ため息の 飽和した店で
ピンボールの ハイスコアー競いあった
退屈な心 刺激さえあれば 何にでも大げさにしゃべり続けた
行儀よく まじめなんて 出来やしなかった
夜の校舎 窓ガラス 壊してまわった
逆らい続け あがき続けた 早く自由になりたかった
信じられぬ 大人との 争いの中で
許しあい いったい何 解りあえただろう
うんざりしながら それでも過ごした ひとつだけ解ってたこと
この支配からの 卒業
誰かの 喧嘩の話に みんな熱くなり
自分が どれだけ強いか 知りたかった
力だけが 必要だと 頑なに信じて
従うとは 負けることと 言きかした
友達さえ 強がって見せた 時には誰かを 傷つけても
やがて誰も 恋に落ちて 愛の言葉と
理想の愛 それだけに 心奪われた
生きる為に 計算高く なれと言うが
人を愛す まっすぐさを 強く信じた
大切なのは何 愛することと 生きる為にすることの 区別迷った
行儀よく まじめなんて クソくらえと思った
夜の校舎 窓ガラス 壊してまわった
逆らい続け あがき続けた 早く自由になりたかった
信じられぬ 大人との争いの中で
許しあい いったい何 解りあえただろう
うんざりしながら それでも過ごした ひとつだけ解ってたこと
この支配からの 卒業
卒業して いったい何 解ると言うのか
想い出のほかに 何が 残ると言うのか
人は誰も 縛られた かよわき子羊ならば
先生あなたは かよわき大人の 代弁者なのか
俺達の怒り どこへ向うべきなのか
これからは 何が俺を 縛りつけるだろう
あと何度 自分自身 卒業すれば
本当の自分に たどりつけるだろう
仕組まれた自由に 誰も気付かずに あがいた日々も終る
この支配からの 卒業
闘いからの 卒業
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