〔玄関でベルが鳴る。まもなく扉が開く音がする。ノーラが、楽しそうに、鼻唄をうたいながら、居間にはいってくる。外套を着ている。包みをたくさん抱えてきて、右手のテーブルの上に置く。玄関へ通じる扉があけっぱなしになっていて、そとにメッセンジャーがいるのが見える。メッセンジャーは、クリスマス・トリーと籠を持っている。玄関をあけにきた女中にそれを渡す〕
【ノーラ】 ヘレーネさん、クリスマス・トリーをじょうすにかくして置いて。今晩、飾り付けがすむまで、こどもたちに見せないようにね。〔財布を出し、メッセンジャーにむかって〕おいくら――?
【メッセンジャー】 はい、五十エーレで。
【ノーラ】 では、一クローネ。いいわ、とっておいて。
〔メッセンジャーが、礼を言って、出てゆく。ノーラが扉をしめる。いつまでもうれしそうにしずかに笑いながら、外套を脱ぐ〕
【ノーラ】 〔ポケットからマクロン(アーモンドの粉を練って、天火で焼き上げた菓子。語源はイタリアのヴェニス方言のマカローネ)のはいった袋を出して、二つ三つ食べる。それから、そっと夫の部屋の扉のところへいって、きき耳をたてる〕あっ、やっぱりいるわ。〔また鼻唄をうたいながら、右手のテーブルの方へゆく〕
【ヘルメル】 〔自分の部屋のなかで〕そこでさえずっているのは、ひばり(・・・)んかな?
【ノーラ】 〔包みをいくつか開きながら〕そうよ。
【ヘルメル】 そこではねまわっているのは小りす(・・)さんかい?
【ノーラ】 そうよ。
【ヘルメル】 小りす(・・)さんは、いつ帰ってきたんだい?
【ノーラ】 今帰ったところよ。〔マクロンの袋をポケットにいれて、口のまわりを拭(ふ)く〕トールヴァル!出ていらっしゃい。買っていた物を見せてあげるわ。
(イプセン「人形の家」の冒頭)
(手元の本がなかったので、インターネットから引用させていただきました。)
ノルウェーのイプセンの戯曲「人形の家」と、かわいいけれど、籠から出たら自分からは戻らないセキセイのシーちゃんをダブらせてみました。
私が、「人形の家」を読んだのが、10代半ば、自称文学少年だった頃です。
おそらく、今読めば、十分、主人公のノーラの行動や、作品の意図、さらに時代背景を理解できると思うのですが、当時、家族を愛するノーラが、家を出て行くことに、強いやるせなさを感じたことが、記憶に残っています。
私にとって、懐かしい名作の一つです。
(文芸シリーズは、帰りが遅かったときなど、私が手抜きをするときに、使う手段であります。)
文芸シリーズ
