連休に入る前、現在、東京都美術館で開催されている「プーシキン美術館展ー旅するフランス風景画」(会期4月14日(土)~7月8日(日))に行ってきました。

モスクワにあるプーシキン美術館は、フランス絵画の収集で有名であり、今回は、17世紀から20世紀の風景画65点が来日しています。

 

まず、チケットとパンフ、それに購入した図録です。

 

作品の中には、ルノワールの「庭にて、ムーラン・ド・ラ・ギャレットの木陰」(1876年)など私にとって大変魅力的な作品がありましたが、今日は、今回の展示の中での最も目玉である、クロード・モネの「草上の昼食」について触れたいと思います。

パンフ、チラシ、そして購入した図録(此方は表紙4種の中から選ぶのですが)すべてこの作品が描かれていますが、あらためてその作品を掲載します。

この作品は、習作として位置づけられており、サロンへの出品はされていないとのことですが、様々な解説と、そして、この作品の影響を与えたと考えられるエドゥアール・マネの「草上の昼食」(1863年)との関係性など解説がされていました。

当時、女性のモデルは、すべて当時、モネが愛したカミーユであるとも解説されていました。

 

私、美術の専門家ではありませんので、まず、マネとモネが、あれっ?どっちだった?と思うことがあります。

 

【エドゥアール・マネ】

エドゥアール・マネは、印象派の先駆者もしくは指導者と位置づけられ、「草上の昼食」(1863年)や「オランピア」(1865年)は、当時は物議を醸したものの、現在は、その先駆性が評価されています。

マネの「草上の昼食」(1863年)です。

 

そして、私のブログで良く取り上げる、ルノワールの「ジュリー・マネあるいは猫を抱く子ども」のモデル、ジュリー・マネは、エドゥワール・マネの弟ウジューヌ・マネと印象派の女流画家ベルト・モリゾの一人娘です。

ベルト・モリゾは、若いときはエドゥワール・マネのモデルをしながら、彼の指導を受けており、この作品も有名です。

 

「すみれのブーケをつけたベルト・モリゾの肖像」 1872年 エドゥワール・マネ

 

【クロード・モネ】

これに対して、クロード・モネは印象派の代表的作家で「印象ー日の出-」1872年はあまりに有名です。

私が、この作品を初めて見たのは、何と1982年10月、東京の国立西洋美術館で開催されたモネ展で初めて見ました。

そのときの図録と、「印象ー日の出-」です。

そして、このとき、カミーユをモデルとした次の作品が展示されていました。

「ラ・ジャポネーズ」1876年 モネ

モネは、1879年に妻、カミーユを32歳の若さでなくし、その死に顔を描いた後、モネの描く人物には顔が描かれることはなかったとの話もあります。

先程も書きましたが、今回展示されていたモネの「草上の昼食」の女性モデルはすべてカミーユがモデルだった?との解説を読むにつけ、こうしたことが次々と思い出されました。

 

そして、モネの睡蓮の作品は、日本人にとても愛されています。

「睡蓮の池、緑の反映」(1920/1926年頃)「至上の印象派展 ビュールレ・コレクション」にて

 

さて、今回展示されたモネの「草上の昼食」は、モネが印象派と言われる以前の若いときに描いた作品であり、マネの「草上の昼食」ほど知名度はありませんが、見所は満載であると思います。

 

若干支離滅裂になってしまいました。

最後に、前回、モネについて書いた私のブログを紹介して終わりにしたいと思います。

モネ「ラ・ジャポネーズ」から思うこと