昨年の暮れ、ネットオークションで次の本を入手しました。

 

「印象派の人びと ジュリー・マネの日記」

(ロザリド・ドゥ・ボランド=ロバーツ ジェーン・ロバーツ編 橋本克己訳 中央公論社1990年)

表紙になります。

ジュリー・マネは、1878年11月14日生まれ、印象派の女性画家ベルト・モリゾと、印象派に大きな影響を与えた画家、エドゥアール・マネの弟ウジューヌ・マネの一人娘です。

この日記は、14歳の1893年8月24日から始まり、21歳の1899年12月13日までとなっています。

日記が中断した理由について、エピローグでおそらく、ドガの弟子のエルネスト・ルアールとの婚約により、結婚準備に多忙の日々を送っていたためだろうと書かれています。

 

私が、このジュリー・マネという女性に興味を持ったのが、2016年5月、国立新美術館で開催されたルノワール展で、「ジュリー・マネあるいは猫を抱く子ども」に出会ったのがきっかけです。

その際の図録とチケットです。

 

そして、「ジュリー・マネあるいは猫を抱く子ども 1887年」の作品は此方になります。

この作品は、ジュリー・マネが9歳のときに描かれた作品であり、同じ印象派の画家でルノワールと親しかったベルト・モリゾ、そしてその夫ウジューヌ・マネの依頼を受け、引き受けたのことです。

この作品を見た感想、そしてジュリーマネについて、当時私は夢中になって調べ、ブログに書かせて頂きました。

ルノワール展「ジュリー・マネあるいは猫を抱くこども」の感想 追記しました。

 

ジュリーマネは、父親、母親を相次いでなくし、16歳の時に孤児となってしまい、ルノワールを初め印象派の画家達は彼女を温かく支援したとのことでした。

そうしたことを調べているなかで、ジュリー・マネが書いた日記に、多感な時代のジュリー・マネの様子や、ルノワールを初めとする印象派の画家達との交流について触れられているということを知り、是非、この本を入手してみたいと思いました。

既に、この本は絶版になっていたので、大手の古本屋に行ってみましたが、在庫はなかったため、それきりになってしまいました。

 

今回、たまたま、ネットオークションにこの本があがっていることも見つけ、初めてネットオークションに挑戦し、無事入手しました。

 

まだ、本は拾い読みしかしていませんが、16歳の頃のジュリーマネの写真が掲載されていました。

この16歳の時、1895年に彼女は母親ベルト・モリゾをなくします。

1895年の最初のページの3月1日の日記に、いきなり、「わたしが日記を書かなかったあいだに、ママンは重い病気にかかってしまった。お医者さんが言うには肺鬱血とのこと。・・・・」ではじまっています。

 

そして、次が4月17日です。そこの冒頭は、こうはじまっています。

「どうしよう。前に日記を書いたと思ったら、いまはもうママンはいない。3月2日土曜日の夜10時半、ママンは亡くなった。口にできないほどの恐ろしい不幸、深い悲しみ。いまわたしは、みなし子になってしまった。たった3年のあいだに両親は相次いでわたしから去って行った。・・・」

 

16歳という多感な時期、母親を失い、彼女の哀しみはいいかばかりだったでしょうか・・・。

 

 

ということで、ルノワールファンである私ですので,今後機会があるごとに、この日記を引用させていただきたいと思います。

 

最後に以前も取り上げましたが、1894年にルノワールが描いたジュリー・マネの肖像を掲載します。

ルノワール「ジュリー・マネの肖像」から思うこと。