【後半にネタバレあります】
演劇の公演に行ってきました。目当ての演者は
鈴木萌花(AMEFURASSHI)
TEAM ODAC系の舞台として数えて4回目の出演になります。(うち五反田タイガーで3回出演)。
DEMONは、過去2回の延期があって今回が3度目の正直。延期になるたびに(スケジュール調整が出来なかったのか)出演者が変更になっており、鈴木萌花も全公演5日間うち平日の水木金のみの出演とアナウンスされました。
正直いって、このタイミングは舞台のオファーがあっても断って良かったのではとも思いました。4月初旬にあったソロでの弾き語りライブに加えて、AMEFURASSHIとして毎週のリリースイベント。また公演中の土日は、出演が決まっていなかったとはいえ、ももクロの春の一大事があり、浪江女子発組合の仕事が入る可能性も高かった。
こんな負荷が高いスケジュールでも推しが出演する!となれば、ここは何としても行かなければならないという使命感をもってしまうのがオタクの悲しい性です。
ちなみに、ソロで舞台に出演できるのは事務所の理解もあるとは思いますが、真面目に取り組む姿勢だけではなく、その演技も評価されていないと、そもそも声がかからない(だと思いたい)。
実際に何度か一緒にステージに立っている先輩からは、かなり可愛がられているようです。(年齢もかなり下ですし)
これは相思相愛の澤田美晴さん
ちゅーんちゅんが可愛かった(尊死)
今までも良い役をもらっていましたが、今回もかなり活躍していました。役どころですが、ストーリーをざっくりと鬼側と人間側の『融和と対立』として捉えるなら、人間側の反鬼派筆頭というところです。
そして何より今回の目玉は、劇中に流れるオリジナルソングのうちの一曲で、歌いだしパートを担当したということでしょう。歌いだしといってもサビと同じメロディーですので、かなりの重要な歌割りをもらったことになります。
萌花にとって芸能スキルの中でも【歌】は特別なものでしょうから、このような舞台で歌の重要な部分を任されたというのは大きな自信になったのではないでしょうか?今後、ミュージカル仕立ての物にも挑戦して欲しいなと思います。
さて、舞台の内容の方ですが、桃太郎をベースにした後日譚から、泣いた赤鬼へ繋ぐような、日本昔話を沢山ミックスしたお話。私が気が付いた中でも、これぐらいのエピソードが盛り込まれていました。
桃太郎
浦島太郎
さるかに合戦
花咲か爺さん
舌切り雀
笠地蔵
竹取物語
うさぎとかめ
泣いた赤鬼
我が子を生かすため、こっそり逃がして表面上は死んだことにする設定も、どこかの物語にあったような…思い出せない。
ここまで入るとぐちゃぐちゃになりそうですが、しっかりまとまってしたのが面白かったです。
なお、推しの演技以外で印象に残ったのは、桃太郎の家来役である猿雉犬の描写。
犬はやっぱり忠誠心の高いって感じで、どうしても真面目さがでてしまう部分を、exたこ虹の根岸可蓮(れんれん)が熱演。猿のずるがしこさや、何となく嫌味な感じも岡本尚子がきっちりと演じ切る。雉の適当な感じも五反田タイガーの坂場明日香が実力をみせつけてくれた。この3人と桃太郎の妻の鬼役であった東ななえによる、チーム鬼ヶ島(?)がしっかりと演じることで、桃太郎はこういう人だったのではないか?というのがイメージできました。
れんれんの話を書いたので、同じくexたこ虹の春名真依(まいまい)の事もちょっとだけ書いておくと、あんなに可愛くてセクシーなカニはいませんね…(薄くてすいません)
今回は、コロナ期間中に五反田タイガーが行ったクラウドファンディングでの特典である優待券を使ったのでA席での観劇でしたが、案内された席がとてもよく、ステージ全体が見れました。これからAMEFURASSHIが忙しくなると舞台の仕事も難しくなるかなと思いまして、このタイミングで使いました。演劇自体は好きなのでも、どんな演目でも楽しく見れるとは思いますが、やはり推しが出ている方がモチベは上がりますから。
当日受付ということもあり座席番号が手書きというのも味がありますね。確か坂場さんが対応してくれていたような気がしますが、マスク越しで人違いだと失礼なので何も言えず。
公開延期になった2回目の発券チケットと共に
A席ということで、推しばかりではなく出来るだけ全体を見ようと意識して見ていましたが、やっぱり気になる推しの演技。多少距離のあるところからみても、物語の世界をしっかり演じているなと思いましたし、数回の舞台経験は本業のアイドルのライブステージにも確実に活かされているんだなと思います。表現力という部分で、実際の顔の表情の作り方や、歌詞の世界観に合わせた歌い方など、単純に音程を外さないとか発声がいいという意味での「歌が上手い」というところから、萌花の場合は抜けているっていうんですかねぇ(推し補正)。
AMEFURASSHIとして売れることが重要ですが、女優:鈴木萌花もまだまだ見たいと思える舞台でした。
ここから、ちょっと台本のストーリーについて書くのでネタバレ含みます。
ネタバレが嫌な人のために、
五反田タイガーさんのツイートを挟んで行数稼ぎ
改めまして…
— 五反田タイガー (@gotanda_tiger) May 2, 2022
『DEMON〜ありがとうって言えなくて〜』
ご来場&アーカイブ配信ありがとうございました🐯👹
最後に稽古場で撮影したダイジェスト映像を
皆様に感謝を込めてお送りいたします✨
DVDも絶賛予約受付中です😍↓https://t.co/ZngQz4qgjR#DEMON #五反田タイガー pic.twitter.com/461N54BlZh
シナリオについて、正直いって色々と考えさせられてしまいました。話は単純なんですが、見終わった後にどうもすっきりした気持ちにならない。これをブログで掘り下げるには舞台の背景・あらすじを書く必要があるので、ざっくり書きます。
----
【背景】
舞台は桃太郎が鬼退治をした数年後。桃太郎は鬼が悪いだけの存在ではないとして、桃華(東ななえ)という鬼と恋に落ち、1人の子供を授かる。それが主人公の赤鬼(三田麻央)。
人間たちは、人間と鬼の子供の存在を許さないとして、今度は桃太郎退治を行い、その結果、桃太郎は死亡。騒動の原因となった赤鬼は、子どもの鬼である青鬼(飯塚理恵)に託されこっそりと鬼ヶ島から逃がされた。このとき桃華は「子供は自分が殺した。今後人間達には手を出さない、鬼ヶ島から出る事はない」と約束をする。
桃太郎の母であるフネばあちゃん(田名部生来)は、心の中では桃太郎と桃華のことを認めていてたが、周囲の声に押され自分の正直な気持ちを言えず。今では息子の桃太郎のことも『出来損ない』と呼ぶ状況。そんな中で育った桃太郎の妹キエ(鈴木萌花・若松愛里)は鬼に対しては「憎い存在」としか考えていない。
人里の山奥で育った赤鬼は人間とも仲良くなりたいと思いはじめる。生活のために既に人間とも接触している青鬼は、それでも人間に仲良くはできないと赤鬼を止めるのだが…
----
ということで、
・鬼を忌み嫌い鬼ヶ島とは今後も交流したくない人間
・鬼ヶ島から出ない約束をしたが解放されたい鬼と猿雉犬
・実は人里で暮らしていて人間と仲良くしたい赤鬼・青鬼
の三つのコミュニティーの想いが交錯していきます
- ”トロッコ問題”に似た違和感
で、何がすっきりしないかというと、フネばあさんが言った
「犠牲を馬鹿にするな!誰かのために命を捨てるってことを無駄にするのではない」
のセリフ。これは、赤鬼が人間と仲良くなるためには、青鬼が人間を襲い、それを他の鬼が助けて「人間と仲良くできる良い鬼もいる」というように見せるという、昔話「泣いた赤鬼」のシナリオに沿ったものなのです。いわゆる青鬼の利他的な行動というものです。
私は利他的な行動ができる人はすごいと思いますが、周囲から強制された利他的行動は、真の利他的なものではないと考えます。今回は猿から「お前だけが犠牲になれば、赤鬼は人間と仲良くなれるし、桃華様は赤鬼と会う事ができる」と耳打ちされている。人の良さ(鬼の良さ?)に付け込んだ言葉だと感じます。これは猿が「こうなって欲しい」という自分勝手な利己的な考えを、他人の善意を利用しているだけでしょう。
桃太郎や桃華は自分の意思で…といっても、半ば強制的に人間の集団心理の前に仕方なくと言った方が正しいのではないでしょうか?
そして自分の命には関係なく、真相を知らないキエをはじめとする人間たちは、何の悪気もなく青鬼を殺せと合唱する。当の桃華は自分の手を汚さぬよう、3人の子分の鬼にとどめを刺すように命令する。自分達が直接手を下さなければ自分の罪にはならないという行動を見せつけられているようで非常に心苦しく感じました。
よく話題になる、社会を救うために1人を犠牲にできるかというトロッコ問題に似ていて、答えは出ないような気がしますが、やはりトロッコに轢かれる側にとっては気持ちいいものではありません。
- 青鬼は今のエンタメ業界なのか?
そして、コロナ騒動になってからのエンタメ界の状況が、この桃太郎であり、桃華であり、青鬼だったということに重なってしまいます。エンタメは周囲からは生きるためには不要なものと大多数の人からレッテルを貼られ、自粛せよという意見に押され、いまも思うような活動が出来ていないハズです。演者の中にはこのような状況に耐えられず辞めてしまった人もいるでしょう。こんなことが想起され、単純な「良い話、泣ける話」として昇華できず、すっきりしない原因になっていると思っています。
フネばあさんも、自分の意思を貫くことが出来ず犠牲になった人間に見えました。結局、自分の息子が悪かったと、どこかで思いこまないとやっていけなかったのでしょう。それでも、桃華のためにつくった着物を大事にしていたり、「嫌われものっていうのはそういう運命なんだよ」といってみたり、自分の本音と建て前を両立させるための心の葛藤が非常に見られる。
主人公の赤鬼の正直な気持ちややるせなさもわかるが「全部間違っている」と正論を言ってはいるものの、ではどうすればよかったのかまでの答えが出ない。
どうしたらエンタメ界、演劇界がよりよい方向へ行けるのか、皆さん考えてみてくださいという問いを投げかけられたような気がしています。
- 何故かぐや姫が出てきたのか?
もう一つ。劇を見終わったあと、かぐや姫が出てくる必要性があまり感じられないと思いました。先ほどの3つのコミュニティーに属さず、シナリオ上もかぐや姫がいたから問題が解決出来たというものでもない。(むしろ問題を俯瞰してみているのは笠地蔵だった)
脚本家の意図として何か意味があるのでしょうが観劇直後にはどうにも理解できなかった。考えた結果、鬼と人間の物語の対極を描くために差し込まれたのかな?というのが一つの解釈です。
良い鬼も悪い鬼もいる ←→ 良い人間も悪い人間もいる
肉体が無くなる別れ ←→ 記憶が無くなる別れ
ありがとうが言えない ←→ ありがとうが言える
このように位置づけることで、鬼ヶ島と人里に出てくるキャストの話だけではなく、もっと大きな話なんだ、と観劇側が考える思考の幅を広げたのではないかと。赤鬼の気持ちがわかるとか、人間が身勝手であるとか、単純な答えにたどり着かないように、鬼たちの壮絶な別れ方とは異なった、従者うさぎとの別れがあるエピソードを混ぜ込んだように思えます。
また最初の解釈で、青鬼=エンタメ界と書きましたが、コロナ騒動の間に、かぐや姫のような別れ方をした役者さんもいたのではないかということも考えてしまいました。かぐや姫は月の世界に変えると今までいた記憶をなくすという事。ただ従者だったうさぎ達の記憶には残る。これは劇を見ている側の記憶には残っていても、役者としてのキャリアを忘れてもらうことを選んだ=業界を辞めた人を示唆しているのではないか。いずれにしても残された側に虚しさが残ります。このことも見終わった時に自分がすっきりしない原因の一つになっていると思います。
- DEMONの意味とは
普通に考えるとDEMON=悪魔、鬼です。
しかし、自分の今までの解釈から、自分勝手で相手の命を奪うことすらも正義と考える 人間=DEMON なのではないかと思えて仕方ありません。
この舞台が最初に演じられる予定だったのが2021年の1月。コロナ騒動が始まった2020年の春ですから、エンタメ界・演劇界がおかれた状況を脚本としてまとめ上げるには十分な時間があったと思います。
2回目の延期があったのが2021年の8月。この時はステージ関係者にコロナ陽性がでて直前の延期。準備していた台本や写真も資金になるよう販売していました。ここまで振り回されてもDEMONを上演に漕ぎつけたのは、折角書いた物語だからというのではなく、見にきた人に今回の騒動で立場が悪くなった演劇界を考えて欲しいということを伝えたかったのではないのかと。
※個人の妄想であり、脚本・演出をした笠原哲平氏が何を考えていたかはわかりませんで、悪しからず。
この2年間で、実際に世界から演劇が無くなるような瞬間があったと思います。今の時点で、エンタメ界が本当に青鬼のようにならなくて良かったです。この間に、大好きだった演者とかぐや姫のような別れをした人もいると思います。それでもすべてを受け入れながら前に進んで行く。今回の舞台は五反田タイガーからの声明のように思えました。
----
さて、これを観劇してしまった自分がには何ができるのか?フネばあさんが鬼と人間の子(=赤鬼)の存在を許さないと沢山の人から言われて立場が苦しくなった過去を語る場面で、劇中で言った
「今思うと、人間の私が説得すべきだったかもね」
が自分には響きます。エンタメは人間の生活にとって不要不急の物なんかじゃない。これから先に何があるかはわかりませんが、堂々とライブにも観劇にも行きたいし、不要だという人がいればしっかりと説得してきたいというのが私の結論です。
そして五反田タイガーさんには一言
ありがとう!





