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順位戦(じゅんいせん)は、毎日新聞社・朝日新聞社・日本将棋連盟主催の将棋の棋戦。タイトル戦である名人戦の予選にあたる。順位戦A級の1位が名人への挑戦者となる。
 
概要
A級・B級1組・B級2組・C級1組・C級2組の5つのクラスからなり、A級の優勝者が名人戦の挑戦者となる。名人は順位戦に参加しないが、順位戦を戦わなかった分の名人在位年もA級の在籍年数の記録には累積計上される。
各クラスごとに、おおむね6月から翌年の3月までに亘ってリーグ戦を行い、その成績に応じて次期のクラスと順位が決まる。新規のプロ棋士はC級2組に属するのが原則だが、一部は順位戦に参加しないフリークラス棋士からのスタートとなる。現在のルールでは飛び級はできないため、名人戦の挑戦者となるまでにはプロデビューから最短でも5年かかる。
順位戦の昇級により段位が上がり、棋士が順位戦のどのクラスに属しているかによって対局料が大きく変動し、棋士の収入に直結するほか、他の棋戦で予選の一部が免除されたりすることがある。また、順位戦への参加資格を失うことが即時または時限付きの強制引退の条件となることが、他の棋戦に見られない特徴である。
毎年3月上旬頃に行われるA級の最終戦は、全5局が一斉に行われるため、名人への挑戦者と降級者2名がその日に決定することが多く、また対局時間も長いため「将棋界の一番長い日」と称され、将棋界内外から大きな注目を集める。2014年(平成26年)と2018年(平成30年)以降、この最終一斉対局のみ静岡県静岡市葵区の浮月楼で行われ、同時に東京都渋谷区千駄ヶ谷の将棋会館、大阪市福島区の関西将棋会館、名古屋市中区の大須演芸場で大盤解説会も催される。
 
方式
クラスと昇級・降級
A級・B級1組・B級2組・C級1組・C級2組と、順位戦の対局がないフリークラスから構成されており、A級で最も良い成績を挙げた棋士が名人挑戦権を得る。
各クラスの定員などは以下のように定められている。また定員等は欠員(引退・死去など)が出た場合適宜調整される。
 
現行の規則
クラス 定員 名人戦・順位戦の
対局数 昇級など 降級・降級点
名人 1名 挑戦者との七番勝負 挑戦者に4勝 → 名人位防衛 挑戦者に4敗で失冠 → 次期 A級(順位1位)
A級 10名
総当たり
9戦
+ プレーオフ
+ 七番勝負【挑戦者】
【挑戦者】
名人に4勝 → 名人位獲得
成績下位の2名 → 次期 B級1組
B級1組 13名 総当たり 12戦 成績上位の2名 → 次期 A級 成績下位の3名 → 次期 B級2組
B級2組 不定 同クラス内での
10戦 成績が上位の3名
→ 次期 1クラス昇級 降級点が累積2点 → 次期 1クラス降級
C級1組
C級2組 降級点が累積3点 → 次期 フリークラス編入もしくは引退
フリー
クラス フリー
クラス
編入者 (順位戦 対局なし)
(他棋戦の参加可能) 規定条件による
順位戦への復帰あり
(次期C級2組に編入) 【在籍年限】下記のいずれか早い期限
フリークラス編入後10年以内
満60歳(原則)の誕生日を迎える年度終了まで
上記期間内に規定条件を収められなかった場合、公式戦全対局終了時に引退。
 
フリー
クラス
宣言者 順位戦への復帰不可 【引退規定】
順位戦「在籍可能最短年数」(1~8年間)が経過するまでは現役続行可能。経過後の時点で65歳以上の場合、この時点で引退となる。「在籍可能最短年数」経過後は、下記のいずれか早い期限で引退となる。
 
満65歳(原則)の誕生日を迎える年度終了まで
更に15年 経過するまで
降級点(B級2組, C級1組, C級2組)
【降級点の付与条件】
(B級2組) 成績下位の内、参加人数の(在籍者数 ×1/4.0)に降級点を1点累積。
(C級1組, C級2組) 成績下位の内、参加人数の(在籍者数 ×1/4.5)に降級点を1点累積。
【降級点の消去条件】
(C級2組) 消去対象となる降級点は2つ目のみ。1つ目の降級点はC級2組では消去されない。今期勝ち越しまたは2期連続の5勝5敗で、降級点を1点消去。付与と消去の条件に同時に該当する場合、次期は現状維持(累積と消去の相殺)。昇・降級時には降級点リセット。
 
頭ハネ
順位戦で勝敗数が同じだった場合、名人挑戦権を争う最上位A級を除けばプレーオフは行われず、上述のように今期の順位により順位付けをすることとなる。そのため、同じ成績を収めた複数名が順位によって昇級と残留に分かれることがあり、低順位のために昇級できないことは頭ハネと通称されている。逆に、降級・降級点に際しても順位差で運命が分かれることがあり、C級2組の星1つの差が将来のA級残留・陥落に影響を及ぼすなど、まさしく「順位」を争う戦いとなっている。
11人で争われた1972年度の第27期A級順位戦において、前期休場のため順位が最下位であった灘蓮照が頭ハネで9位となった。降級枠3名につき本来であれば降級となるところ、5勝5敗の指し分けを理由として降級とならなかった事例がある。これについて、当時の順位戦の主催紙である朝日新聞の1973年4月4日付の総括記事では、灘に「指し分けは落さずの規定がないとたいへんだったな」という声がかかった、との記述がある。しかし、この規定は明文化されたものでなく将棋連盟にも文書化された記録がなかった。そのため、同じく11人で争われた第76期A級順位戦では、主催者である朝日新聞・毎日新聞・日本将棋連盟による協議の結果、第76期において同様の事例が起きた場合には降級とすることが確認され、第77期以降は改めて協議した上で新たに明文規定を設けることとなった。その後、日本将棋連盟のウェブサイトにおける順位戦に関する説明において、A級順位戦での5勝4敗9名による挑戦者決定戦プレーオフを例とした解説が行われ、この中で5勝4敗の勝ち越し者であっても、名人挑戦権を得ない限り順位最下位の者が降級すると記載された。これにより、勝ち越し者、指し分け者が降級しないという特例は明示的に否定されることとなった。
 
昇級に関する例外
原則として、B級2組・C級1組・C級2組では成績上位の3名が一つ上のクラスに昇級する(第79期より)。昇級枠を超える全勝者が出た場合の取り扱いについては、第77期より全勝者は順位に関わらず全員昇級となることが明文化された。全勝者について明文化されるまでは、該当の規定もなく当該事例もなかったため取扱いが不明瞭となっていた。C級1組とB級2組への昇級については定員が決まっていないクラスへの昇級なので特に問題ないが、定員が決まっているB級1組への昇級については、次期のB級1組の降級者の人数調整を行う。例えば、B級2組で全勝が4人出た場合、全員昇級となり、その次の期のB級1組は全14人中下位の4人が降級となる。なお、A級・B級1組は総当たりであるため、全勝が複数名出ることは生じない。
 
降級点
B級2組以下のクラスでは、成績が悪くても1期で降級することはなく、成績下位の一定人数に「降級点」がつけられる。降級点はB級2組とC級1組では2つ累積、C級2組では3つ累積すると降級する。C級2組からの降級先はフリークラスである。
降級にリーチをかけた棋士が勝ち越すか、2期連続で指し分ける(5勝5敗)と、降級点を1つ消すことができる。C級2組の1個目の降級点は、昇級または降級しない限り消えない。なお、勝ち越しまたは2期連続の指し分けを果たした場合でも降級点付与枠に入った場合は、「降級点付与」と「降級点消去」の条件を同時に満たすこととなる。このケースでは、降級点が消去された後、新たな降級点が付くことなり、次期のクラスは現状維持となる。
 
定員過不足の調整
定員のあるA級とB級1組では、以下の理由により定員の過不足が発生する場合がある。
 
定員超過が発生する場合
・前期全休者が降級せず「張出」になる場合
・B級2組から10戦全勝で規定数より多く昇級した場合(B級1組のみ)
・定員不足が発生する場合
・引退者、逝去者が出た場合
年度初めの組み合わせ抽選前に引退者・逝去者が出た場合、参加予定であったクラスが欠員扱いとなる。組み合わせ抽選後の年度途中で引退者・逝去者が出た場合、予定されていた対局を不戦敗扱いとして最終成績・順位を確定させ、昇級相当の場合は昇級クラス、残留相当の場合は残留クラス、降級相当の場合は降級クラスが次期順位戦で欠員扱いとなる。
・A級全休者の「張出」によりB級1組への降級者が少ない場合(B級1組のみ)
・フリークラス転出者が出た場合(B級1組のみ)
年度初めに定員の過不足がある場合、降級予定人数は、次期が定員通りになるように調整する。年度初めにA級が11人の場合、降級は成績下位の3人となり、9人の場合に降級は1人となる。B級1組ではA級からの降級予定人数も考慮して調整する。
 
休場
病気などのやむを得ない理由により、年度初めの組み合わせ抽選前に1年間の休場届を出した場合、その年度の対局予定は設定されない(全休)。その場合、全休初年度は降級せず、次期の順位は「張出」となり、最下位に扱われる。定員制であるA級とB級1組では、通常の定員を超過することとなり、A級で張出が出た場合はB級1組は定員不足となる。 なお、2期連続で全休すると、A級とB級1組では降級となり、B級2組以下では降級点がつく(休場の時点で降級点数があればそれも考慮される)。またB級2組以下で3期連続全休すると、休場時点での降級点数に関係なく降級する。 また、組み合わせ抽選後に順位戦を休場した場合(途中休場)、予定されていた対局は不戦敗となる。その結果、昇級や降級、降級点対象の成績となった場合は昇級、降級または降級点付与の対象となる。
 
名人戦挑戦者決定戦(プレーオフ)
名人戦挑戦者にはA級での成績最上位者が選ばれるが、最上位者が複数の場合には挑戦者1名を決めるために挑戦者決定戦(プレーオフ)を行う。3人以上の場合は、順位下位の者からパラマス方式トーナメントによって挑戦者を決定する。
A級最終戦を終えた時点での成績最上位者が複数名おりプレーオフが行なわれた例は、現行制度の第5期から第80期までに21例ある。このうちプレーオフが3人で行われた例は5例、4人以上で行われた例は4例で、プレーオフに参加した最多人数は6人(第76期)である。
 
プレーオフが3人で行われた例(5例)
1953年(第7期)、1958年(第12期)、1986年(第44期)、1987年(第45期)、2003年(第61期)
プレーオフが4人以上で行われた例(4例)
1979年(第37期) - 4人(6勝3敗)
(上位から)森けい二八段、米長邦雄棋王、大山康晴十五世名人、二上達也九段
プレーオフの結果 → 挑戦者:米長(→ 名人戦 敗退)
1992年(第50期) - 4人(6勝3敗)
(上位から)谷川浩司竜王、南芳一九段、高橋道雄九段、大山康晴十五世名人
プレーオフの結果 → 挑戦者:高橋(→ 名人戦 敗退)
2015年(第73期) - 4人(6勝3敗)
(上位から)行方尚史八段、渡辺明二冠、久保利明九段、広瀬章人八段
プレーオフの結果 → 挑戦者:行方(→ 名人戦 敗退)
2018年(第76期) - 6人(6勝4敗)[8]
(上位から)稲葉陽八段、羽生善治三冠、広瀬章人八段、佐藤康光九段、久保利明王将、豊島将之八段
プレーオフの結果 → 挑戦者:羽生(→ 名人戦 敗退)
なお、3人以上でプレーオフが行われた9例のうち第61期を除く8例の挑戦者は、名人戦でいずれも敗退した。
 
クラス内における順位
当期の各クラスのリーグ表では、以下の順で上から並べられる。
 
C級2組 C級1組 B級2組 B級1組 A級
1 上位クラスからの降級者(前期成績順、休場者を除く) 名人戦七番勝負の敗者
2 休場者のうち降級対象となった上位クラスからの降級者(「休場」を参照) -
3 クラス残留者(降級点該当者 以外、前期成績順) クラス残留者(前期成績順)
4 - 下位クラスからの昇級者(前期成績順)
5 クラス残留者(降級点該当者、前期成績順) - -
6 前年4月1日から9月30日の間に
規定の成績(後述)を収めたフリークラス編入者(確定順) - - - -
7 前年度前期 三段リーグ1位および2位成績者(1位、2位の順) - - - -
8 前年10月1日から本年3月31日の間に
規定の成績(後述)を収めたフリークラス編入者(確定順) - - - -
9 前年度後期 三段リーグ1位および2位成績者(1位、2位の順) - - - -
10 休場者のうち降級の対象とならなかった者(「張出」として扱われる。「休場」を参照)
上記のそれぞれの中で前期の勝敗に基づく成績順を第1優先とし、勝敗同点同士では、前期のリーグ表における順位を第2優先として順位付けをする。
上記6.および8.のフリークラス編入者については、規定の成績への到達が確定した順に上位に位置づけられる。
A級で勝敗数最上位者が複数の場合には名人挑戦者決定戦(プレーオフ)を行われるが、次期A級の2位以下の順位決定には、プレーオフの結果にかかわらず、リーグ戦での成績と今年度の順位のみで決定される。次期A級の1位については「名人戦で敗れた者が翌年度の順位が1位となる」規定が優先される。
2期連続で休場した場合(前述「休場」参照)
A級とB級1組では降級となる。
B級2組以下のクラスでは、2期連続の休場で降級点がつき、3期連続の休場で降級(C級2組では2つ目の降級点)となる。
持ち時間
A級 - 各6時間 / 消費時間の計時:ストップウォッチ方式
B級1組以下 - 各6時間 / 消費時間の計時:チェスクロック方式 (B1は第81期、B2以下は第75期より / 各組ともそれ以前はストップウォッチ方式)
順位戦の持ち時間は6時間であり、あらゆる棋戦の本戦・予選の持ち時間の中で最も長く、1日制のタイトル戦の持ち時間より長い。また、対局開始はタイトル戦が午前9時であるのに対し、その他の通常の対局と同じ午前10時である。さらに、昼夕に各40分(2016年6月より)の休憩を挟む。そのため、順位戦の対局は深夜に及び、日が変わっての終局も珍しくない。
 
第75期順位戦(2016年度)よりB級2組以下の対局については、ストップウォッチ計時による1分未満の消費時間切り捨てから、チェスクロック計時による1分未満の消費時間算入に改められた。これは、主として記録係を担当する奨励会員の高学歴化が進み、学校を休む必要がある者が増えたためである。記録係の負担を軽くするため、日をまたぐ対局を極力減らし、記録係がなるべく宿泊せず帰宅できるようにする目的がある。このルール変更により、終局が「(平均すると)1時間は早くなりそう」と渡辺明は予想している。
また、同年6月から他の棋戦を含め昼食・夕食休憩がそれぞれ40分に減らされた(タイトル戦は棋戦によって異なる)。これも対局時間短縮の意図がある。
両者がバランス良く持ち時間を使い切ると、計時がチェスクロック方式のB級1組以下では23時20分ごろ、ストップウォッチ方式のA級では0時30分ごろに両者1分将棋に突入することになる。
 
組み合わせ
各期順位戦のリーグ表における対局の組み合わせは、年間分の全てが事前の抽選によって決定される。対局の手番についても、組み合わせ決定時に全て決定される。したがって、順位戦リーグ戦の対局当日には振り駒は行われない。
組み合わせ、手番(先後)の抽選は、「対局規定」や日本将棋連盟が公開している条件等に基づき実施される。
いずれのクラスも手番は事前に決定するが、回数の均等に努める(10回戦では先後5局ずつ、9回戦では先後4局か5局)。また手番のばらつきと機会の均等にも配慮がされており、3回連続同一手番の対局を組まないようにしているほか、1・2回戦および最終2局においても同一手番にならない(先手後手が交互になる)ように定められている。
※なお、A級プレーオフでは当日の振り駒によって手番の先後を決定する。
A級・B級1組(いずれも総当たり)では、
初戦と最終戦に「前期最終戦で対戦した相手」と当たらない(ただし、双方が昇級または降級しクラスが変わった場合を除く。初戦か最終戦が休み番の場合は考慮しない)。
初戦と最終3戦に「師弟戦・肉親戦・兄弟弟子戦」は行なわない(リーグの中間で行う)。
B級2組以下では
「師弟戦・肉親戦」は行わない。
初戦と最終3戦に「兄弟弟子同士の対局」は行わない(やるとしたらリーグの中間で行う)。
総当たりではないB級2組以下での対戦相手は師弟・肉親以外で次の優先順位で組み合わせられる
過去3年間で双方クラスの変動がなかったにも関わらず対戦してない組み合わせ(B2・C1では必ず対戦)
過去2年間で双方クラスの変動がなかったにも関わらず対戦してない組み合わせ(該当多数の場合は可能な範囲で対戦)
前期から双方クラスが変動しておらず前期未対局、もしくはどちらかもしくは双方が前期からクラスが変動している組み合わせ(通常はここまでで全ての組み合わせが決まる。これより下は組み合わせ不能な場合のみ)
双方2年前からクラスが変動しておらず前期対局かつ前々期未対局、もしくは双方前期からクラスが変動しておらず前期対局したがどちらかもしくは双方が2年前とはクラスが変わっている組み合わせ(C2では絶対に行わない)
双方2年前からクラスが変動しておらず前々期・前期共に対局した組み合わせでは絶対に行わない
「コンピュータ抽選」と「トランプ抽選」
かつては全ての抽選は手作業で行われていたが、1990年代後半頃からパソコンを用いたソフトによる自動抽選方式で組合せ及び先後の抽選が導入され、第81期順位戦の抽選ではB級1組以下のクラスではコンピュータ抽選である。
A級の抽選は長年トランプのカードを用いた手作業により、組合せ・先後の抽選が行われている。具体的には、A級なら10人に対応する「1(A/エース)から10」の10枚のカードを裏返し、2枚ずつ引いて組合せを順に決定する。先後についてもトランプを用い、複数枚から引いたカードの色(赤か黒か)で対局の○×を決定し、先述の先後ルールと対応させながら全局の○×を決め、最後に○×どちらが先手かを再度カードの色で決める。
 
順位戦の規定による昇段
順位戦の昇級による昇段規定は、C級1組に昇級すると五段、同様にB級2組昇級で六段、B級1組昇級で七段、A級昇級で八段となっている。しかし、たとえばB級2組に所属する七段や八段の棋士が初めてB級1組に昇級しても、段位はそのままである。名人位を1期獲得すると九段となる。
1984年4月1日に「勝数に伴う昇段」の規定が追加される前にA級に昇級した棋士は、ほぼ全員が、五段から八段までをすべて順位戦昇級に伴い昇段した。これは、順位戦以外の具体的な昇段規定が存在しなかったためである。 その後、竜王戦昇級に伴う昇段規定(1987年追加、2006年改定)・タイトル挑戦もしくは獲得および棋戦優勝に伴う昇段規定(2009年追加)が追加されて以降、特に七段までは順位戦昇級前に他の規定を満たし昇段するケースが増えた。特に竜王戦の連続昇級による昇段規定は満たしやすく、この規定が発足された後五段から七段までをすべて順位戦昇級に伴って昇段したのは近藤誠也のみである。なお、五段から八段までを順位戦昇級に伴って昇段した棋士は多数いるが、五段から九段まで全て順位戦昇級および名人獲得に伴って昇段したのは谷川浩司と丸山忠久の2人だけである。
 
フリークラス
フリークラス制度は1994年4月1日から発足した、棋士が公務・普及を主眼において活動するために設けられた制度。後述の「フリークラス編入者の順位戦出場条件」を満たさない限り、フリークラス棋士が順位戦・名人戦に参加することはない。その他の棋戦には参加できる。フリークラス棋士には年齢または在籍可能年数に基づく定年・引退の規定がある。
 
フリークラスは、
フリークラスへ編入された棋士
「フリークラス宣言」を行ない、自らフリークラスに転出した棋士に大別される。いずれも同じ「フリークラス」という名称であるが、これら2つは制度上の性格が全く異なる。
 
フリークラスへの編入
棋士がフリークラスに編入されるのは以下の場合である。
順位戦C級2組在籍の棋士が満60歳を迎える年度前までに降級点が3つ溜まった場合、フリークラスに陥落する。
半年に1度行われる奨励会三段リーグの次点を通算2つ獲得して得た「プロ棋士になる権利」を行使する場合、フリークラスに編入される。
この権利を行使した例は6名。
伊奈祐介(1998年4月編入)、伊藤真吾(2007年4月編入)、吉田正和(2008年10月編入)、渡辺大夢(2012年10月編入)、佐々木大地(2016年4月編入)、古賀悠聖(2020年10月編入)
この権利を行使せずに三段リーグに留まることもできる(この場合次点は1つ「残り」、もう一度次点を取ることで再びフリークラス入りの権利を得る)。2004年前期に2度目の次点となった佐藤天彦が、権利を行使せずに三段リーグに留まり、第39回三段リーグ(2006年度前期)で2位となって、フリークラスではなくC級2組の棋士としてプロ入りした。
アマチュアまたは女流棋士で、公式戦でプロに混じって一定の成績を収めた者が棋士編入試験(旧名:プロ編入試験)に合格しプロ棋士になると、フリークラスに編入される。棋士編入試験に合格しアマチュアからフリークラスに編入された例は3名。
瀬川晶司(2005年11月編入)、今泉健司(2015年4月編入)、折田翔吾(2020年4月編入)
※なお、フリークラスが制度化された1994年4月1日の時点で、制度化以前に順位戦陥落していた現役棋士(11名)は、フリークラスに編入された。
制度化初年度のフリークラス編入棋士
1990年3月陥落(第48期 C級2組から降級) - 青木清、瀬戸博晴
1991年3月陥落(第49期 C級2組から降級) - 池田修一
1992年3月陥落(第50期 C級2組から降級) - 田辺一郎、椎橋金司
1993年3月陥落(第51期 C級2組から降級) - 若松政和、野本虎次、本間博
1994年3月陥落(第52期 C級2組から降級) - 山口英夫、森安正幸、中田章道
フリークラス制度化直前の1994年3月に、C級2組から4名がフリークラスへの転出を宣言している。
制度化初年度の宣言フリークラス棋士 - 剱持松二、山口千嶺、依田有司、飯田弘之
フリークラス編入者の順位戦出場条件
フリークラスに編入された棋士は、以下の条件のいずれかを満たすことで、次年度以降の順位戦にC級2組(無降級点)から出場できる。
 
年間(4月から翌年3月まで)に「参加棋戦数+8」勝以上、かつ勝率6割以上。
良いところ取りで、連続30局以上の勝率が6割5分以上(年度をまたいでも有効)。
年間対局数が「(参加棋戦数+1)×3」局以上。
全棋士参加棋戦で優勝、またはタイトル挑戦。フリークラスに編入された棋士が、これらの規定により順位戦出場権を獲得した例は過去に10例ある。いずれも上記の2の条件「連続30局以上の勝率が6割5分以上」による。
 
C級2組からの降級による編入後にC級2組に復帰したケース(2例)
伊藤博文(第57期C級2組での降級によりフリークラス編入、第61期からC級2組に復帰)
島本亮(第70期C級2組での降級によりフリークラス編入、第75期からC級2組に復帰)
奨励会三段リーグ次点2回によるフリークラス編入後、昇級したケース(6例)
伊奈祐介(1998年4月、フリークラス編入、第61期からC級2組に参加)
吉田正和(2008年10月、フリークラス編入、第70期からC級2組に参加)
伊藤真吾(2007年4月、フリークラス編入、第71期からC級2組に参加)
渡辺大夢(2012年10月、フリークラス編入、第75期からC級2組に参加)
佐々木大地(2016年4月、フリークラス編入、第76期からC級2組に参加)
古賀悠聖(2020年10月、フリークラス編入、第81期からC級2組に参加)
棋士編入試験合格によるフリークラス編入後、昇級したケース(2例)
瀬川晶司(2005年11月、編入試験合格によりフリークラス編入、第69期からC級2組に参加)
今泉健司(2015年4月、編入試験合格によりフリークラス編入、第76期からC級2組に参加)
規定によるフリークラス編入者の引退
フリークラスに編入した棋士が「編入後10年以内」(「10月1日付」で「三段リーグ次点2回による編入」となった棋士の場合は「編入後10年6ヶ月以内」)、または満60歳の誕生日を迎える年度が終了するまでに上記の「順位戦出場条件」を満たす成績を収められなかった場合、当年度の全対局を完了した時点で引退となる。ただし、他の棋戦での対局が予定されている、もしくは連盟が定める「棋戦ごとの参加条件」を満たし当該棋戦に参加する場合には、引退が先送りされフリークラス棋士として棋戦に参加できる。
引退年齢に達したフリークラス編入者の棋戦参加条件
当初、フリークラス棋士は引退条件を満たした場合には引退を余儀なくされていたが、フリークラス引退規定の改定により、引退年齢に達したフリークラス編入者であっても、各棋戦ごとに定められた参加条件を満たしている場合には、該当する棋戦のみに参加できる。このフリークラス引退規定の改定は2010年7月9日より適用された。この棋戦参加条件は「フリークラス編入者」に適用され、「宣言によるフリークラス棋士」には適用されない。
フリークラス編入者の棋戦参加条件(2010年7月9日より適用)
棋戦名 次期の棋戦参加条件
タイトル戦 竜王戦 4組以上在籍
(5組在籍でも2年間は可)
王位戦
王座戦
棋王戦
棋聖戦
王将戦 本戦ベスト4以上
リーグ戦は残留
一般棋戦 朝日杯
NHK杯戦 本戦ベスト4以上
銀河戦 準優勝以上
この制度によって出場を続けることになったのは、2019年度に第33期竜王戦で5組での残留を決め竜王戦のみの出場資格を得た藤倉勇樹が初である。また同年度、桐山清澄も藤倉と同条件で竜王戦のみ出場資格を得た。
藤倉と桐山は揃って翌期の第34期竜王戦でも5組での残留を決め、2期連続で竜王戦(5組)にのみ参加するフリークラス棋士として現役続行となった。続く第35期竜王戦では両者とも4組昇級が現役続行の条件であったが、両者ともランキング戦・昇級者決定戦を初戦敗退し、残留決定戦を最後に引退となった(規定上、残留決定戦には参加し、両者とも敗退し6組降級扱い)。
2022年度末に引退年限を迎える川上猛は、同年度中の第35期竜王戦5組ランキング戦を準優勝の成績で次期4組昇級となり、竜王戦4組在籍中(第36期)に引退年限に到達する初のフリークラス編入者となる。5組降級後も竜王戦には2年間継続参加できるため、少なくとも第38期竜王戦までは現役継続となる。
フリークラスを経ずに即時引退となる場合
上記の規定により、C級2組の棋士が、満60歳の誕生日を迎えた年度以降にC級2組から降級となり、かつ、他の棋戦での参加資格を満たさないことが確定した場合は、原則としてフリークラスを経ずに即時引退となる。
フリークラス宣言(転出)
翌期のB級1組以下の棋士は、順位戦終了後から年度末の間に「フリークラス宣言」を行うことができる。「フリークラス宣言」を行なった棋士は、フリークラス転出者として扱われ二度と順位戦に出場することはできないが、順位戦以外の公式棋戦に参加できる。フリークラス転出者(宣言棋士)は、原則として定年・引退となる65歳、または規定の年数まで現役棋士として活動を続けられる。規定の年数は次の通りに算出される。
フリークラス宣言を行った全ての棋士について「順位戦在籍可能な最短年数」(以下「年数」と表記)までフリークラスに在籍できる。
上記の期間中に満65歳となる棋士は、「年数」を満了した時点で引退となる。
上記の「年数」が経過した時点で64歳以下の棋士は、更に最長15年間フリークラスに在籍できる。
上記の「年数」経過時に満49歳以下の棋士は「年数」経過時から15年間フリークラスに在籍できる。
上記の「年数」経過時に満50歳以上64歳以下の棋士は満65歳を迎える年度までフリークラスに在籍できる。
「順位戦在籍可能な最短年数」早見表
宣言しない場合の「翌期クラス」 B級 1組 B級 2組 C級 1組 C級 2組
上記「翌期クラス」の降級点 - 降級点
なし 降級点
1 降級点
なし 降級点
1 降級点
なし 降級点
1 降級点
2
順位戦在籍可能
最短年数 8年 7年 6年 5年 4年 3年 2年 1年
上記の
年数経過時
の年齢 満49歳以下 更に15年間 フリークラスに在籍
満50歳以上 満64歳以下 満65歳を迎える年度まで フリークラスに在籍
満65歳以上 「年数」を満了した時点で引退(参加可能棋戦が無い場合)
ここでいう「順位戦在籍可能な最短年数」とは、仮に当該棋士がそのまま順位戦に在籍し続け、連続して降級・降級点付与の対象になったものとして、フリークラスに陥落するまでの最短の年数のことである。宣言フリークラス棋士の場合に、宣言から引退するまでの期間が最も長くなる場合(表の年数を含める)は23年(=8年+15年)、つまり「フリークラス宣言がB級1組 在籍時」かつ「宣言時の年齢が満42歳以下(宣言から23年後の年齢が満65歳以下)」)となるが、この条件を満たす例は過去になく、B級1組在籍時に最も若い年齢で宣言した例は、当時46歳の森内俊之である。また、C級1組以上の在籍者がフリークラス宣言をした事例も少なく、フリークラス制度導入後の1994年度以降で下記の5例のみ(うち引退者4人、2018年度終了時点)である。この例での引退者はいずれも規定年限到達前に引退しており、早期にフリークラス宣言した場合に規定年限一杯まで現役継続した例はない。
 
順位戦上位(C級1組以上)在籍時にフリークラス宣言をした例(2018年度終了時点で該当者5人、うち4人引退。年齢は年度末時点)
鈴木輝彦
第55期終了時(1997年3月)に42歳で宣言(翌期「C級1組 降級点なし」、宣言から20年後(2017年3月31日)まで在籍可)
→2004年3月31日引退(宣言から7年後の引退)
勝浦修
第55期終了時(1997年3月)に50歳で宣言(翌期「B級2組 降級点1」、宣言から15年後(2012年3月31日)まで在籍可)
→2011年8月19日引退(宣言から14年後の引退)
米長邦雄
第56期終了時(1998年3月)に54歳で宣言(翌期「B級1組」、宣言から11年後(2009年3月31日)まで在籍可)
→2003年12月18日引退(宣言から5年後の引退)
中原誠
第60期終了時(2002年3月)に54歳で宣言(翌期「B級1組」、宣言から11年後(2013年3月31日)まで在籍可)
→2009年3月31日引退(宣言から7年後の引退)
森内俊之
第75期終了時(2017年3月)に46歳で宣言(翌期「B級1組」、宣言から19年後(2036年3月31日)まで在籍可、現役継続中)
フリークラス宣言とフリークラス編入との対比
順位戦在籍中の棋士が順位戦での対局から外れる場合、「フリークラス宣言」によるフリークラスへの転出、または、順位戦からの降級によるフリークラスへの編入、の二通りのケースがあるが、これらの明確な違いとして
「フリークラス宣言」による転出を行なうと、順位戦への復帰は不可能となる(「フリークラス編入」の場合は順位戦への復帰規定あり)。
「フリークラス宣言」による転出を行なうと、「制度上の定年」までの期間が「フリークラス編入」の場合と比べて最大5年間延長される。
の二点が挙げられる。
フリークラス制度が導入された当時の背景として、
(1) 順位戦の参加人数が増大し主催者から制度改革が求められていたこと
(2) 正当な理由により棋士が順位戦に参加不可であっても原則として全局不戦敗扱いとなることへの対応
の問題を抱えていたことが挙げられる。 (1)順位戦の参加人数問題に対しては、「順位戦改革委員会」での議論の中で、かつて加藤治郎名誉九段が唱えた「第2現役制度」という案が提起されたことが制度導入の端緒となった。この制度案は、順位戦に不出場でも棋士が現役継続可能で、順位戦の参加人数を減少させることが特徴であり、現行の「フリークラス宣言」制度の骨子となっている。 また、(2)の問題を抱えていた棋士として飯田弘之の例が挙げられる。飯田弘之は現役棋士でありながら大学院での人工知能研究を行なっており、この研究により政府派遣研究員としてオランダ派遣されることになったが、この海外派遣に伴う順位戦への休場申し出に対して制度上の特例が認められず、飯田弘之は第51期順位戦で「C級2組全局不戦敗」を余儀なくされた。
これらの問題解消として、プロである将棋棋士が自ら順位戦を離れることを認める制度を設けることで順位戦参加人数の減少を図り、その一方、該当者への恩典として棋士引退となる定年までの年数を最大5年間延長させる制度を盛り込み、順位戦からの降級者が編入される「フリークラス編入」と差別化したことが、「フリークラス宣言」の特徴である。
 
過去の順位戦陥落
1994年から制度導入されたフリークラス制度ができる以前に、最も低いクラスで成績が悪く順位戦陥落した棋士の中に、「奨励会三段リーグ」に編入されてリーグ戦を戦った者が複数名いた。その中で3名の棋士が「三段リーグからC級2組への再昇級」を果たしている。
順位戦クラスに基づく他棋戦でのシード
順位戦に在籍するクラスに基づき、他棋戦におけるシードなどは次のとおりとなる。
※「本戦シード」の場合、当該棋戦の予選などを免除された「本戦からの参加」を表す。
 
順位戦の歴史
1935年(昭和10年) - 東京日日新聞(現在の毎日新聞社)の主催で、第1期名人戦の特別リーグ戦が開始される。
1946年(昭和21年) - 第1期が開始される。八段の棋士をA級、七段・六段をB級、五段・四段をC級とする3クラス制であった。持ち時間は各7時間。
1947年(昭和22年) - 第2期から、成績上位4名(第2期のみ持ち点制度による上位4名、第3期以降はA級上位3名とB級1位)の計4名によるパラマストーナメントで挑戦者決定戦を行った。第2期の全対局と第3期以降の決勝戦は三番勝負。挑戦者決定戦は第4期まで行われた。このルールのため第2期では大山康晴が順位戦史上唯一のB級からの挑戦者となっている。
1948年(昭和23年) - 第3期からC級を1組と2組に分割し、A級を10名、B級とC級1組を20名とする定員制をもうける。
1949年(昭和24年) - 名人戦・順位戦の主催が毎日新聞社から朝日新聞社に移る。
1950年(昭和25年) - 第5期より挑戦者決定戦が廃止され、A級優勝者を挑戦者とする。
1951年(昭和26年) - 第7期からB級を1組と2組に分割する。B級1組以下の定員を13名とする。
1962年(昭和37年) - B級2組以下で降級点制を導入する。B級2組、C級1組は降級点2回、C級2組は3回で降級。
1963年(昭和38年) - B級2組以下の対局数を最大12局とする。A級、B級1組は総当たり。
1967年(昭和42年) - 持ち時間を各6時間に短縮。
1971年(昭和46年) - 順位戦の制度改革の議論が長引き、B級1組以下は11月から開始。この年のB級1組以下は1人8局の対局となり、翌年からB級1組は総当たり、B級2組以下は10局の対局となる。
1976年(昭和51年) - 名人戦・順位戦の主催が毎日新聞社に戻る。「順位戦」の名称がなくなり、A級を「名人戦挑戦者決定リーグ」、B級1組以下を「昇降級リーグ(1組 - 4組)」と改称する。期数も名人戦に合わせられ、前期の順位戦が第30期であったが、この期は第36期となった(従って、第31期 - 35期の順位戦は存在しない)。このとき、挑戦者決定リーグ(順位戦)の開始が遅れ、11月となったため、翌1977年の名人戦が実施されなかった。
1981年(昭和56年) - 昇降級リーグ戦4組(現・C級2組)からの降級点制を廃止。
1983年(昭和58年) - 昇降級リーグが組ごとに同日一斉対局となる。
1985年(昭和60年) - 「順位戦」の名称が復活。A級からC級2組の5クラスの名称に戻る。
1987年(昭和62年) - C級2組からの降級点制が復活。
1994年(平成6年) - 順位戦に参加しない、フリークラス制度が設けられる。C級2組から降級した棋士の他、B級1組以下からフリークラス宣言をした棋士が所属する。
1997年(平成9年) - 奨励会三段リーグに次点の制度が設けられる。三段リーグで次点を2回とった場合、フリークラスの棋士になる権利を得る。
2006年(平成18年) - 前年の瀬川晶司のフリークラス編入を受け、アマチュア選手・女流棋士のフリークラス編入制度が正式化される。
2007年(平成19年) - 名人戦・順位戦の主催が毎日新聞社・朝日新聞社の共催となる。
2008年(平成20年) - 第66期より順位戦昇級による昇段日が翌年度4月1日から昇級が決まった日になった。
2014年(平成26年) - 第72期A級最終戦一斉対局が静岡県静岡市葵区の浮月楼で将棋名人戦第0局と銘打ち指された。最終一斉対局が将棋会館以外で行われるのは、初。
2014年(平成26年) - 第73期からC級2組が50人と多数になり、東京将棋会館と関西将棋会館を合わせても25局の一斉対局が困難なため、組ごとの同日一斉対局ではなく、3月の最終戦を除き分割開催となる(第74期までは2日連続の開催で2月の対局も一斉開催だったが、第75期より日程は基本的に7日間隔で、2月も分割開催に変更)。また、B級1組以下の対局日は曜日固定だが、B級2組は木曜日から水曜日に変更された。このほか、B級1組以下は4月に決定していた全対局日程を3回に分けて決定することとなった。
2016年(平成28年) - 第75期より、B級2組以下は持ち時間がチェスクロック式(消費時間60秒未満切捨てなし)の6時間になった。また昼と夕方の食事休憩が50分から40分に短縮された。
2018年(平成30年) - 指し分け残留が発生した第27期当時も規定にはなく、A級において指し分けでも降級することが主催者間で確認された。
2018年(平成30年) - 第76期A級最終戦一斉対局が再び浮月楼にて開催される。第77期も浮月楼での開催が予定されており、今後A級最終戦一斉対局は浮月楼での開催が定着する見込みである。
2018年(平成30年) - 第77期より、B級2組以下で全勝者が昇級枠を超えた場合も昇級すること、降級点が消える場合と付く場合が同時に起こった場合、降級点を消してから追加されることが追記された。
2019年(令和元年) - 第70回棋士総会において第79期より、B級1組の降級=B級2組の昇級、C級1組の昇級が2人から3人に、B級2組の降級点が5人に1人から4人に1人に、C級1組の降級点が5人に1人から4.5人に1人に変更された。また今後5年ごとに、昇級・降級・降級点制度の見直しを実施していくこと(次回見直しは2025年度の第84期)、C級2組の降級点もフリークラス制度とともに将来的な課題として何かしらの見直しを行う方向とした。
2020年(令和2年) - 第78期A級順位戦最終局が浮月楼で開催されるが、名称から名人戦第0局が外され「将棋界の一番長い日」に変更された。
2020年(令和2年) - 第71回棋士総会において第80期より、C級2組の降級点が5人に1人から4.5人に1人に変更された。
2021年(令和3年) - 第80期は2020東京オリンピックの関係でB級1組以下は5月開始。
2022年(令和4年) - 第81期より、B級1組も持ち時間がチェスクロック式(消費時間60秒未満切捨てなし)の6時間になり、A級のみストップウォッチとなった。また、東京将棋会館、関西将棋会館に次ぐ公式対局拠点として名古屋将棋対局場を開設した。
 
順位戦の記録
名人戦の期と順位戦の期は第36期に合わせられた。そのため順位戦には第31期 - 第35期が存在しない。
年度は対応する名人戦のものを表示している。例年、名人戦は年度初めの4月からの開催のため、予選にあたる順位戦はその前年度に行われる。
総数は名人を含んだ順位戦参加人数。
40~45期はC級2組は降級点制なし、53期からフリークラス制導入。
 
順位戦にまつわる記録
順位戦参加(名人在位含む)
最多参加期数 : 加藤一二三(通算62期、休場なし)
連続参加期数 : 加藤一二三(連続62期)
最年少(初)対局 : 加藤一二三(14歳、第9期)
最年長対局 : 加藤一二三(77歳、第75期)
最年長初対局 : 今泉健司(43歳、第76期)
 
順位戦A級を全勝し名人挑戦
達成者:4名(うち3名が在籍10名の総当たり、1名が在籍9名の総当たり)
中原誠(第26期、8勝0敗、在籍9名の総当たり) → 名人位を奪取
森内俊之(第62期、9勝0敗、在籍10名の総当たり) → 名人位を奪取
羽生善治(第70期、9勝0敗、同上) → 名人が防衛(奪取失敗)
渡辺明(第78期、9勝0敗、同上) → 名人位を奪取
順位戦A級を全敗し降級
記録者:5名(現行制度=在籍10名総当たり制=では第15期以降の4名)
村上真一(0勝13戦、第2期、在籍9人での2回総当たり)
松浦卓造(0勝9戦=うち不戦敗4、第15期=在籍11名、うち休場1名)
木村義徳(0勝9戦、第39期)
石田和雄(0勝9戦、第40期)
阿久津主税(0勝9戦、第73期)
A級プレーオフ参加最多人数
6名(6勝4敗、第76期=在籍11名での10回戦総当たり)
(順位上位から表記)稲葉陽、羽生善治、広瀬章人、佐藤康光、久保利明、豊島将之
A級プレーオフ参加最高成績
8勝1敗(第64期、2名参加=羽生善治、谷川浩司、順位上位から表記)
順位戦の連続昇級記録
4期連続昇級(C級2組からA級昇級まで)
(5名)加藤一二三、芹沢博文、中原誠、谷川浩司、田中寅彦
3期連続昇級(C級1組からA級昇級まで)
(4名)高橋道雄、先崎学、三浦弘行、藤井聡太
3期連続昇級(C級2組からB級1組昇級まで)
(4名)二上達也、内藤國雄、福崎文吾、大橋貴洸
順位戦連勝記録
継続中の連勝記録:21連勝(第81期終了時点) - 渡辺明(第77期B級1組を12連勝、第77期A級を9連勝後に名人奪取し、名人在位中[注 21])
最多連勝記録:26連勝 - 森内俊之(第49期C級2組を8連勝、第50期C級1組を10連勝、第51期B級2組を8連勝)
A級最多連勝記録:21連勝 - 羽生善治(第66期A級を6連勝後に名人奪取、失冠後の第70期A級を9連勝、第71期A級を6連勝)
初参加からの最多連勝記録:18連勝(2名)
中原誠(第21期C級2組を12連勝、第22期C級1組を6連勝)
藤井聡太(第76期C級2組を10連勝、第77期C級1組を8連勝)