う〜む。


悩んでいることがあります。


いったいぜんたい、

私はどうしたらいいんだろう。




長年親しくしている友人が同じ乳がんステージ4に。


それが今年の初め。


同じ乳がんといえど種類は違うし時代も違うので治療方法は私にはよくわからないし。


しかも、私は数年かけて乳がんを受け入れていったけど、


彼女は検査で振り回されたあげくにいきなりステージ4判定。


そりゃ衝撃度が違うよなー。




だから、


私には彼女の気持ちはわからないし、


治療方法も違うから副作用の状況もピンと来ないし、


どんな話をしてあげればいいのか全然わからない。



彼女からは同じ癌患者としての話はしてくれるし、彼女もその点に関しては私に話がしやすいらしい。



でもさ、


本当は彼女に言ってやりたい話があるの。






「死を受け入れて死にに行く準備をするな」と。






彼女はステージ4の癌とわかった日から、

人生の後片付けをはじめました。


軽く認知症になった母親を施設に入れて

仕事の整理をして

家の中の断捨離をはじめて


そんなこと、しなくていいのに。


彼女的にはキレイに後片付けして死んでいきたいんだろうし、それが彼女の美学なんだろうと思うけど。


そんな人生の店終いしてると、本当に死に向かってしまうんだよ!


身体の細胞が死んでいいんだモードになるんだよ!


もっと泥臭く生き延びようよ!





これを言うと、スピ系オカルト系と思われるからめったに口にしないんだけど、


本当に心と身体はつながっている。


心が死にたくなると身体が連動するんだよ。


私は自分の癌でそれを知った。




私は生まれてからずっと死にたかった。


生きる意味や価値を感じられない子どもだった。


誰でもそうなんだと思っていたけど、どうやらそうじゃないらしいと知って口にしなくなった。


死にたいけど死ぬ勇気がないから生きていた。




それから、


自分が女性であることがイヤだった。


性的に見られることもイヤだし、


女性だからと我慢しなきゃいけないこともイヤだった。




そんな私が「乳がん」になった。


なるべくしてなった、と私は思った。


死にたかった私が死ねる病気になった。


ありがたいことじゃないか、と頭の中で思った。





でも同時に、


心では受け入れられなかった。


私は本当は死にたくなかったのだ。






それに気づかせてくれたのが「乳がん」だった。






ここからは「生きる」ための人生にしよう。


いつの間にか、考えが逆転した。


いつか必ず人は死ぬ。


じゃあそれまでは「生きよう」。


誰のためでもない自分の人生を生きよう。






まずは言葉を変えた。


「死なない」ではなく「生きる」


ポジティブな発語を意識した。


最初は難しかったけど習慣にしたら自然に変われた。






次に、


自分を主語にした。


いつも誰かを気にして、誰かの気にいるようにしている自分を捨てた。


自分が自分らしく、自分であるために。


わがままでいようと決めた。


わがままになってみると、全然他人は私のことなんて気にしてないことに気づいたし笑。


わがまま上等!






そして、


死に向かうような準備を全部やめた。


仕事…いや、普通にやりまっせ!


家の中…汚くてもいいじゃないか!私がいなくなったら好きに処分して!


お金の話…どこに何があるかわからなくても、きっとなんとかなるでしょう!たいした金じゃなし!


お墓…夫の実家の墓には入りたくないことだけは大声で触れ回ったけど、それ以外墓地とか検索するのはやめた!


娘に…まだ小さかった娘に何を残そうか?と考えたこともあったけど、もう成人したし、このブログあれば充分でしょ!






大きくはこの3つを意識して今を生きてます。


もちろん、いろんな治療、お医者さん、漢方とか癌治療そのものも頑張ってやってはきたけど、


自分自身一番効果があったと思うのはメンタルの切り替えだったように思う。






だから、死にに行く準備はしないで。


生きることを考えて。


死ぬまで生きようよ。




そういうことを友達に言いたくて仕方ない。


だけど、友達の死に様も受け入れてあげたい。


友達の残り時間があるうちに。




これは私のわがまま、エゴでしかない。


言ったってどうにかなるわけじゃない。


私の言いたいことを言えた、というだけの自己満足にすぎないことはわかってる。




でも、彼女はまだきっと生きられるはずだから、ゆるやかに人生を終うことをやめさせたいのです。


今日も一日悶々と考えています。