引き続きのご訪問感謝します。


100分de名著に続き、仕事学のすすめを見ています。

で、今の時点での感想。

『人間何でもやっとくべきだ!!』



一般的に、学校、銀行、病院(施設) は、閉鎖的社会と言われている。
私も、そう思う。

怪我前から思っており、気をつけてはいた。


怪我してから、尚更実感する。

患者や利用者になると、「QCサークルのリーダーになれるのでは!?」と、勘違いするほどであるし、又、お世話になっている方々のカルテが作成出来るほどよくみえる。



この感覚は、看学時代に働いていた時の感覚や、倒れた時の所属の感じに似ている。



ということは、『集団における弱者は、表現することを心的に制限されるために、より脳の感性が、活発化し、従って、相手を深く知り得るきっかけとなっている。』と言えるのではないか、という結論にたどり着いた。



…確かに、只のスタッフだけだった時、患者様は、スタッフの言動をよく見てたもの。

必ず、看護師品評会が始まってるんだよな。

私も、堪え性のない患者様がたに、仲間や自分のことをよく耳にしてきた。

あの時は、「よくもまあ、これだけ好き勝手言ってくれて。」
と、多少苛立ちも覚えたが、患者になったら、あの時の内容が身に詰まされる。

『patient=耐える人 即ち患者』



思いもよらず障害者になり、あの時出来ていなかった真の理解が、患者になった瞬間から出来るようになった。



で、結論。
「援助者と、対象者のこころの隔たりの大きさが実在していた。」

と、生学習して、我ながら、ガッカリしている。

「20年余り頑張ってきたのにな、トホホ。」 である。


もし、このblogに医療従事者が、来てくださっているのなら、教えてあげます。

同じ立場になった皆様方の話とカウンセラーの師匠の教えと、私の経験を総合すると、
『医療従事者などのスタッフが思ってるほど、信頼されてません。彼らは、自分たちが世話になるための・ちゃんとした治療を受けられるための、いわば営業マンみたいなものですから。』

でした。



ニトリさんのQCサークルに、つい触発され書いちゃいました。

ご無礼をお許しくださいませ。


ご清聴ありがとうございました。